アーチェリーのねじの話 – 妥協の駆逐

咲きました☆

下記のアーチェリーの規格について書く前に前提知識として、ねじについて触れておきます。ねじの起源はわかっていませんが、「規格(互換性)」の誕生ははっきりと記録に残されています。1840年代にイギリスの工場でねじが大量生産されるようになり、それらの規格は工場内互換性を持っていましたが、工場間での互換性はありませんでした。

産業革命が起きたイギリスで、これを統合して、工場間での互換性を持たせることを提案したのが、ジョセフ・ウィットワースという技術者です。さて、これをどう統合するのか…そう、シングルラウンドと同じ妥協しかありません。彼は全国の工場からねじを取り寄せて測定し、その平均値を算出し、その数値に統一することを提案します。こうして生まれたのが、ウィットウォースねじ(ウィットねじ)です。ねじ山の角度は55度です。1841年のことです。

しかし、このねじ規格にはなんの科学的・技術的根拠もありません。平均しただけですから。とくに問題になったのは55度という半端な数値です。1864年、アメリカの学会でセラースがより作図・製造し易い60度を採用すべきと発表し、後にセラース規格としてアメリカで広く採用されるようになります。

合理的なデザインのセラース規格を参考にして、メートルねじの規格がSIねじとして19世紀末に定まります。こうして、3つのねじの規格が20世紀初頭に存在していたのですが、第二次世界大戦時にアメリカ・イギリス・カナダでねじの互換性がないために、武器に互換性がない問題が発生し、統一されたユニファイねじ(Unified=統一的)が誕生します。細かいことはさておき、当時の3国の力関係から、ユニファイねじはセラース規格とほぼ同じです。

https://www.nbk1560.com/より

戦後、メートルねじの規格は、インチねじにおけるアメリカのような覇権国がなかったために、ISO(国際標準化機構)が長い時間調整を行って、国際規格としてISOメートルねじを制定しました。インチねじの国際規格のISOインチねじにはユニファイねじがそのまま採用されました。イギリスで生まれ、アメリカにおいて発達したアーチェリー用具には、ユニファイねじ(=ISOインチネジ=JIS B0206)が一般的に採用されています。

妥協で生まれたウィットウォースねじは1968年にJIS規格で廃止されました。


一流になるために、まだないもの

バイターのシューティングレンジ

一流の選手と一般の選手との違いは当然技量ですが、同じ道具を使うことはできます。トップアーチャーがどのようなチューニングをしているのか、練習をしているのか、ネットが発達した現在ではトップレベルの知識にもアクセスできます。

トップレベルの情報も、道具も手に入りますが、一流選手のようにアクセスできないのがシューティンレンジ(アーチェリー場)です。上記の写真はヨーロッパのトップ選手が合宿を行う「Werner & Iris Beiter Centre」です。

天井にカメラが有り、自分の射形を上から確認できます。こういうラインの確認用ですね。的前にもカメラがあり、矢の的中を画面で確認できます。

遅延表示システムは4カメラに対応しています。

こちらはアメリカのトレーニング施設で近射的にプロジェクターで射形をうつしてのトレーニングは国内ではまだ導入されていないのではないかと思います。その他、3Dキャプションシステムなども利用できるそうです。

こちらは韓国のトレーニング施設。天井に高さを常設できるカメラが2台備え付けられています。こちらでも大画面に的中を表示するシステムがありますね。

ドイツのトレーニングセンターでは屋内では分析ソフトでのトレーニング、屋外のフィールドでは三脚を高くまで伸ばして、上からの動画を撮影しています。多くのチームが上からの目線を活用していることがわかるかと思いますが、学校のように専用の射場がない場合、公営の射場でトレーニングしている選手には難しいですね。

日本のトレーニングセンターにももちろんあり、遅延システム天井のカメラ、的中確認のためのカメラ、さらに、風を再現する送風機が導入されているそうですが、こちらの施設もトップアーチャー専用であり、一般の方は利用できません。

実はこれくらいしか情報がないのですが、どこの国でも写真や動画がいくつかあるだけで、どのような設備をどう活用しているのかは、そのまま、その国の競技競争力になるので公開されている情報は限定的です。日本の施設は見学できるようですが、ガイド付きで写真の撮影は禁止されています。

自分の新宿の会社にも似たように設備があったのですが、川崎に移転後は天井高の関係で、上からの撮影などはできなくなっており、解決策を模索している状況です。

https://www.sugiokasystem.co.jp/kakoroku-series より

近年、カメラ、センサ、解析装置自体は低価格化され、遅延システムは昔10万円近くしましたが、現在ではスマホのアプリでできますからね。ただ、自分が練習していた射場は、おそらくプライバシーの関係で、写真動画撮影が禁止されたりして、装置自体は普及が進んでいるのに、それを活用できる場所がないのは非常に残念に思います。

上達するための装置・システムなのに、上達したい一般のアーチャーがそれらにアクセスできず、逆にトップアーチャーはそれらを使用できるという状態を何らかの形で解決できないかは常に考えています。

使用したいくつかの写真は、WAのマイ・レンジで見ていただけます。


2023 年世界選手権大会兼第19 回アジア競技大会最終選考会 JSPORTSオンデマンド配信

前の記事で全ア連のホームページにアクセスしたら、最終選考会のためのクラウドファンディングが行われているようです。

なぜ全国大会ではなく選考会なのかはわからないのですが、今後の全日本ターゲット選手権などの配信に向けてのテスト配信といった位置づけでしょうか??

活動報告を読むと2月末から始まっているようで、残り10日間、すでに66万円ほど集まっているようで、形式はAll in(1円でも集まれば成功)として、集まった金額の85%が実際に全ア連に入るようです。

参加選手のコメントなどもありますので、よかったら見てみてください。

みんなで大会配信をつくりあげたい! | フリサケ

まず、一番重要なポイントです❗  

今年は、Youtubeではなく『🟡J SPORTSオンデマンド🟡』で配信されます。  

(※皆さんのクラウドファンディングでグレードアップした配信を行います❗❗) 

みんなで大会配信をつくりあげたい! | フリサケ

昨年のYoutube配信はこちらで確認できます。個人的には、WAでもYoutubeで配信しているわけですから、見習ってカメラや撮し方とか、そういったものに投資すべきで、誰でも見れる世界一の配信プラットフォームであるYoutubeから、会員登録しないと見られない配信サイトに変更してしまう事が、進歩なのか疑問です。いい配信になることを願っています。配信は4月7日からです。

配信期間 : 2023年4月9日午前9:00 ~ 2023年4月9日午後4:00


日本にアーチェリーが伝わるとは

『國際畫報 = The international pictorial』2(11),大正通信社,1923-10(大正12年).

日本にはどのようにアーチェリーが伝わってきたのかについてですが、歴史編の中にどのように組み込むのかまだ悩んでいます。なにか根本が覆る発見でもない限り、趣旨がかわることはもうない段階ですので、一旦発表しておきます。これで指摘があったりして進展することも、これまでありましたし。

いまのようにスポーツとして確立されたのは、16 世紀にイギリスの王ヘンリー8世が、アーチェリーのコンテストを開催したのがきっかけでした。日本でアーチェリーが本格的に行われるようになったのは、1950年代後半に入ってから。その歴史は、まだまだ浅いものと言えます。

アーチェリーの歴史 https://www.archery.or.jp/sports/archery/

全ア連のウェブサイトでの記述において、日本とアーチェリーの関係については非常にふわっとしています。なぜ、ヘンリー8世をきっかけとしたのか。また、自分が全日本選手権に出られるとしたら、全ア連の中の人を問い詰めたいと思います(笑)。金襴の陣におけるフランス側の記述を根拠にしたとか言うのかな?9スコア制限に関する法律?

ヘンリー8世の部分は突っ込みどころしかありませんが、後半の記述は非常に優れています。アーチェリーが日本で「競技された」歴史は簡単です。一方で、グーグル検索の上位には日本におけるアーチェリーの歴史として「1939年 菅重義氏(当時の読売新聞ニューヨーク支局勤務)がアメリカから帰国し 日本の弓道界に紹介したのが最初です」とする記述があります。「アーチェリーを紹介」とはなにか、哲学好きなのでこれだけで白州2本イケます。

ということで、その哲学論争をおいておき、事実とその解説を羅列していきます。

by J.C. Hepburn『A Japanese and English dictionary : with an English and Japanese index』,Trubner & Co.,1867.

日本にArcheryが伝わるのは文献として1867年の和英辞書で確認できます。このアメリカ人によって書かれた和英語林集成は初の和英辞書とされていますので、一般にArcheryが知られたのはここで間違いないでしょう。1867年、Archeryは射(しゃ、いる)として翻訳されました。ただ、これはArcheryを伝えるためというよりは、実用的な意味で英語を翻訳・理解するためのものであり、関心は言語にあり、アーチェリーに関心があったわけではないのは明らかです。

Archery自身への関心は2つのルートを辿って、イギリスにたどり着くことになります。一つは軍部です。日英同盟によって、友人になったイギリス軍を模範とするために軍事訓練などの視察によって、Archeryが伝わってきます。最初の写真は大正時代の1923年の雑誌に掲載されたもので、資料不足によって詳細がわからないもののの、「常備軍ではなくともイギリス人はいつも射撃練習している」という軍事訓練とのつながりで、アーチェリー大会(王賞弓術大会)が紹介されています。Archeryは弓術として翻訳されるようになります。

『世界歴史大系』第18巻,平凡社,昭和9.

軍事関係におけるアーチェリーの研究はかなり進められており、大正7年の古今の兵器 (科外教育叢書)で「ホレースという弓術家は12回優勝した」といった細かい知識、昭和9年の歴史書には「オーマンがイギリス人の勝利の一部は彼らの光栄ある長弓隊に負うところがある(戦法史)といったのは、少し控えめに過ぎはしないかと思われるくらいだ」といった記述があり、戦史・戦術研究に携わっている人間には私が歴史編6で書いたような事は昭和初期にはすでに知られていたことがわかる。

英國庶民の弓術並に對蘇對佛戰爭

軍事・歴史家によるアーチェリー研究の中では1932年に「英國庶民の弓術並に対蘇(ロシア)対佛(フランス)戦争」が最もよくまとまっており、無料で公開されているので、どなたでもお読みいただけます。P.233(コマ数126)くらいからです。

萩原清次郎 著『英国を眺めて』中巻 B,丸善,昭和7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1278858 (参照 2023-03-25)

内山勗 著 ほか『新編弓術教範』,博文館,明40.8.

もちろん、もう一方のアプローチは弓道界からであり、明治末期に英国のアーチェリーの詳細が紹介されます。ただし、これは英語の百科事典の内容の要約に過ぎない。

『アルス運動大講座』第2巻,アルス,大正15-昭和3.

大正末期、名前が記録に残っていないものの窪田藤信の門人の一人がロンドンでアーチェリーの視察を行っており、競技方法や競技規則が手紙によって日本に伝わり、窪田藤信氏によって「英国に於ける弓道界の現状に鑑み所感を述ぶ」としてまとめられています。この手紙での報告には、すでに現代の弓道の審判員と同様の態度があり、下記のように英国の弓術を批判します。まぁ、テンプレですね…今後、同じこと聞いたら、「100年前にも聞いたわ」か「大正かよ」と言ってやろ。

我が国弓道の目的たる技術練習とともに精神修養並びに体育保全に重きを置きたるに比する時、(中略)彼の地の弓術たるやただ一つの娯楽的玩弄物(がんろうぶつ)に過ぎずして、一つも身心修養の精神なく、体育として欠く所がある。

弓道,『アルス運動大講座』第2巻,アルス,大正15-昭和3.p 55

昭和13年には当時のレベルとしてはほぼ完璧な形で「英国の射法」という本が大日本武徳会弓道範士で滋賀県知事・衆議院議員も務めた堀田義次郎によって書かれます。題名から分かる通り、英国の弓術を伝えるものであり、アッシャムの5節を、立脚または足踏(スタンディング)、弓構または矢番(ノッキング)、引込(ドローイング)、狙、持(ホールディング)、離(リリース)と訳し紹介しています。さすが国会議員にもなると他国の文化を露骨に批判はせず、「他山の石(*)として英国風の射法を紹介する」と書かれています。良いオブラートですね。

*「よその山から出た粗悪な石も自分の宝石を磨くのに利用できる」ことから「他人のつまらぬ言行も自分の人格を育てる助けとなる」という意味で使われてきました。(文化庁文化部国語課)

中身として堀田氏はアーチェリーを経験したことはないと推測され、ホレースの著書とロングマンのBadminton Library of Sports: Archeryの2冊を読んで、どちらも100ページを超える著作ですが、その中身を20ページにまとめた感じです。

著者は「弓道界の懸案であった射型統一のため、全国の著名弓道家からなる弓道形調査委員会が構成されたが、堀田もこれに参加した(wiki)」ほどの著名な弓道家だったので、彼によって定義された英国の射法が弓道界でのアーチェリーの理解のベースとなっていきます。

小原国芳 編『児童百科大辞典』10 (国防篇),児童百科大辞典刊行会,昭和12.

以上は、軍事家と弓道家という専門家の間での理解でしたが、そのレベルに達せずとも、1937年の児童百科大辞典でも、古代欧州弓手といったイラストで、アーチェリー(アーチャー=弓手)が紹介されてています。

さて、冒頭の1939年は、これまで述べてきた英国王賞大会の取材や、倫敦のアーチェリークラブへの視察、海外から輸入した文献の取りまとめではなく、日本に住む日本人が実際のロングボウに触れた日です。

白倉氏はこの日について「昭和12年の日米通信大会に尽力された菅氏が14年に帰国することとなったとき、アメリカ選手にメダルとサイン入りの矢を日本にいる勝者に届けることを依頼された。そこで関東学生弓道選手権の会場に行き、そこで、日本弓道の師範格に紹介された。望まれるままに、氏は日本で最初の矢を放った」と書いています…メダル届けるのに自分の弓なんて会場に持っていかないだろうから、確信犯ですねw

バーテンダー 7巻

この年表において、どの段階をもってアーチェリーが日本に伝わったのかの定義はないのですが、日付がしっかり判明している1939年を使う人が多いようです。ただ、さすがにそれまで日本人がアーチェリーを知らなかったということはありません。児童百科にも乗っている程度には知られています。

私としては、「英国に於ける弓道界の現状に鑑み所感を述ぶ」が出版された大正末期の方が正確かなと思いますが、出版日が本になく、国会図書館の記録でも「大正15-昭和3」とされていて、使いにくいのは間違いないでしょう。まぁ、菅氏以前はアーチェリーについての知識はイギリスからもたらされたものが多く、1939年以降はアメリカを経由して入っくるようになったというのは間違いないでしょう。

続きはウェ……ご購入ください★

日本のアーチェリーの歴史

1867年 Archeryという用語が伝わる

1907年 英国の弓術がアーチェリーとして英国百科事典の要約として文献で伝わる

1927年頃 ロンドンでアーチェリーを視察体験した弓道家によって詳細(競技規則等)が伝わる

1936年 東京オリンピック(中止)日本視察団がアメリカでアーチェリー大会に参加する

1937年 第一回日米親善通信弓術大会を開催

1938年 本格的な指南書・研究として「英国の弓術」が出版

1939年 菅氏が日本でロングボウ(米国の弓術)を披露 ← ここを始まりとする著者が多い



【更新】忘れてたAMADA/AMO/ATA/ASTM

引っ越しした家の庭には前のオーナーさんが植えた桜があり、咲きつつあります。

歴史編で取り扱った内容に間違いはないつもりですが、漏れはないのかなと…ありました!

【追記】記事完成しました。

昨日、「ものづくりの科学史」という本を読んでいたら、アーチェリーの道具の標準化の歴史について扱っていなかったことに気づきました。これから資料集めます。互換性…私の最初の弓はヤマハで、最初のPCは9821でした…互換性大好き♥


Ramrodsアーチェリー、初のコンパウンド専用モデル Beastを発表、50オンスまで対応!

Ramrodsアーチェリーが2023年新モデルとして初のコンパウンド用モデルBeastを発表しました。テーパーデザインの高剛性というか、超高剛性ロッドにセンターロッドで1.4キロまでウェイトを搭載できる設計になっています。短いサイドでは、その倍に対応しているということで…2.8キロのウェイト?? そんなの使う人いるんですかね。

Jozef Bosansky選手(現世界ランキング13位)のような大量にウェイトを装着する選手にも対応できるよう開発されたものですので、いくら高剛性を求めていようと、リカーブアーチャーにはオーバースペックなスタビライザーかと思います。

ロッドはセンターで19mmから14.2mmに、サイドは16mmから14.2mmになるテーパーロッドで、かなり細い部類に分類されます。

弊社ではコンパウンド店で取り扱いします。通常のVIBRO-CORE内蔵ダンパーシステムモデルと、そこにロッドの先端にタングステンパウダーによるダンピングシステムを追加した上位モデルの2種類で発売されます。センターは上位モデル、サイドは通常モデルを在庫しての販売となり、それ以外は取り寄せとなります。初期出荷分の入荷は来週の初めを予定しています。

RamRods Beast - JPアーチェリー


WAに勝った! FIVICSのオリンピック選手による射形教材

WAが3週間前にFIVICSによるシューティングフォーム教材をYoutubeにアップしましたので、確認してみたところ、自分が3年前に取り扱ったものでした。勝った!!

もとの動画はコロナが始まった頃にアップされたもので、北京オリンピックのメダリストのJoo Hyun-jung選手とコラボした動画で、質が高かったので、元は韓国語、WAは新しくアップしたものは英語ですが、過去に日本語に翻訳したものを記事にしています。

3年前の動画ですが今でも十分優秀な、無料で利用できる教材だと思います。

下記のリンクが一覧表示です。

CATEGORY ARCHIVES: FIVICSの射形教材翻訳


【2023年】リカーブボウチューニングマニュアル

チューニングマニュアル完成しました。ご確認ください。お客様の要望に答えて修正し、いずれ完成版としたいと思います。達成しました、ありがとうございます目標としては2000部(2000ダウンロード)を目指したいと思います。

もっとわかりやすいマニュアルもある思います。素早く知りたい方の需要はもう満たされていると思うので、時間がかかっても、しっかりとストーリーとして、チューニングを1つの流れとして理解できるものを目指しました。

このページは質問や意見をいただく、サポートページとなります。また、誤字脱字に関するご指摘は、修正し最新版に反映後に削除しますのでご理解ください。

リカーブボウ・チューニング・マニュアル(PDF 1MB) 最新版(表紙に表記あり)は 230319 です

履歴 

230420 ダウンロード数 4000部 達成

230319 フォント変更、歴史についての記述修正

210910 ねじれたリムで達成された記録に具体的な日時を追加

210816 ポンドによるチューニングを追加

210815 高速度カメラチューニングを一部加筆

210812 完成版公開日


【本日】ドメイン変更のお知らせ

(株)JPアーチェリーの法人で使用しているドメイン(@マーク以降)を変更します。今後、@archery.co.jpよりメールが届いた場合は、弊社の新しいメールアドレスです。ご安心ください。

株式会社JPアーチェリー

このサイトに使用しているドメイン(@https://archerreports.org/)に変更はありません。

また、随時修正中ですが、リンク先が見つからないという表示の場合、前ドメインの部分を新ドメインに変更すればつながります。

旧) https://archery-shop.jp/Chart/easton_chart-new.jpg

→ https://archery.co.jp/Chart/easton_chart-new.jpg


改訂しました。アーチェリーの理論と実践

*2013/5/20投稿(旧題 古いこと)、2023/3/19に加筆して再投稿

(加筆) ボジョレーの2016年を2023年に飲みましたが、熟成させることもできるのは本当みたいです。さて、現在の射形のベースとなっているスタイルを完成させたホレート・フォードの著作を2013年に翻訳しましたが、この10年で手直ししたいところ、解説を入れるべきところを、解説付き改訂版として再編集しました。下記リンクからダウンロードできます。(加筆ここまで)

【改訂版】アーチェリーの理論と実践 – The Theory and Practice of Archery ホレース・フォード 著 (PDF 3MB)

(以下、2013年の5月の記事ですので、最近の話ではありません)

長くブログを書いているといろいろな反応が返ってきます。誤字脱字はともかく、今でも覚えているのは、ミザールハンドルを間違って「アルミ製」と書いてしまったことなどで、お叱りを受けて直ちに訂正しました。逆に、正しいことを書いていてお叱りを受ける記事もあります。中国工場の製作技術の低さを批判したところ、それを売っているショップが自作していると勘違いされた読者が、作り手に対して経験不足と評したことを、大先輩でもあるベテランの販売店に対して経験不足と言ったと受け取られ、お叱りを受けました。

正しい知識もあれば、間違っている知識もありますが、一番怖いのは、正しいと思い込んでいる間違った知識・情報ではないかと思います。今回、コメントを頂いたのでお客様の間違いを正すことができましたが、コメントを頂かなければ、すっど勘違いで私が批判される事態が続いたのかと思うと…恐ろしいです。

単純に自分が間違ったことを書いてしまったなら自己責任ですが、受け取り手の勘違いによって思わぬトラブルや批判が生まれるのはなぜか。アメリカやヨーロッパでは、自分がやろうとしているような弓具の評価・レビューというのは当然の様にアーチェリー雑誌に掲載され、広く読まれています。欧米人にできて、日本人にできないはずはないでしょう。その違いはどこにあるのかと考えたのが、2月。

そして、「古いこと」…つまり、それは歴史があるのかないのか、正確には歴史が語られているのかどうか、そこに違いがあるのではないかと思うようになりました。欧米のアーチェリー用品のレビューには、1920年代から積み重ねられた知識と常識があり、レビューをする人間はその文法・文脈にのっとり、発言しているからこそ、誤解されずに、正しい情報が流通するのではないかというのが自分の現在の仮説です。対して日本のアーチェリーのメディアの多くの商業主義に上に成り立っているものです。商業にとって歴史は積み重なるものではなく、流れていくもので、過去はむしろ邪魔です。

有名な話ですが、これはボジョレーの毎年の”自己”評価です。

1995年「ここ数年で一番出来が良い」[1]
1996年「10年に1度の逸品」[1]
1997年「1976年以来の品質」[1]
1998年「10年に1度の当たり年」[1]
1999年「品質は昨年より良い」[1]
2000年「出来は上々で申し分の無い仕上がり」[1]
2001年「ここ10年で最高」[1]
2002年「過去10年で最高と言われた01年を上回る出来栄え」「1995年以来の出来」[1]
2003年「100年に1度の出来」「近年にない良い出来」[1]
2004年「香りが強く中々の出来栄え」[1]
2005年「ここ数年で最高」[1]
2006年「昨年同様良い出来栄え」[1] (ウィキペディアからの引用)

さあ、どれが一番いい出来だかわかりますかね…「エスキモーに氷を売る―魅力のない商品を、いかにセールスするか」なんて本が出版されるくらいですから、商品にとって、マーケティングが全てなら、過去の話(歴史)を蒸し返されては、いろいろと困ることは想像できると思います。

日本ではアーチェリーの歴史がまとまった形、整理された形で存在しないことをいいことに、勝手に書き換えられたりしています。例えば、私たちも行っているハイスピードでの弓具の研究は、日本のヤマハが初めてだと某雑誌の記事には書かれていますが、アメリカでは1930年代から行われており有名な話です。その研究を1930年代に始めたの現在の弓具の形を作ったヒックマン博士です。ホイット氏(HOYT創業者)は彼に感謝の手紙を送っています。また、同時期には和弓の世界でも、旧海軍兵学校の協力のもと、120fpsで弓の動きを撮影し、弓の研究が行われていました。どちらも80年以上前の話です。

日本での戦前の研究は「紅葉重ね」でその写真を見ることができますし、ヒックマン博士は「Hickman: The Father of Scientific Archery」という伝記が英語で出版されているほどの有名人です。

現在のアーチェリーは19世紀の後半から、脈々と続いてきたもので、多くの研究によって進歩してきたものです。メディアにアーチェリーの記事を書くほどの人達が、これらの常識を知らないとは思えません。日本人には知られていないのをいいことに、商業的に歪曲しているのでしょう。

5月にホレース・フォードの本を翻訳したのをはじめ、ホイット氏のインタビューの編集など、弓具のレビュー以前に取り組むべきことがあるように感じます。

欧米にあって、日本にはない(と自分は感じる)のは、今に続く歴史を知っているかの差、そして、正しいアーチェリーの歴史を語ることで、日本でもそのようなものが、時間はかかっても熟成していくのではないかと思っている今日この頃です。