AIにアーチェリーはもうイケます

昨年の3月にAIの実用性をテストしてみました。GPT3.5だったと思います。あれからだった一年、今は結構な頻度でAI(Copilot)を使っていて、1年前の記事を更新させていただきます。上の画面が2024年の5月にホイットアーチェリーのホームページを開いた状態でAIに答えさせたチューニング方法のやり方です。概ね正しいと思います。詳細さに欠けますが、右下の「もっと詳しく教えて」を押すと、より詳細なな情報が提供され、今を称賛し、過去を否定するわけではありませんが、私が学生時代に渡された一体いつ書かれたのかわからない部秘伝のチューニング書よりは信用性は高いと考えます。

下記はお話にならない去年の回答。Copilotというサービスですが、中身は同じGPTなので、1年間でこれほど進歩するとは驚くばかりです。これは無料のサービスです。課金モデルのあるらしいので、もしかしたら有料AIでは完璧な答えがすでにできるレベルかも知れません。

私はもうホイットのチューニング方法を調べたりはしませんが、今勉強している狩猟魔術(Hunting Magic)について聞いても、典拠付きで情報を整理してくれます。たった1年でこれか…しかも無料。すごすぎます。一般的な質問を人間に聞く時代が終わりますね。


弓術はいつ誕生したのか – 歴史編. 2

Cave of Archers(エジプトにある紀元前4300年から3500年に書かれた壁画)

更新: 2024.05.12

弓術の前には弓と矢が必要なわけですが、それがいつ誕生したのかは考古学者さんたちの素晴らしい仕事によって変化しています。1964年に出版されたアーチェリーガイドブックでは、スペイン半島の1万数千年前の壁画が最古の史実とされています。その後にも多くの発見があり、現在では、1983年から発掘調査が行われているシブドゥ洞窟(Sibudu Cave)で発見された7万年以上前の矢じりなどが最古のものとされています。弓と矢は10万年以上前から使用されていると”推測”されているので、考古学における「最古の弓の記録」はさらに更新されていくのでしょう。

さらには我々の祖先が生き残ったのは弓の技術(complex projectile technology)のためであるとする論文もあります。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの競合関係において投射技術が、狩猟なとで優位性を生み、わたしたちの祖先が生き残ったという説です。

いつ、弓が誕生したのかについては考古学者の皆様に任せるとして、なぜ弓が誕生したのかを語ることは可能でしょう。矢の前身である槍は25万年前に生まれたとされています。槍は投げられたでしょう。その後、より殺傷力を増した投槍器(atlatl)が誕生します。

https://en.wikipedia.org/wiki/Spear-thrower

現代の投げやりを見ていてもわかるように、槍を投げるのは手からでも、投槍器からでも、非常に大きなモーションを必要とします。マンモスや熊には有効でも、臆病な動物に気づかれずに発射することは不可能です。このモーションの大きさを補う道具として弓が生み出されました。初期のピンチ型の一番の特徴はそのモーションの小ささです。

しかし、弓と矢がありそれを引けば弓術であるとは流石に言えないでしょう。ある程度にはまとまりを持つ技術体系でなければ弓術とはなり得ないと考えています。

今回の一連の記事はいろいろな分野の研究結果を統合したもので、多くの研究は読んでいて納得でしたが、日本の文献の多くが「弓と矢があれば弓術は発生した」と議論もせず決めつけているのには違和感しかありませんが、このパートは自分でもさらに研究しなければいけないと思っています。

では弓術はいつ誕生したのか。人間板挟みになると屁理屈をこねるようになるもので、実利と神意の板挟みになった中世ヨーロッパには正戦論なるものがあり、その到達点は「勝った戦いは正しい戦い」でした。同様にフリィピン諸島のイフガオ族は「獲物に当たるかどうかは神の意志と魔力によるものであり練習はせず、調子を保つ努力もしない」と報告されています。

弓と矢があり、それによって狩猟が行われていたこと、それ始まりが約10万年前ほどであることはわかっているのですが、19世紀にニーチェが神を殺すまで、「的に当てるため(獲物を得るため)に弓の練習し、上達し、それを子孫に語りつこう」という考えが一般的だったとはいえません。10万年前のとある日、獲物を外して帰った後のアーチャーは弓の練習ではなく神に祈るほうが一般的だったのではないかと思います。ここに弓術は存在しないでしょう。

The Amenhotep II stela at Karnak Temple (ルクソール所蔵)の1929年の写し

これは的あて競技として最古の史料である紀元前1429年頃のメソポタミア文明(エジプト)の石碑です。描かれているのはエジプトのファラオ、アメンホテプ 2 世で、戦車に乗り長方形の的に狙いを定めているところが写し出されています。紀元前5世紀のヘロドトスはその著書「歴史」の中でエジプトではファラオが国民を集め、王族の「技量」を披露するために賞品つきの競技大会(gymnastic games)を開催していたと書いています。王族が主催し、王族が腕前を披露する競技大会なのですが、競技と弓術との関係をどのように読み解くべきか、直接の文献がないので解釈が非常に難しいです。

次の記事で扱うことになると思いますが同時期くらいの競技について書かれたイリアスでは、鳩(的)に当てたのは「神に祈った」ほうでした。つまり、的に当たる(当てさせる)のは技量ではなく神意なのです。

石碑から王族が競技を主催し、的あてを披露していたことは間違いないのですが、それは「的に当たる=弓術が上手(技量)」を披露するものではなく、正戦論的な「的に当たる=自分は神(ファラオ)」であることを披露する儀式的競技であった可能性が高いです。その場合、練習はしなかったでしょう。まぁ、したとしてもコソ練であるはずなので、文献に残っている可能性は絶望的です。

この点はキューピットに見ることもできます。矢に当たったものは恋しちゃうらしいのですが、この絵に描かれているよう(目隠し)、その的中は恣意的なものであり、キューピットが弓術の練習に勤しんだという記述はありません。キューピットが百発百中では成立しない話もあります。「当たった事で恋をする」「当たったことが神意である」の時代において、弓術と呼べるもの技術体系が存在していたかはわかりません。

競技に対する練習に言及した文献としてプラトンの「法律」があります。これは対話形式ですが、意訳すると

(意訳 8章 828)競技の前に戦い方を学び競技に臨むべきだ。練習するのをおかしいと思う人がいるかもしれないと心配するべきではない。国防のためにも国全体にそのような法律を制定すべきだ。

とかかれています。競技のための練習をしようというプラトンの主張なのですが、なぜ、今は練習をしないのかというと、

(8章 832)支配者は被支配者を恐れて、被支配者が立派に豊かに強く勇敢になることを、そして何よりも戦闘的になることを自分からはけっして許そうとはしないからだ。

と書かれています。ただ、このプラトン以降、ギリシャでは明確に競技のための練習がなされるようになり、儀式的な競技が実用(戦争)的な競技になります。競技結果はもう神意である必要性はなく、弓術もこの時代にはあったのは間違いありません。

弓術は紀元前400年頃にはあったと言えますが、これをどれだけ古くまでたどれるのかは今後の課題としたいと思います。

追加資料 : Complex Projectile Technology and Homo sapiens Dispersal into Western Eurasia


射法の分類 古代と現代のリリース射法について

洋弓の歴史について書き上げて1年立ちますが、勉強するほどに、まだまだ不明瞭なところがあると感じるので、もう一回勉強し直そうと思っています。その中でまず引っかかったのが、射法の分類です。まぁ…歴史についての本ではまず最初に出てくるところですね。

多くの資料では「ピンチ」「地中海」「モンゴル」の3つの方式に分類しています。日本のアーチェリー業界では一番権威であるだろう「アーチェリー教本」でも、2000年の改訂版のP.6-7で触れていますが、正直、何かの文書をコピペしたような文書になっています。日本での洋弓史の初期に書かれた「洋弓の楽しみ方(1965年)」に書かれた内容とほぼ変わらないので、この35年何も進んでいないようにも思えます。

弓についての研究者の状況を見てみると、スポーツ科学学会では間違ってマックス・エーンスを射法の分類を行った研究者と勘違いしているし、一方で考古学会では、正しく認識できているが、研究が失われた状態になっています。

いくつかの文献に引用されているが、正確な論考名・発表年などは不詳である。Morseはこの論考において、射技を第一次式・第二次式・第三次式・地中海式・モンゴル式の五種類に分類し、第一次式を最も原始的なものとし、モンゴル式を極めて発達したものとしている。

松木 武彦 原始・古代における弓の発達–とくに弭の形態を中心に

前に書いた記事で、マックス・エーンスは自著にモースの「Ancient and modern methods of arrow-release. (Essex U. S. A. Institute Bulletin. 1885. )」の研究を引用したと書かれていますので、スポーツ科学界が著者を間違い、考古学会では失われているとされているのは、この論文で間違いないでしょう。

私はずっとこの射法の分類のあまりの単純さに、このモースの研究は非常にレベルが低いではないかと思っていましたが、実際に読んでみると、全く違っていて、非常にレベルの高い研究です。というか、そもそも、モースは射法の分類について、5つであると断言していません。今まで、モース、または、「モンゴル式」「地中海」といった射法の分類について語っている人、ほぼモースの論文読んでないでしょう。デタラメばかりでびっくりしています。

ざっくり言ってしまえば、約150年前、1885年、通信手段すら限られていた時代に、モース自身は5つに分類したが、例えば、アルカイック・リリースのような情報が少なすぎて分析できなかったものも多いので、(モースが集めた)私の情報を個々に一旦まとめるので、後輩たちで更に研究を進めてほしいといった論文でした。

smithsonianmag.comより

ちなみにこのような足で弓を支え、両手で弦を引くタイプのリリースなどが情報不足で分析できていないとしています。

ということで、私としては論文も見つけたし、コピペではない正しい情報、モース自身の言葉に触れることができたので、それを踏まえて、次の段階の調査を始めますが、しっかりと内容を理解するために、ゴールデンウィークの3日使って、モースが射法を分類し、現在多くの言説の元になった「Ancient and modern methods of arrow-release.」を日本語に翻訳したので、アーチェリーについてより詳しく知りたいという方はぜひ。

古代と 現代のリリース 射法について – PDF 2MB

図面、岩の碑文、フレスコ画、浮き彫りなどをコピーする際にもっと注意する必要性を指摘します。手の位置、弓矢の先端の形や特徴、羽の形など、細かな点に注意を払う必要がある。さらに、古代の物や絵の中から、アームガード、サムリング、アローレストなどを識別する可能性と重要性も指摘したい。また、旅人や探検家は、弓矢を使うという単純な事実を観察するだけでなく、(1)引き手の姿勢、(2)弓を垂直に持つか、水平に持つか、(3)矢が弓の垂直の右側にあるか、左側にあるか、(4)この論文ではコメントしていないが、余分な矢を押し手に持つか、引き手に持つかを正確に記録する必要がある。

古代と現代のリリース 射法について

現在でも民俗学・考古学の論文を読むと、ものすごく丁寧に道具そのものを分析しています。しかし、それがどのような道具だったのかという点にはあまり関心がないようで、モースが指摘していることは、21世紀でも十分に通用するのではないでしょうか。

昔読んだ本ですが…今回、読んでもないのに堂々と語る人が世の中に大量にいることにびっくりしました。読んでから語ってよ(T_T) 私は翻訳までしたのでモースの論文ちゃんと読んでいますよ!


マックス・エーンスって誰?

ゴールデンウィークですね。本日アーチェリー場の初売上です。ありがとうございます。先日のクレイジージャーニーという番組で、出演されていた大学教授の方が「定説」言及されていました。

マックス・エーンスという人をご存知でしょう? 私は知りませんでした。このアーチェリーに全く関係のない人が何故か有名人です(笑)。ネットで調べてみるとwikiでは射法を5つに分類したと書かれています(wikiは私が修正済み、マックス・エーンスの名前を削除しました)。次は筑波大学の研究のPDFなので、学会でも祭り上げられているようです。その次はレファレンス(図書館)なので、図書館界隈でも有名なようです。アーチェリーでも…このサイトですか。

吉村教授はインチキな定説について、言い出したやつをやっつければ済むといっていましたので、この際、やっつけてしまいましょう。まず、マックス・エーンスって誰?

国立国会図書館で検索すると、この人物について最初に触れた本は『弓道講座』第一卷,雄山閣,昭和12.のようです。この中で小山松吉という検事総長、司法大臣、貴族院勅選議員、法政大学総長というものすごい肩書の人が、

古代攻撃武器の発達史を書いたドイツのマックス・エーンスという人が射法を分類したとあります。これ以上調べませんが、間違って伝わった情報源はこのあたりでしょう。検察総長にこう言われたら、反論する人間はなかなかいない時代だったのかもしれません。ということで、マックス・エーンスはドイツ人でした。

日本には当然ありませんが、ドイツのwikiにはいました(画像は機械翻訳)。ドイツの軍事芸術史の教授だったようです。そしてその著書にEntwicklungsgeschichte der alten Trutzwaffen. Berlin 1899.(古い防衛兵器の発展の歴史)を発見。おそらくこの本でしょう。1899年の本は著作権がないのでネットで読むことができます。

ありました。google Booksです。下記のリンクで読みます。ドイツ語ですが…

Entwicklungsgeschichte der alten Trutzwaffen mit einem Anhange über die Feuerwaffen Max Jähns · 1899

ドイツ語は読めないので比較的の精度良い英語に翻訳して読んでみました。ありました。

wie die Spannung herbeigeführt wird, unterscheidet Morse fünf Arten. ‘) Ancient and modern methods of arrow-release. (Essex U. S. A. Institute Bulletin. 1885. )

Entwicklungsgeschichte der alten Trutzwaffen P.292

ドイツ語でモースは1885年の著書で引き方を5つに分類している(意訳)と書かれています。つまり、マックス・エーンスは有名なモースのリリースの分類を著書の中で引用しただけであり、射法に関しての独自の研究は存在していませんし、自分でも明示的にモースの引用とはっきり書いています。

以上、マックス・エーンスが射法を分類したという間違った説は、

1.マックス・エーンスが自身の研究であった軍事史の本の中でモースの説を引用する

2.日本の検事総長が、マックス自身の研究と勘違いする

3.(おそらく)偉い人がまとめた弓道講座に書かれているのだから間違いないとみんな思う

4.wikiに誰かが書く

5.もっとみんな信じる

という流れですかね。でも、間違ってますからね。ご注意ください。

【追記】何名かの専門家に連絡しましたが、今のところ、反論はありません。この流れであっているとは言いませんが、大きく間違ってはいない感じです。