税金のせいで台無し? 武器の進化と退化の学際的研究 弓矢編

トップの写真は研究の失敗の原因と思われる国からの交付金(税金)による研究のために行われた研究成果の公開展示の様子です。復元弓が完璧な姿で展示されています。

前に複合弓が奈良時代の終わりごろ、8世紀に日本で誕生していたと書きましたが、調べていくと、初期のコンポジットボウ(複合弓)はそれまでのセフルボウよりも性能が低かったという研究が存在するようです。それがこの記事で扱う「武器の進化と退化の学際的研究 : 弓矢編」です。性能が低かったといってもいろいろな観点があるので、どの視点で比較しているのかなと論文を読んでみたら…この共同研究したのは立派な学者さんたちですが、内容がとんでもないデタラメでした。毎回と思うのですが、なぜ弓の研究なのに弓の専門家を入れないで「学際的研究(多数の専門分野を跨ぐ)」と命名していながら、同じ分野の研究者メンバーを固めるのでしょうか。不思議です。

まずはこの報告書のメインとなっている「復元弓の工学実験」という研究について説明しますと、いろいろな時代の弓が見つかっていますが、貴重な文化財なのでその弓を引いて性能を調べるわけにはいかないので、同じ形状・材質でレプリカ(復元弓)を作成して、復元弓で実験を行って、どんな弓で、どのような性質を持つのかを研究しようという、テーマ自体はとても立派なものであります。

ここまでは良かったのですが、実際に復元弓で実験を行うと3号は少し引いただけで折れてしまったのです。ここから歯車が狂っていきます。その後、折れないように10-15cmしか引かないで、実験が進んでいきます。復元弓に関しては多様なデータを取ることが求められるので、弓を破壊しないで研究することは当然大事なのですが、すべてのデータを取得した後、その弓はどれだけ引けるのか(引いたら壊れるのか)を知ることも大切です。

科研費(税金)を使った研究は当然報告を求められます。最終段階で(レプリカに過ぎない)試料を研究のためには全部破壊しても問題ないと思いますが、(私の想像の域を超えませんが)最後に復元弓をきれいな状態で展示発表をするために、弓を壊す可能性のある実験はしなかったのでしょう。

それによって研究結果がでたらめになっていきます。復元弓1について見ると、有限要素解析というシミュレーションを行って、理論値は15.8cmが限界であるとしたうえで、10cmしか引きませんでした。

その上で、現代の成人男性が使う和弓が20キロと定義し、この弓を20キロ引いたときの初速を計算して、このグラフだと48cmくらい引いた時に初速189km/hです…実験で10cmしか引いておらず、その時点ですでに折れそうで、シミュレーションでは約16cmで破壊される弓を48cm引いたときの初速をこの弓の性能としているのです。しかも、試算してみたwwwならともかく、このデータを結論に使ってしまいます

コンポジットボウである弓(復元弓11号)は129km/hであり、復元弓1(189km)よりも遅く、当初の予想と違う結果でびっくりと結論付けています。そして、この結果が他の研究において、先行研究として参照され、初期のコンポジットボウはセルフボウに比べて遅かったという説が増えていきます。いや、弓1は189km出ないって…!

この図は比較論としては使えるのか悩んでいるところですが、5年前の最新のコンパウンドボウで弓の効率性はやっと90%を達成しています。最新のリカーブボウでも80-85%であるのに対して、初期の木と竹を張り合わせただけのコンポジットボウがいきなり効率性90%を達成することはありえないでしょう…ただ、コンポジットボウの効率性が一番高いという点では、数値は全部間違っていても、全部割合だけ間違っているなら、これらの弓の効率性の比較として論じることに使用することはできるのかもしれませんね。

せっかく税金を投入したのだから、研究の最後にすべての復元弓を壊れるまで引いて、その値の90-95%程度をその弓の性能(初速)とすれば、その結果はすごく有用な数字であったのに…残念です。展示するのそんなに大事かな?


世界最古の檠(ゆだめ)

http://news.jznews.com.cn/system/2023/03/17/030035603.shtml

前の記事で中国の檠(ゆだめ)について触れたので、中国で最近発掘されたおそらく世界最古の弓のジグについて少し。他にも檠は発掘されていると思いますが、ただの棒なので、弓が隣でセットで発掘されない限り、檠として考古学者によって分類されるのは絶望的だと思います。

*ネット記事で構成しています。詳細は秦俑坑出土弓弩“檠”新探という論文にあると考えていますが、一般人が利用できる国内の図書館になく、読めてはいません。東大にはあるらしいが…

この時代(2200年前)の弓以外のアクセサリーが発掘、または、正しく解釈されることは本当に珍しいのですが、兵馬俑1号坑の前回の発掘では、銅の棒が出土しています1。復元後の写真の弦の内側に見えるもので、長さは50cm・直径0.3cmの銅の棒で、保管時(クロスボウは基本ブレースしたままで保管する)の弦の伸び・リムの変形を抑え、発射時のリムへの負担を抑えるという役割をするものです。

Chinanews.com

そして、今回の第三次発掘(20092)では、写真のように完璧な位置で檠(檠木)が発掘され、トップ写真のようにリムの形状の整えるものであるとして発表されました。長さ40cm、直径3cmで穴が3つ空いている木片です。弓から2mでも離れていたら正しく解釈される可能性は絶望的ではないかと思います。

Artist Archeryより

よく考えれば、金属が非常に高価であった時代に現代のようなジグでクランプを大量に使用して固定することなど出来ないので、木と糸による固定でリムを形成していたのでしょう。檠で形成するとは書かれていても、具体的にどのようなやり方で、というのは記録等残っていませんでした。古代の弓づくりを理解するための貴重な資料だと思います。

青阳弓箭より

その後、清(300年前)の時代には「弓挪子」というものが使用されるようになります3が、このジグの構造は単純ですが、これを使用するためには材料のサイズを確実に一定にする必要があるので、材料の供給・加工技術が高度化してから清よりはもう少し前なのかと思います。

  1. 秦始皇兵马俑博物馆 [编],秦始皇陵铜车马修复报告,1998 ↩︎
  2. 李洛旻,《荀子》「接人則用抴」解詁及其禮學意涵,《中國文化研究所學報》第68期,2019, ↩︎
  3. https://www.bilibili.com/video/BV1cJ4m1A7ex/ ↩︎

九和の弓 周礼考工記

Traditional Archery from Six Continents より

ここで一旦、中国最古の弓製造マニュアルである「周礼 考工記」1に触れておきます。周礼について詳しくは触れませんので細かいところを知りたい方はwikiを読んでいただくとして、3000年前に書かれた本です。もっと後に書かれたという説2もありますが、その数字を採用しても2000年前に書かれた詳細な弓製造マニュアルで、中国最古、(合理的な指示としては)世界でも最古のものではないかと思います。細かな年代の議論は本質ではないと思うので、3000~2000年前の(古代中国)弓についてまとめます。

厳密ではありませんが()の中は私による注釈です。

弓は六つの素材を巧みに結合させることで完成します。

・幹(コアとなる木材)は矢を遠くまで飛ばす

・角(ファイス側のバッキング材)は矢を迅速に飛ばす

・筋(バッグ側のバッキング材)は矢が深く刺さるようにする

・膠は弓を接着して一体となす

・糸(絹糸)は弓身を堅くする

・漆は霜や露など水に対する抵抗力を増す

「幹・角・筋・膠・絲・漆」が弓をなす六材であり、木は冬、角は秋、漆は夏に準備する。膠は聞かず(いつでも良い)。幹(木)は叩いて澄んだ音がするものが良い。矢を遠くまで飛ばしたい者(射遠者)なら、形状は自然に曲を持っている材を選ぶ。矢を深く射ち込みたい((射深者))なら、まっすぐな材を選ぶ。幹は木目に対して斜めに裂いてはいけない。最上の材は柘(やまぐわ)であり、最下は竹である。

角は秋に殺した牛のものが厚みがあって良い。春に殺した牛は薄くて良くない。痩せた牛、病気の牛の角も良くない。角の根は白く、中央は青く、先は太い角が最良である。角は脳に近いほうが柔らかくその弾性を利用してやる。先端は脆いのでよく曲がるところに使ってはいけない。

筋は艶があるものが良い。機敏な動物の筋を使えば、その弓もまた機敏な弓となる。筋はくたくたになるまで叩いてから使う。

膠は最上の接着剤である。鹿、馬、牛、ネズミ、魚、犀(サイ)のものを使う。漆は澄んだものが良い。絹糸は水にあるような色のものが良い。

冬に幹を切り、(秋に獲た)角を春に浸し、夏に筋を作り始め、秋に接着する、冬にゆだめ(弓矯・檠=弓の形を成型するためのジグ)にかけて形を整え、大寒に漆の出来を試す。これで春には弓が完成する。

グリップ(写真の3)は薄いと力の抜けた弓になる、厚すぎるとスタッキングして引けない弓になってしまう。木材、角は火で炙って曲げる。弓は三尺(*)引く、引ききった時、弓は流水の如く曲線を描く。

*当時は20cm/尺=60cm、また1尺3(長さ)=1石(重さ)としているが、1石がどの程度なのかの確かな記録はない。およそ20キロ程度ではないか。つまり、3石とは60kgの弓である。

6尺6寸(122cm)は上製、6尺3寸は中製、6尺は下製である。射手の身長によって使い分ける。

・九和の弓

九和の弓は最高の弓である。九和とは三均の三均である。

一均.材・技・時 (良き素材・作り手の技術・正しい季節のバランス)

二均.角・幹・筋 (3つの反発力を生む素材のバランス = ブレース時)

三均.角・幹・筋 (3つの反発力を生む素材のバランス = 引き切った時)

これらが完璧である弓を九和といい、最高の弓なのである。

弱弓は狩猟と的あて競技に使用する、中弓は練習に使う、強弓は鎧などの硬いもの射抜くのに使う。

・スパイン調整とFOCの調整、シャフトの形状

この部分こそ理解にアーチャリーを知っている人が必要で、中国学の本田二郎先生は注釈で「あり得るのか?」と疑問を呈しているが、意味は明らかである。矢のシャフトを水に浮かべる。上を陽、下を陰。シャフトのノック溝は縦にいれる。

何をしているのかと言えば、水にシャフトを浮かべた時、素材が完璧に均一でない限り、比重が軽い部分(スパインが柔らかい)が上に来る。比重が重い部分(スパインが硬い)が下に行く。不完全な素材を使って矢を作る時、硬い部分と柔らかい部分が左右にあると矢は真っすぐ飛ばない。上下に配分するのが一番良い妥協案となるので、そのための製造工程ですね。3000年前から中国はこのような技術まで開発していたのはすごいです。

的あて・高射用の矢の重心は先端から1:2の場所に置く、兵矢・田矢(通常の矢だと思われる)は2:3の場所にに重心を置く、殺矢は3:4の場所に重心を置く。シャフトは前から1/3の部分まではストレートで、そこからノックに向かって細くテーパーしていく。

以上。

  1. 本田二郎 著『周礼通釈』下,秀英出版,1979.11. 国立国会図書館デジタルコレクション ↩︎
  2. 布野 修司,<エッセイ>『周礼』「考工記」匠人営国条考 ↩︎
  3. 浜口富士雄 著『射経』,明徳出版社 ↩︎

ヨーロッパ最古の矢じりと日本への伝播

マイクロポイント(10mm以下)

自分は最近知った情報なのですが、ウィキペディアは去年の10月には更新されていました。こういう情報のアップデートをいち早く知るにはどういたらいいのだろうか。これまで最古の矢じりはアフリカの7万年前のもの1とされていましたが、昨年の論文で54,000年前のフランスのマンドリン洞窟から矢じりが発見されたそうです2。ヨーロッパ地域では最古の矢じりとなります。これまでヨーロッパの弓矢の最古の証拠は約10,000〜12,000年前のものとされていて、多くのアーチェリー関係の本でも、1-2万年前を採用していますが、こうなってくるとやはり、弓矢の歴史を7-5万年前とする説が有力になってきましたね。

発見された213個の矢じり(仮)はサイズによって分類されて、写真下の数字1は弓矢、2は投槍器、3はやり投げ、4は両手で突くを示していますが、10mmは未満のものはそのサイズから矢として使用されたと断言して良いとしています。

そして、あとはやることといえば、前の記事で紹介した再現してヤギを射ることですね。

こちらのチームも再現して、いろいろな投射方法によって吊るされたヤギに当てて、その結果を統計分析しています。今回の論文の写真3はヤラれる前のヤギだったのでモザイクをする必要がなく助かります。

こちらは2021年の段階でのおおよその弓矢の証拠の分布です。ちなみにKaは1000年(kilo annum)という意味です。ここのフランスが大幅に更新されたということになります4

論文の最後には参考文献が書かれているのですが、それをなんとなく眺めていたら、「日本における最初の人類による弓矢技術の使用5」という面白そうな論文を発見しました。ちょっとちゃんと読む時間がなかった&この記事とは直接関係ないので、AIに要約させてみたのですが

本研究は、日本の初期後期旧石器時代の台形石器が狩猟用の矢じりとして投射されていたことを示しています。これにより、人類が日本列島に到達した時点(38,000年前)で、すでに弓矢技術を持っていた可能性が示唆されます。この技術は、森林が豊かな環境での狩猟において重要な役割を果たしていたと考えられます。

https://www.perplexity.ai/ with GPT4-o 

と38,000年ほど前から日本で弓矢が使用された可能性があるとのことでした。これに関連する記事を書くかはわかりませんが、心に留めておきます。

  1. Marlize Lombard, Quartz-tipped arrows older than 60 ka: further use-trace evidence from Sibudu, KwaZulu-Natal, South Africa, Journal of Archaeological Science, Volume 38, Issue 8, 2011, ↩︎
  2. Laure Metz et al. ,Bow-and-arrow, technology of the first modern humans in Europe 54,000 years ago at Mandrin, France.Sci. Adv. ↩︎
  3. Laure Metz, Supplementary Materials for Bow-and-arrow technology of the first modern humans in Europe 54,000 years ago at Mandrin, France ↩︎
  4. Lombard, Marlize & Shea, John. (2021). Did Pleistocene Africans use the spearthrower‐and‐dart?. Evolutionary Anthropology: Issues, News, and Reviews. 30. 10.1002/evan.21912. ↩︎
  5. Katsuhiro Sano, Evidence for the use of the bow-and-arrow technology by the first modern humans in the Japanese islands, Journal of Archaeological Science: Reports, Volume 10, 2016, ↩︎

日本における複合弓の誕生

聖徳太子が用いたとされる丸木弓

私のような素人にできるものはほぼないのですが、「それぞれ」の分野には諸先輩が残した大変優秀な研究があります。考古学・古代史・日本書紀研究・中国史・弓道の分野に研究結果が点在しており、まとまっていなかったものを「日本の複合弓化」という軸でまとめたものになります。

上の写真は奈良時代(8世紀)の丸木弓ですが、これはいわゆるセルフボウで木を削って作っていくわけですが、これは日本の弓というよりかは、世界中で初期の弓は間違いなくこれでしょう。木の棒を削って弾性を持たせた最も単純な弓です。

世界中の多くの地域でこの単純弓からより反発力の高い複合素材の弓に進化していくわけですが、その時期は地域によって異なり、日本では8世紀から9世紀に丸木弓のバック側(的側)に竹を張り合わせた伏竹弓に進化していきます。

前の記事で600年頃から正式に中国との交流が始まったと書きましたが、早速610年に膠が日本に伝わります。異なる素材から1つの弓を製造するのに欠かせないのは接着剤です。膠は現在でも和弓の製造に使われているほど優れた接着剤です1。この素材と製法が日本に伝わるのは複合弓誕生の最低条件です。

761年に中国(唐)は安史の乱によって乱れた軍備を整える目的で、日本に武器の見本等を与えたうえで、弓を作るための牛角を贈ってほしい要求し、それに応じて牛角7800隻を備蓄し送ることを決定しています。輸送船の座礁により届かなかったようですが…。

Peter Dekker, Manchu Archery

上の写真は角弓を分解したものですが、にんじんのピーラーのように牛の角(70-90cmほど)をスライスした物(①)を弓のフェィス側に張ることで反発力を高める役割をします。唐が弓ではなく、その素材を日本に求めて提供していることから、角弓の作り方自体は遣隋使の時代(600-618年)に日本に伝わった2とされているものの、当時の日本には牛角複合弓を製造する事をしなかった(できなかった)と言えます。

明治前日本造兵史より

一方で、この頃(8世紀)の遺跡からは、すでに複合素材弓が発掘されています。上は伏竹弓の断面図ですが、下の部分の木だけで出土しています。つまり木に何かを張り合わせた弓であることはわかるものの、張り合わせた素材は失われているので推測するしかない状態です3。木と組み合わせる素材は動物の角・腱・他の木材であることが多いのですが、同時期に中国に大量の角を送っていることから、これらは竹とのペアではないかと推測されます。

11世紀ごろには明確に「伏竹弓」という日本語が登場するので、この頃の和弓は竹とのペアであったことが確定します。その後は、いろいろなパターンで竹と木を組み合わせることで、和弓が進歩していきます。複合素材弓となったのちの進化については詳しく研究されているので、それらをご参照ください4

今後7世紀の遺跡からも複合素材弓と見られる弓が発掘され可能性がないとは言えませんが、現状では7世紀前半に日本に膠による接着技術が伝わってから100年程度の期間で日本人が独自の複合弓(木+竹)を作り上げたと言えます

最後に話は少しそれますが、日本書紀には韓国(百済)に支援として大量の矢を送った記録(27巻では10万5)が存在していますが、大量に弓を送ったという記録はありません。当時の記録を見ても、現在の韓国の伝統弓を見ても、韓国の弓は中国に大きな影響を受けているので、矢は共通のものだったので送ったけど、使っていた弓は大きく違うので送らなかったと理解していますが、違う説として、日本が当時韓国(百済)と武器の共有化政策を行っていたという説があります。公開されているので良かったら読んでみてください6。武器の共通化(標準化)のメリット7は現代ではよく知られていますが、6-7世紀にその理解があったのかについては個人的には疑問です。

今回は道具についてでした。来週を目処に国際交流の日本への影響の弓術の影響についてまとめて終わりにしたいと思います。

  1. 寒気と技で理想のカーブ「にべ弓」最盛期 兵庫・上郡 ↩︎
  2. 陳睿垚,七世紀における日本の礼制継受–薬猟を視点として,愛知県立大学大学院国際文化研究科論集,2022 ↩︎
  3. 津野 仁. 古代弓の系譜と展開. 日本考古学 / 日本考古学協会 編. (29) 2010.5,p.81~102. ↩︎
  4. 日本学士院日本科学史刊行会 編『明治前日本造兵史』,日本学術振興会,1960. ↩︎
  5. 日本書紀・現代日本語訳(完全訳) ↩︎
  6. 原始和弓の起源 2015年『日本考古学』 ↩︎
  7. 橋本毅彦,「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》,講談社学術文庫,2013 ↩︎