アーチェリー指導とスポーツ科学

交流するために何名かの弓・弓術・弓道の研究家の方とツイッター(X)で繋がっていて、定期的に確認しているのですが、朝起きたら、こんな投稿がピックアップされて私のところに表示されてきました。

弓道界隈の人口を考えると投稿から半日で1.4万表示は結構盛り上がっているのではないでしょうか。この記事の中身ですが、ポイントとしては、

指導者としての技術レベルが低い人が多いというわけではありません。技術そのものがないのです。江戸時代ならまだしも、解剖学、運動学、数学・物理学が存在しない

医師から見て弓道の指導は終わっている 抜粋

書いている方はアーチェリーと弓道を両方経験している方のようですが、正直そこまで言わなくてもと思う反面、指導される側がもう「江戸時代じゃないんだから」と、現在科学をベースとした指導を希望する気持ちも理解は出来ます。

何年か前に母校のバイオメカニクスの教授の方に連絡して、アーチェリーをバイオメカニクスの視点から研究したいと相談しましたが、「それは難しすぎて現実的ではない」と言われました。そこから、分野の論文を読み漁っているのですが、今では教授の方の言葉はよく理解できます。科学はまだアーチェリーを語るレベルに来ていないのです。おそらく弓道も同様でしょう。

人体は驚くほど複雑な事を簡単にこなします。現在、ある程度わかっているのは単純な筋肉・腱・骨と栄養補給くらいかなと思います。アーチェリーで言えば、適切な栄養補給と、いかにしてポンドアップして、400-500本練習できるからだを作るか、46ポンドの弓が無理なく引けるようになるか程度で、どうしたら上達するかはほぼわかりません。

アーチェリーは複雑な動作です。角度・速度・リリースポイントの解析が必要である点では、「投げる」運動と重複する点が多く、野球・バスケットボールはアーチェリーと比べ物にならないほどの大きな市場で、大量の指導者が存在していますが、それらの人員・資金があっても、正確に投げるために何が重要かわかっただけの段階にすぎません。

現在、プロプリオセプション(proprioception = 固有感覚)が投げる動作の(リリースポイントの)正確性に関わる大切な要因であるとされています。

プロプリオセプション(固有受容感覚)は、スポーツ科学において重要な役割を果たす身体感覚システムです。筋肉、腱、関節からの情報を統合し、身体の位置や動きを無意識的に把握する能力を指します。これにより、アスリートは正確な動作制御や姿勢維持が可能となります。特に高速で複雑な動きを要するスポーツでは、プロプリオセプションが適切なタイミングと力加減を可能にし、パフォーマンス向上に寄与します。

AI(CLAUDE 3.5 SONNET)による要約

簡単に言えば、足元を見なくても、足の小指をタンスにぶつけないで歩ける能力ですが、これが加齢とともに低下すること、病気・事故によって低下した時にある程度回復させるためのリハビリ方法の研究が進んでいる程度で、アスリートとして、いかにこれを向上させるか、科学的な方法は発表もされていもいません。

野球・バスケットボールの投げるは難しすぎます。腕で投げるだけではなく、身体自体の重心移動を伴い、下半身も動作に関与します。科学というのは積み上げですので、まずは(変数の少ない)簡単な動作を研究しようとなります。研究が進んでいる分野の一つにダーツがあります。同じ投げる動作であっても、(厳密には無視できないかもしれませんが)下半身を使わず、ほぼ肘から先だけを使い、片手だけで投げ、体の重心移動はなく、風の影響がない屋内で行い、最も重要なポイントは、実験をするための熟練者が存在します。単純化した投げ動作をみんなにやらせて実験しても比較対象群が存在しません。一方、ダーツにはプロ選手が存在していて、素人とプロの比較が容易です(*)。

*当初私は偉い運動学の先生がなぜこぞってダーツ?? と思ってました、無知は怖い。

80年代に投げるスピードと正確性にはトレードオフの関係がある(speed-accuracy-trade-off)ことがわかってきます1。この説明としては、正しくリリースするためのポイントがあると定義したとき、投げるスピードが速いということは、そのポイントを手が通過する時間も速い2ので、正しくダースをリリースするための許容時間(Time in Success Zone: TSZ)が短くなるというものでした。

ダーツ研究をたくさん紹介しても仕方ないので、最近の研究としては、この発展として、プロ選手でも、そのタイミングをピタッと合わせる戦略を取りに行く作戦(B)と、タイミングのばらつきを手の動きによって補正することで、的中のための許容時間を倍に伸ばす作戦(A)の2つが存在しているというものです3

おそらく、この作戦の違いの後者は、経験則で知られているように、タイミングを逃しすなどのミスをした時に、最後まで矢の動きに影響を与えることのできる押し手の動きによって、それをリカバリーしようとする動きに関連付けることができると思いますが、ダーツという変数が5つ程度しかない運動に対して、アーチェリーは変数が10以上は存在するので、解明が進むのはまだまだ先だと考えます。

アーチェリーの動作の前に存在していたとされる投石・投槍(全身動作としての投げ)、その動きの単純化のダース投げの研究がやっと解明された時くらいです。もっと科学的な指導、科学的な裏付けという、被指導側のニーズはよく理解は出来ますが、もうしばらくお待ち下さい。

  1. Gross, J.B. and Gill, D.L. (1982) Competition and instructional set effects on the speed and accuracy of a throwing task. Res. Quart., 53(2): 125-132. ↩︎
  2. 桜井伸二,高槻先歩, 投げる科学,大修館書店,1992 ↩︎
  3. 那須 大毅, 松尾 知之, 投げの正確性に関わる上肢キネマティクス:ダーツ熟練者にみられる異なる方略間の比較, 体育学研究, ↩︎
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山口 諒

熱海フィールド代表、サイト管理人。日本スポーツ人類学会員、弓の歴史を研究中。リカーブ競技歴13年、コンパウンド競技歴5年、ベアボウ競技歴5年。リカーブとコンパウンドで全日本ターゲットに何度か出場、最高成績は準優勝。

2 thoughts on “アーチェリー指導とスポーツ科学

  1.  知りたいことが沢山あるのに、手が届かない、たどり着けないもどかしさとでもいうのでしょうか。
     どこまでが「道」でどこまでが「術」なのか、浅学の身にはなかなか難しいのですが、弓道理論というと、阿波研造氏のことを思い浮かべたり(著作や業績にも目を通してはみましたが…)、文学として中島敦の短編小説「名人伝」の「矢を放たずに鳥を射落とす不射の射」に対する諸々の見解もあるようですが、それだけ奥が深いというか、興味がつきません。
     廃れたのが本当に残念ですが、江戸期の通し矢では、限られた高さの中で、あの距離を射ち続けるための技術と理論の研究は相当だったと思いますし、かつては異なるとはいえ、毎年1月の京都三十三間堂「大的全国大会」で見られう晴れ着の女流弓士(という表現があるのか分かりませんが)の姿は艶やかで、見ていて素敵で、これはこれでありだなあぁと(笑)
     あくまでも、個人的な経験と趣向なので、エクスキューズなのですが、弓道やアーチェリーのことなど「弓」が好きだからこそ、科学的にも、歴史的にも、いろいろな興味と疑問が湧いてきます。
     これからも、刺激的な記事や取り組みを期待しております。

  2. 術はテクニック、技術です。「道」に例えるならそれは「山」です。体力を伴う技術の頂点は15-35才前後です。私も衰えの歳に入っています…(;_;)。衰えていきます。一方で、「道」とは「みち」であり、先に歩んだものが先輩であり、差が縮まることはありません。

    弓術の根本は生きるための技術であることは疑いようがなく、その日の食べ物を得る技術が弓術です。5-1万年前まではそれが全てであり、アーチャーの老いに価値は見出されていません。年をとればそれだけ獲物を得ることが難しくなります。その後、自身も優秀なアーチャーであった孔子の儒教思想などにおいて、老いることに価値が見出されます。いわゆる敬老思想です。弓術であるアーチェリーのトップ選手は大学生であるのに対して、弓道の史上最年少の王者の年齢でも30才だったと思いますが、「術」と「道」の違いはそこにあると思います。

    >「矢を放たずに鳥を射落とす不射の射」

    このような話は人生においてもっともパワフルで活力的な20-30才前半の射手よりも、なぜ「老いた」射手が優れていることを説明するために、考え出されたものだと思います。

    >通し矢では、限られた高さの中で、あの距離を射ち続けるための技術と理論の研究は相当だったと思いますし、かつては異なるとはいえ、毎年1月の京都三十三間堂「大的全国大会」で見られう晴れ着の女流弓士(という表現があるのか分かりませんが)の姿は艶やかで、見ていて素敵で、これはこれでありだなあぁと(笑)

    女流弓士はいいっすね…ではなく、もし興味がありましたら、「堂射の話 : 通し矢天下一に挑んだ武士たち」は興味深い本です。P.220-226に当時の弓道家たちの堂射に関する受けとめが書かれています。ここでも話は同じに感じます。当時、堂射のトップは20才、23歳の選手でした。それでは術であり、道になりません。弓道家は大事なのは「数」ではなく、「中(あたり)」「貫」だと反論しますが…それだって、50才よりは、20才のほうができるだろ…と私は思ってしまいます。

    また、ココだけの話、(ご存知でしたらごめんなさい)堂射はドーピングによって記録された数字なので、WADAアスリートには再現できない記録です。記録によるとトリカブト系の漢方を用いたようです。その名前が真武湯!!!補中益気湯!!!ドーピングを気にはなくてもいい立場になったら飲んでみたくなるネーミングだなと思うのです。

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