この記事は2023年2月27日に書かれたものです。最新の情報とは異なる可能性があります。ご注意ください。

短弓の誕生 – 歴史編. 3

弓を長さで分類した人が誰かなのかはわかりませんが、少なくとも現在、短弓と長弓という言葉が存在はしています。ちゃんとした論文でも登場する言葉ですが、一般的な意味で定義されずに使用されています。この記事では、この定義をしたいと思います。ここまで「アーチェリー」「洋弓」「弓術」と定義ばかりしていますが、正しく語らないと話が進まないのでもう少しお付き合いください。

アイスマンの弓(© Südtiroler Archäologiemuseum/ – Harald Wisthaler. Harald Wisthaler. www.iceman.it)

1991年に アルプス山脈で発見されたアイスマンと呼ばれるミイラ化した遺体と同時に回収された5000年前の弓の長さは、所有者の身長が159~163cmであると推測されているのに対して、183.5cmもあるイチイ製のものです。ヨーロッパ各地で発見された新石器時代の弓の強さは40ポンド~90ポンドであると推測されているのですが、引かれるとき弓は長いほど素材にストレスがかからず、簡単に作ることができるため、ほとんどが人間の身長と同じくらいであり、初期の弓はすべて長弓であると”します”。

*毒矢を使う狩猟法をメインとする文化では、物理的な長さが”短い”弓が存在していますが、この定義ではこれも長弓と分類します。

なぜ、初期の弓をすべて長弓と定義するかといえば、自分で調べた限りでは、より「長い弓」を作ろうとした文明がなかったからです。紀元前4000年ほど前まではどの文明においても成人が使用する弓の長さは、その地域に適した1種類しかなく、他に発掘されるのは非常に弱い成人用に比べて短い弓だけで、これは短弓というよりは、子供の練習用の弓とみなすべきでしょう。そのため、紀元前4000年までは長弓=弓、短弓=子供用のおもちゃだったと考えられます。

Karl Chandler Randall, Origins and comparative performance of the composite bow, 2016

しかし、より「短い弓」を作ろうとした文明は明らかにありました。上記は紀元前4000年~紀元前2000年頃のエラムとメソポタミア文明において残っている弓が描かれている絵を分析したデータです。長さが相対的なために、描かれている人物の身長を170cmと定義した時、紀元前3800-2400年における弓の長さの平均は113cmであり、紀元前2300-1850年頃には82cmまで短くなっています。この期間にメソポタミア人の身長が変わっていないとすれば、弓が30%以上短くなったことが示されています。

この変化は当時登場した戦車を使用した新しい戦略のために、不安定な足場で使用するのに適した弓が必要になり、この弓術的な要請によるものだと考えられています。狩猟において自然と相対する時、動物の獲物は大きく変わらないわけですから、弓の形状は固定化されますが、人間が相手の場合には知恵比べになり、それによって短弓が生まれます。後述しますが、この後の弓の変化も人間の変化によるものです(騎士が鎖帷子から鎧を着るようになったため)。

弓の強さを維持したまま短くすると、素材に大きな負荷がかかるため、セルフボウ(単一素材)では技術的な限界があり、複数の素材を組み合わせたコンポジットボウがこのときに誕生します。

考古学的な資料によってはコンポジットボウの誕生に焦点を当てますが、レビットが言うように「ドリルが欲しい人はドリルが欲しいのではなく、穴が欲しい」のであって、コンポジットボウの誕生にはその製造技術の進歩が当然必要だとしても、それ以前に「短い弓」がほしいというニーズが先にあってしかるべきで、そのニーズが初めて生まれたのが、人間が歩射から騎射と分類できなくもない、(当時なのでポニーのようなものだったと思うが)馬に引かれた車の上から射るという新しい弓術の要請によって、「短弓」が生まれ、この時代に「弓」が「長弓」と「短弓」に分かれます。

*洋弓の歴史なのでヨーロッパ全域はさらっていますが、他の地域ではこの限りではないかもしれません

チャリオット(戦車・戦闘用馬車) - カデシュの戦いで戦車から戦うラムセスII世

つまり、人類学的な研究のように弓の長さを測定して短弓と長弓に分類するべきではなく、その弓が「長い」のか「短い」のかは弓術の中に境界線があるのです。見た目ではありません。実際、和弓において短弓と長弓の境目は6尺(182cm)にあり、66インチ(168cm)のイングリッシュロングボウは短弓です。

「元始、女性は太陽であった」なんて言葉がふと思い浮かびましたが、元始、弓はすべて歩射に適した長さの弓であり、その後、騎射が生まれたことでより短い弓が必要となり、短弓が開発され、区別するため、ただの弓は長弓と呼ばれるようになったのです

*古代中国などでは複合素材の短弓が誕生したことで単一の素材の長弓は駆逐されました。しかし、日本にもこのタイプの弓は伝わったものの、和弓はその製法に複合素材を取り入れただけで、弓が短くなることはありませんでした。高橋昌明は著書にて「すでに述べた馬上で扱うには長大すぎる弓であっても、立射を可能にする鐙と鞍橋の出現によって、ある程度難点を補うことができたわけである(武士の成立 武士像の創出 p.284)」としています。

アンダマンの弓

複合素材の弓は製造が困難であり、湿度に弱いことが欠点でした。そのためにギリシャ・ローマ時代では、セルフボウはトレーニング用に、本番・戦時には複合弓が使われるようになります。また、湿度が常に高い地域や騎射文化がそもそもない文化では短弓への移行は起きませんでした。


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Ryo

(株)JPアーチェリー代表。担当業務はアーチェリー用品の仕入れ。リカーブ競技歴13年、コンパウンド競技歴5年、2021年よりターゲットベアボウに転向。リカーブとコンパウンドで全日本ターゲットに何度か出場、最高成績は2位(準優勝)。次はベアボウでの出場を目指す。

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