抛石(ほうせき)とは何か – 日本投石機史

(写真1)Flickr user Gary Todd -中国人民革命軍事博物館

*今後の記事のために「抛石」という日本語を解釈する必要があったための記事です。

「抛石」という言葉の意味

「抛石」という言葉自体は「石を投げる」という一般的な意味を持つ言葉です。『後漢書』や『晋書』などの史書では、「抛石」は単に手で石を投げる行為を指す場合もあります。推古天皇26年(618年)8月、高句麗から日本へ軍事物資が献上されました。『日本書紀』にはこう記されています。

「……及鼓吹、弩、抛石之類十物、并土物駱駝一匹を献ず」 (訳:太鼓や笛、弩(おおゆみ)、抛石(いしはじき)の類など十種類、あわせて地元の産物と駱駝一匹を献上した)

外交上の「献上品」として記録されている以上、単なる「石を投げること」を意味しているとは考えにくいです。隣国への贈り物として価値を持つ何らかの特別な技術や装置を指していると解釈すべきでしょう。この618年という年は、中国で隋が滅亡し唐が建国された激動の時代です。その6年前(612年)、高句麗は隋の煬帝による大遠征を撃退していました。この「抛石」は、世界帝国・隋を退けた高句麗の軍事技術力を誇示する外交上のデモンストレーションであったと考えられます。

「抛石」という名称について

当時の日本には、すでに投石機の概念は知られていました。『和名類聚抄』(10世紀)には「旝(いしはじき/以之波之岐)」という漢字で記録されており、これは古代中国の字典『説文解字』に由来する学術的な表記です。

しかし、『日本書紀』では高句麗からの献上品を「抛石」と記録しています。これは、贈り主である高句麗側が使用していた名称をそのまま採用したものと考えられます。「旝」が日本の辞書(字書)における学術的な呼称であったのに対し、「抛石」は実戦で使われる大陸の軍事用語でした。ただ、日本でも約200年後の『令義解』巻第十四(833年成立)には、抛石について明確な定義が記されています。

「抛者猶擲也。作機械擲石撃敵也」 (訳:「抛」とは「擲(なげうつ)」と同じである。機械を作って石を投げ、敵を撃つものである)

日本側の一次史料には、618年に献上された「抛石」そのものの設計図や詳細な外見を記したものは現存しません。そこで、韓国最古の正史『三国史記』および中国の正史『隋書』『北史』を参照する必要があります。これらの資料では、投石機を「抛車(ポチャ/ほうしゃ)」あるいは「抛石機(ほうせきき)」と呼んでいます。高句麗は当時、強大な隋・唐と死闘を繰り広げていました。その山城(サンソン)防御の要となったのが、この抛車でした。

隋との戦争(612年):遼東城の攻防

『隋書』卷八十一・列傳第四十六(東夷・高麗)には、以下の記述があります。

「(隋軍)又作飛楼、橦車、雲梯、地道、四面攻之。高句麗人亦隨機應變、作抛車、飛石所及、皆砕。」

(訳:隋の軍勢は飛楼(高い物見櫓)、橦車(衝角)、雲梯(はしご)、地道(トンネル)を作り、四方から攻撃した。高句麗の人々も状況に応じて臨機応変に対応し、抛車(投石機)を作り、飛んでくる石が当たるところは皆粉砕された。)

隋という巨大帝国が最新の攻城兵器を投入したのに対し、高句麗は自ら投石機を製造して応戦し、敵の兵器を破壊したのです。

唐との戦争(645年):安市城・遼東城の攻防

『三国史記』巻第二十一・高句麗本紀第九(宝蔵王四年)には、唐軍の抛車運用が記録されています。

「帝乃命李勣、張亮、以抛車攻之、飛石所及、屋瓦皆砕。城中人皆施布帷、以障之。」

(訳:唐の皇帝は李勣や張亮に命じ、抛車(投石機)をもって攻撃させた。飛んできた石が当たるところ、屋根の瓦は皆粉砕された。城中の人々は皆、布のカーテン(帷)を張り巡らせて防ごうとした。)

この記録から、抛車の射程は約300歩(約450m)以上に達し、城壁の楼閣を破壊できるほどの威力があったことがわかります。

投石機の実際の大きさ

上記の韓国・中国側資料から推測される投石機は、非常に大型の兵器でした。

要素推測される実態根拠資料
構造人力式トレブシェット『隋書』の「隨機應變、作抛車」という記述から、現場で木材を組み上げ可能な人力式であることがわかる
威力攻城兵器の破壊瓦だけでなく、隋の「橦車(大型の台車)」を粉砕するほどの衝撃力がありました
射程約300歩(450m以上)『三国史記』における唐軍の運用記録から推測されます
運用組織的な集団戦術数十人の兵士が一斉に引き綱を引きます

投石機の構造を考えると、実戦で使用される大型の投石機は巨大な木製の架台、長い投射アーム、そして数十人の兵士が引く引き綱を必要としました。このような大型兵器を完成品のまま海を越えて運搬することは、現実的には極めて困難です。

では、抛石として何が献上されたのでしょうか。ここで参考になるのが、同時に献上された弩の例です。弩は完成品だけでなく製造技術と技術者が移転されていたことがわかっています同様に、抛石として献上されたものも、以下のセットであった可能性が高いです。

  1. 設計図(図面・仕様書):製造方法を記した文書
  2. 縮小模型:構造を理解するための実物大でない模型(写真1)
  3. 技術者(職人):投石機の製造・運用を指導できる人材

また、抛石とは単に石を投げる道具ではなく、山城を守り抜いた実績のある高度な工学技術であったと考えられます。ここが大事なところであり、高句麗からもたらされた抛石の技術は、攻城兵器ではなく、防城兵器としての投石機であったということです。

ところで、中国の正史には、倭国(日本)の城郭についての記述があります。そこには、当時の日本には中国や朝鮮半島で見られるような石積みの城壁が存在しなかったことが明記されています。

『隋書』倭国伝

「無城郭」 (訳:城郭がない)

『旧唐書』倭国伝

「其の国、居るに城郭なく、木を以て柵を為り、草を以て屋を為る」 (訳:その国は、住むのに城郭がなく、木で柵を作り、草で家を建てている)

中国側から見た当時の日本は、城壁を持たない「無城郭」の国でした。投石機(抛車)は、まさに高い城壁を破壊するために発達した兵器です。城壁のない日本では、その本領を発揮する場面がありません。

飛鳥・奈良時代の日本における防御施設は、主に以下の構造でした。

  • 土塁(どるい):土を盛り上げた防壁
  • 柵(さく):木材を立てた防柵
  • 濠(ほり):周囲を掘った溝

これらは「城郭」というよりも「城柵(じょうさく)」と呼ばれ、東北地方の蝦夷対策などで多用されました。多賀城(724年創建)や秋田城などが代表的な城柵です。土と木を主材料とする構造物に対して、石を高速で叩きつける投石機は、必ずしも最適な兵器ではありませんでした。

『養老律令・軍防令』(718年)では、兵士の訓練項目として「発弩、抛石」が規定されていました。

「即令於当府、教習弓馬、用刀、弄槍、及発弩、抛石」 (訳:当府において、弓馬、刀、槍、および弩を放つこと、石を抛ずることを教え習わせよ)

しかし、ここで注目すべきは弩と抛石のその後の記録の差です。弩に関しては豊富な記録が残っています。

  • 740年(天平12年):藤原広嗣の乱で弩が使用された記録(『続日本紀』)
  • 奈良時代末期:宮城県の伊治城跡から弩の引き金部分「機」が出土
  • 『延喜式』:国衙(地方行政機関)で弩が製作されたことを記載
  • 895年(寛平7年):越前国(現在の福井県)で弩師の設置が申請・許可された記録

一方、抛石に関しては記録がほとんど残っていません。「弩師」のような専門の指導者が配置されたという記録もなく、抛石機の製造や運用を担当する「抛石師」「石師」といった職種も確認されていません。

この差が生まれた理由はまさに守るための城壁がなかったためだと考えられます。結果として、弩が平安中期まで実態のある兵器として維持されたのに対し、抛石(投石機)の具体的な技術は早い段階で失われたと思われます。

日本での城壁化

日本の城郭史をたどると、石積みを持つ城郭には二つの波がありました。そしてその両方で、投石機は攻城兵器ではなく、防城兵器として位置づけられていました。

白村江の戦いと古代山城 – 国家の危機と大陸式築城技術の導入

西暦663年、日本(倭国)は百済復興を支援すべく朝鮮半島へ出兵しましたが、唐・新羅連合軍の前に大敗を喫しました(白村江の戦い)。この敗北により、日本本土が唐・新羅の侵攻を受ける可能性が現実味を帯びることとなりました。

天智天皇を中心とする政権は、大宰府や近畿の中枢部を守るため、九州北部から瀬戸内、近畿に至る広範囲に防衛線を構築しました。この時、築城の中核を担ったのが、日本に亡命してきた百済の貴族や技術者たちでした。これが「古代山城(こだいやまじろ)」と呼ばれる軍事施設群です。

古代山城の城壁は、主に以下の構造で構成されていました。

構造要素技術的特徴代表的遺構
版築土塁質の異なる土砂を交互に積み上げ、一層ごとに突き固める鬼ノ城、大野城の外郭線
石垣谷部や急斜面の補強として大規模に石を積む大野城「百間石垣」
水門城内の排水を管理し、城壁崩壊を防ぐ大野城の水門遺構
城門12本の角柱を立て、両脇を版築で固める堅固な門鬼ノ城の西門・南門
百間石垣(九州歴史資料館)

福岡県の大野城に残る百間石垣は、全長約180メートル、高さ約4メートルに及ぶ大規模なもので、75度という急斜面に築かれています。

ここで注目すべきは、高句麗から抛石が献上された618年から、白村江の戦いまでわずか45年しか経っていないことです。高句麗が隋の大軍を撃退した時も、投石機は城を守る側が使っていました。高句麗における投石機の本来の用途は、城壁の上から迫りくる攻城兵器を破壊する防御兵器だったのです。

しかし、懸念された唐・新羅の侵攻は結果として起こりませんでした。百済から伝わった高度な石積み技術は、その後の日本の城造りに継承されませんでした。古代山城は国家規模のプロジェクトであり、その放棄とともに技術者集団も拡散・消失してしまいました。

平安時代から室町時代にかけて、日本の城郭は土の城が主流でした。この時期の城は、山の地形を削って造る切岸(きりぎし)や土塁、そして堀を組み合わせた防御体系でした。城といえば土造りという常識が数百年続いたため、当時の武士にとって、全山を石垣で覆うような発想自体が失われていきました。

元寇(1274年・1281年):大陸式投石機との再会

蒙古襲来絵詞(抜粋)

平安時代に文献上の知識となっていた投石機は、元寇(蒙古襲来)によって再び現実の脅威として日本人の前に現れました。モンゴル軍が使用した「回回砲(かいかいほう)」は、フビライに仕えたイラン人技術者が製造した大型投石機で、ペルシア語の「マンジャニーク」が語源とされています。襄陽の戦いなど南宋との戦いで大きな効果を上げた攻城兵器で、大型の石弾を約700〜800メートルもの長距離まで飛ばすことができました。

鷹島海底遺跡(長崎県)出土石弾

『八幡愚童訓(*)』には、その凄惨な被害が記録されています。

「大石を石弓にて飛ばす。其の飛ぶこと電(いなづま)の如し。中(あた)る所、何物か堪(た)ふべき。手足うち砕かれ、冑(かぶと)うち割られ、脳(のう)出でぬる者、数を知らず。」

長崎県の鷹島海底遺跡からは、モンゴル軍が使用したとみられる石弾が発掘されており、投石機が実際に使用されていたことが考古学的にも確認されています。

*(wiki)超自然的な内容だけでなく地理的にも不正確な記述が多く、明治後期から昭和前期にかけて活動した考古学者の中山平次郎は「八幡愚童訓は実録にあらず」とこの史料をこき下ろしている。しかし、文永の役を詳述した日本側の史料はほぼ八幡愚童訓だけであったために学界でも長らく活用されていた。

南北朝時代(14世紀) 楠木正成と千早城 – 「石」を防城兵器として活用

鎌倉幕府との戦いにおいて、楠木正成は石を防御兵器として最大限に活用しました。その拠点となった千早城(現在の大阪府千早赤阪村)は、四方を深い谷に囲まれた天然の要害でした。

『太平記』によれば、籠城兵はわずか数百人であったのに対し、幕府軍は数万人規模でした。楠木軍は以下のような戦術で幕府軍を撃退しました。

戦術具体的方法効果
落石攻撃櫓から大木や大石を落とす攻め寄せる敵兵を撃退
投石攻撃石を飛ばして敵を攻撃遠距離からの攻撃が可能
熱湯攻め塀を二重にし、熱湯をかける登城しようとする敵兵を撃退
わら人形作戦わら人形に甲冑を着せて敵を欺く敵の矢や兵力を消耗させる

この時期の文献では、機械仕掛けの石弓と、単に崖から落とす落石(おとしし)の区別が曖昧になり、総称として石(いし)や石弓(いしゆみ)が使われるようになります。

応仁の乱(1467〜1477年) 発石木の登場 – 投石機の実戦使用記録

応仁の乱では発石木(はっせきぼく)と呼ばれる投石機が実際に使用されました。応仁2年(1468年)1月、東軍は大和国から工匠を呼び寄せて発石木を製造させたことが記録されています。投擲された石は、当たった場所を破壊するほどの威力を持っていたと伝えられています。

この戦いでは、両軍が陣地の周囲に堀を掘って要塞化する「御構(おんかまえ)」と呼ばれる防御施設を築き、市街戦が実質的に攻城戦の様相を呈しました。この時期、実務的な国語辞書が編纂されるようになり、難解な漢字(旝、弩)から、現代に近い石弓という表記が定着します。『下学集(1444年)』『節用集(15世紀なかば)』では武器を扱う武備門において、「石弓(いしゆみ/いしはじき)」という項目が立てられます。知識人だけでなく、一般の武士や読み書きのできる層の間でも石を投げる装置 = 石弓という言葉が一般化しました。

攻撃側は火砲へ、守備側は石へ

戦国時代の文献には、「石弓」「発石木」「飛砲」といった名称で投石機が登場します。しかし、その用途は興味深いことに、圧倒的に「防城兵器」としての記録が多いのです。16世紀後半に火縄銃が普及し、さらに大筒(大砲)が導入されると、攻撃側は火薬を使った新兵器に移行しました。一方、守備側は城壁上から石や丸太を投げ落とす伝統的な防御法を維持していました。高句麗の防城兵器として導入された投石機の技術は最後まで攻城兵器にならなかったことが伺えます。

おわりに

618年に高句麗から献上された-防城兵器として抛石は、当時の東アジアにおける最先端の軍事技術でした。しかし、日本の城郭が土塁主体であったこと、戦術が個人戦重視に変化したことから、この技術は一旦歴史の表舞台から姿を消しました。

興味深いのは、同時に献上された弩が弩師の配置や製造技術の記録を残しているのに対し、抛石についてはそのような記録がほとんど残っていない点です。日本の戦術環境には、投石機よりも弩のほうが適合していたことがうかがえます。

その後、元寇で大陸式投石機(回回砲)の威力を目の当たりにし、南北朝時代には楠木正成が千早城で落石戦術を駆使し、応仁の乱では発石木が製造されました。戦国時代には防城兵器として再び実戦に登場し、「抛石」は「石弓」という名で定着することとなります。

古代から戦国時代まで一貫して、日本では投石機は城を守る側の兵器として位置づけられてきました。抛石の歴史は、日本の軍事史・築城史を読み解く重要な鍵となっています。


参考文献

一次史料

日本

  • 『日本書紀』推古天皇26年(618年)8月の条
  • 『養老律令・軍防令』(718年)
  • 『続日本紀』天平12年(740年)の条
  • 『令義解』巻第十四(833年)
  • 『延喜式』(927年)
  • 『和名類聚抄』(10世紀)
  • 『八幡愚童訓』(鎌倉時代)
  • 『太平記』(14世紀)
  • 『蒙古襲来絵詞』

中国・朝鮮

  • 『隋書』卷八十一・列傳第四十六(東夷・高麗)
  • 『旧唐書』倭国伝
  • 『三国史記』巻第二十一・高句麗本紀第九

考古学的資料

  • 伊治城跡出土の弩機(宮城県)
  • 鷹島海底遺跡出土の石弾(長崎県)
  • 大野城「百間石垣」遺構(福岡県)

参照辞書

  • 『類聚名義抄』(11世紀末〜12世紀)
  • 『下学集』(室町時代)
  • 『節用集』(室町時代)
  • 『説文解字』(後漢)

城郭関連資料

  • 大野城跡(福岡県・国特別史跡)
  • 鬼ノ城跡(岡山県・国史跡)
  • 安土城跡(滋賀県・国特別史跡)

投石機の呼び名の変化

時代主な表記使用状況・背景
飛鳥・奈良抛石、旝大陸から伝来した軍事用語と、日本の辞書における学術的表記が並存
平安旝(いしはじき)『和名類聚抄』などの辞書に記載されるが、実用記録は少ない
鎌倉石弓(いしゆみ)元寇で投石機を目撃した武士たちが「石を飛ばす弓」として記録
室町石弓、発石木、飛砲攻城戦で使用された記録あり(応仁の乱など)
戦国石弓防城兵器として実戦使用。鉄砲の普及により攻撃側は火器へ移行
現代投石機、カタパルト西洋の歴史兵器との対比により、より一般的な名称が普及

知識層が使う「旝(いしはじき)」という難解な漢字が次第に使われなくなり、「石弓(いしゆみ)」という平易でイメージしやすい表記に置き換わっていったことがわかります。

【記録更新】ウズベキスタンで8万年前の矢じり発見

2024年に下記の記事を書きました。アフリカでは7万年前の矢じり、ヨーロッパでは5万年前の矢じりがこれまでに見つかっていますが、2025年8月に発表された最新の研究で、ウズベキスタンのオビ=ラフマット(Obi-Rakhmat)遺跡から、約8万年前の矢じりが発見されたと報告されました1

上の写真は新しく発見された8万年前のオビ=ラフマット遺跡の石器と、前の記事の5万4000年前のマンドリン洞窟の石器を並べて比較したもので、「交換可能なほど似ている」とされています。

次の疑問は当然、6,000km&2万5,000年も離れているのに同じ設計思想で作られている理由になりますが、新しい論文では、アジアからヨーロッパへと伝播していった可能性を示唆しています。

2021年、5年前の研究にもとづいた書かれた図に新しく発見された遺跡を追加するとこんな感じです。アフリカ→中央アジアやペルシャ高原→ヨーロッパという流れで弓矢の技術で伝わっていったことになります。ただし、論文の著者はこれを作業仮説として採用しているにすぎ、引き続き研究が続くことになります。続く。

  1. Hugues Plisson et al. (2025) “Arrow heads at Obi-Rakhmat (Uzbekistan) 80 ka ago?” PLOS One 20. ↩︎

Revolution bows 2026 昔見たような

フェイスブックで新年の挨拶をアップしていたら、2026ATAショーでRevolution bowsが新しいデザインのコンパウンドボウを発表していました。動画もアップされているので、確認したところ、特に現行のものに比べてものすごく静かなわけではなさそうです。スペックを見る限り、大きさ(24インチ)が革新的といったところでしょうか。仕組みとしては昔のMathewsのNo Camと同じような…。。。

https://www.archeryhistory.com より

いや、どこかで見たようなデザインだと思ったら、80年代にBearアーチェリーが発表した”Delta-V”の同じ傾向の発想かと思います。リムに接続されたカムは引かれたときに、位置が変化するので(*)、発射時にカム移動に無駄なエネルギーが使用されてしまいます。

*通常カムのアクセル間はフルドローになったときのほうが短い

このタイプの弓はカムが可動するリムにではなく、ハンドルに接続されるので、基本的には位置が変化しません。この設計によって、効率性を達成する発想だとは思うのですが、さて、以下に評価されるでしょうか。久しぶりに見た目に驚いた弓でしたね。

2026年もよろしくお願いします!

熱海でゆっくり生きています。2026年も更新回数はそんなに多くないと思いますが、少しは書きたいことが溜まってきました。

久しぶりにアクセス数を確認したところ、900万を超えていました。ありがとうございます、とともに、AI経由(情報源にされているのかな)のアクセス数が増えているようです。AI経由のアクセスログだと、読んでいただいている層の顔があまり想像がつかないのですが、よい記事が書けるよう努力するのみですかね。

昨年末にKinovea 2025.1.1が発表されました。新しい機能がいくつも新しく実装されています。今まで紹介記事を書いてきましたが、AIの進歩によって、ブラウザ標準の自動翻訳でも十分に内容を理解できる用になってきましたので、オフィシャルの発表ページでご確認ください。人間がやることが減ってきましたね(笑)

What’s new in Kinovea 2025.1

パラアーチェリーの答え合わせです

皆様、久しぶりの投稿になります。今年に入り、こども食堂の運営等で、忙しくて全く記事を更新できていなかったのですが、今週末のイベントは福祉協議会の方の主催で当日手伝うだけなので、余裕ができ、昔の答え合わせを。前回の記事は、2024年11月25日の下記の記事です。

その後の流れとしては、細かく追っていないのですが、羅列しますと、

2025年2月17日 パラアーチェリー連盟を資格停止 組織運営に問題と日本パラ協会(共同通信)

2025年3月21日 全ア連理事の岡野悟郎氏がコンプライアンス違反で処分(全ア連)

2025年3月26日 競技団体の処分について(文部科学省)

2025年4月16日 全ア連理事のる田中伸周氏が必要な対応を講じなかったという理由で処分(全ア連)

2025年5月25日 パラアーチェリー国内競技団体 解散決定(NHK)

*理事の処分の具体的な内容は非公表

という感じのようです。また、今後の流れとしては「国際大会出場に必要な IF への選手登録や大会エントリー手続き等は、全日本アーチェリー連盟へ協力を依頼。(公益財団法人日本パラスポーツ協会発表)」とあり、6月の全ア連の総会にて賛成44、反対3の投票により、今後は全ア連が協力して運営していくことが確定しました。

前回の記事では書きませんでしたが、内紛の根本的な原因は推測できませんが、解散しないと解決できない状態になってしまったのは、私の経験から推測するに、ハンコの管理が不完全だったのではないかと思います。

ゴタゴタしている約一年間でも、事務局がある程度稼働し、ホームページなどでの情報発信もされている状況から想像するに、連盟の正当な代表者とは別の人間が、連盟の活動に必要な支払いをするための銀行印・通帳を所持していたのではないかと推測します。そうすると、時間をかけて裁判するか、一度団体を解散るしかなくなります。

解散という判断は、新体制でできるだけ選手たちへのサポートが途切れないようにし、解散することで金銭の流出を防ぎ、通帳・預貯金に関しては、法的手段で時間をかけて回収していく決断かと思います。延々と揉め続けるより、良い判断ではないでしょうか。

昨年夏から、裁判記録を元に色々と書いて来ましたが、問題のパラ連盟も解散しましたので、これにて完結とします。

【再掲載】運動時の水分補給について

【再掲載】この記事を書いてから8年経っていますが、まだまだ誤解がなくならないので、再掲載します。水分補給効果が水よりも優れているものは正しく理解されるようになりましたが、BHIが1を切るものに関しては誤解しか耳に入ってきません。例えば、コーヒーはBHIが0.8程度ですが、あなたが味のしない水が苦手で、コップ1杯(250ml)しか飲めないとしたら、好きなコーヒーなら2杯飲めるなら、250ml x 2 x 0.8 = 400mlの水と同効果で、コーヒーのほうが優れています。飲んだ量よりも、利尿効果によって、出る量が多い飲み物など存在しません。好きなものでいいのでたくさん飲んでください。

—–

最初の記事は2017年に書きましたが、一部、最新の知識によって不適切であるものがありましたので、内容を更新します。

夏の練習で、よく水分補給をしてと言われますが、スポーツ栄養学での「水分補給とは何か」についてる考えたことはありますか?

水分補給とは何か。当然ですが、水分を飲むことではなく、水分を体内に取り入れることです。簡単に言えば、摂取した水分量から、排尿された分を引いた量が、水分補給された量となります。多めに水を飲んでも、全部おしっこになってしまったら意味がないということです。

*https://www.acefitness.org/education-and-resources/professional/prosource/april-2016/5855/the-newest-index-on-the-block-the-hydration-indexより引用

そこで、科学的な実験によって、数値化されているBHI(Beverage Hydration Index = 飲料水分補給指数)という値があります。このグラフでは水の飲料水分補給指数を1とした場合に、それぞれの飲み物にどれだけ水分補給能力があるのかを示しています。数値が高いほど、能力が高いということです。

ただ、この数値には正しい理解が必要です。私は以前、医者が監修した産経新聞の「アルコールはなぜ水分補給にならない」という記事を引用しましたが、この記事は間違っています。BHIはあくまでも水を1としたときの比較をしているに過ぎず、コーヒーやアルコールが1を割っているからと言って、入ってくる水分より、出でいく水分が多くなるわけではありません。

現在では、コーヒーでも水分補給の手段として適切とされています(4杯程度=カフェイン約300mg=エナジードリンク2-3本分)1コーヒーの利尿効果はほとんどは、すでに膀胱にある水分に影響に与えるだけのようです(利尿効果の仕組みは解明されていない)。また、運動中にはカフェインの利尿効果が抑制され、むしろ運動のパフォーマンスを向上させる効果が期待されます2運動開始の1時間前に、体重1kgあたり3-6mmのカフェインを摂取することが目安となります3

また、真夏の運動中、スポーツドリンク等、ミネラルである電解質を補給することは大切ですが、必要量には相当な個人差があります。上の図は506人のアスリート(成人367人、青少年139人、男性404人、女性102人)で計測された汗に含まれるナトリウムの濃度ですが、人によって4-5倍濃度に個人差があることがわかると思います4。そのため、同じ2Lの汗をかいたとしても、失われている電解質の量は人にかなり違い、自分にあった量の補給をすることが大切です

最後に、私はあまりならないのですが、筋肉の痙攣(筋肉がつる)に対して、酢、シナモン、カプサイシン、ショウガを含む液体に回復効果があることが報告されています5。アメリカの報告なので…ピクルスジュースがよいと書かれていますが…そんな物が日本で売っているの見たことないので、より身近な唐辛子や生姜の利用が現実的かなと思います。

以上、ここ10年ほどの新しい知識のアップデートでした。

運動用のピクルスジュース本当にアメリカに売ってた…すげぇ。

  1. Killer SC, Blannin AK, Jeukendrup AE. No evidence of dehydration with moderate daily coffee intake: a counterbalanced cross-over study in a free-living population. PLoS One. 2014 ↩︎
  2. Zhang Y, Coca A, Casa DJ, Antonio J, Green JM, Bishop PA. Caffeine and diuresis during rest and exercise: A meta-analysis. J Sci Med Sport. 2015 ↩︎
  3. Ganio, Matthew & Klau, Jennifer & Casa, Douglas & Armstrong, Lawrence & Maresh, Carl. (2008). Effect of Caffeine on Sport-Specific Endurance Performance: A Systematic Review. Journal of strength and conditioning research / National Strength & Conditioning Association. 23. ↩︎
  4. Baker LB, Barnes KA, Anderson ML, Passe DH, Stofan JR. Normative data for regional sweat sodium concentration and whole-body sweating rate in athletes. J Sports Sci. 2016; ↩︎
  5. Miller KC, McDermott BP, Yeargin SW, Fiol A, Schwellnus MP. An Evidence-Based Review of the Pathophysiology, Treatment, and Prevention of Exercise-Associated Muscle Cramps. J Athl Train. 2022 ↩︎

【第5回】訳あり品をヤフオクにて放出します

第5回目の出品です。手元の商品が少なくなってきました。前川崎店に置いてあるものはまだまだあるので、今度またとってきます。今回は、FIVICSのウェイトなのですが、数が多いので、5個セットとして出しています。入札なければ、今後、もう少し少ない数にバラそうと思います。

よろしくお願いします。

(追記ここまで)

事業譲渡において、在庫品はすべて引き継ぎましたが、箱がないなどの訳あり品は引き継いではないので、今後それらをヤフオクにて格安価格で出品します。クセの強いアイテムが多いとは思いますが、ピッタリあう方が入ればかなりお得だと思います。毎週追加予定です。

ヤフオク ワケアリアーチェリー – JPFINAL

GASボウストリングから新作ライン「SystmX」を発表

GASボウストリング(Gas Bowstrings)が2025年の新しいシリーズとして「SYSTM-X」を発表しました。素材の特徴としては、BCYの新しい素材VX2を使用していることですが、「システム」と名前にあるように、それぞれのメーカーの150種類を超えるの弓に対してテストを行い、それぞれの弓に適した、「スピードノックの場所」「ねじりの数」「サービングの場所」「サービングの太さ」を独自に設計してカスマイズされた独自のストリングを提供するとのことです。

GASで独自設計のためのテストを行ったメーカーの一覧です。国内で流通する弓はほぼ網羅すると思います。具体的なモデル名は下記のサイトで確認できます。

動画で具体的に言及されてはいませんが、映し出されている数字を見ると、2-3%の向上の見込めるとほのめかされています。下記の動画で言及されているように、ホイットは付属するオリジナルの弦の性能向上のために、昨年に弦の製造プロセスを刷新していますが、他の長らく同じ手法で弦を製造しているメーカーだと、オリジナルの弦からSYSTEM-Xに交換するだけで、2%以上の矢速向上を得られる可能性は実際あるのではないかと思います。

今後のメーカー側の対応にも期待したいところです。

SCOTT アーチェリー 2025年リリーサー

スコット(Scott)アーチェリーが2025年の新モデルを発表しました。

左からSR1、STB、LONGHORN EXPERTです。
Lanyard Connection接続例

新しく発表されたのはトリガー式のSR1・STBと、バックテンション式のLONGHORN EXPERTです。劇的に変化した点はなく、変更は新作リリーサー全てで、Lanyard Connection接続に対応したことです。1月頃から出荷が始まるようです。

(気が早い)また、9万円で世界大会に参加してみませんか?

以前、2度バンコクで行われた世界大会に参加しました。それからコロナで旅行が世界からなくなり、私は5年は海外に行っていませんが、先週末の上原瑠果選手が優勝し、山本博さんも参加した台北オープン、意外に簡単に安く行けるのではないかと思い調べてみました。来年の開催(多分未定)まで1年もありますが、お付き合いください。試合が終わってから試算しているので、今週末の場合での計画です。金額大きくは変わらないかと思います。

試合の開催要項は下記のリンクで確認できます。

https://extranet.worldarchery.sport/documents/index.php/?doc=6758

試合の参加は15000円です(150円/ドル)です。試合は金曜日に予選(ベアボウ男子は13時から)、土曜日にマッチ戦、日曜日にファイナル戦です。金・土は参加し、日曜日は資料採集後(トップ選手の射形の撮影)、少し観光してからの帰国にしましょう。

撮影したものはこういった動画として皆さんに提供できると思います。

となると、これが良さそうです。金曜日の午前着、日曜日は20時過ぎまで、市内に滞在でき、欲張りなので、香港に一泊して、朝食を楽しんで、月曜日帰国です。49000円です。

ホテルは空港の近くのこちらで2泊で15000円、香港泊ホテルは5000円。

以上、参加費15000円、ホテル代20000円、飛行機代49000円、現地移動費3000円(現地メトロ72時間乗り放題の価格)で87,000円です(ご飯は含まれていません)。ご飯代入れて10-11万円くらいでしょうか。

以前に実際に9万円でインドアワールドカップに参加したときの記事です。コロナが変わってしまった部分もあるかもしれませんが、意外に世界大会への参加は難しくないものですよ。