税金のせいで台無し? 武器の進化と退化の学際的研究 弓矢編

トップの写真は研究の失敗の原因と思われる国からの交付金(税金)による研究のために行われた研究成果の公開展示の様子です。復元弓が完璧な姿で展示されています。

前に複合弓が奈良時代の終わりごろ、8世紀に日本で誕生していたと書きましたが、調べていくと、初期のコンポジットボウ(複合弓)はそれまでのセフルボウよりも性能が低かったという研究が存在するようです。それがこの記事で扱う「武器の進化と退化の学際的研究 : 弓矢編」です。性能が低かったといってもいろいろな観点があるので、どの視点で比較しているのかなと論文を読んでみたら…この共同研究したのは立派な学者さんたちですが、内容がとんでもないデタラメでした。毎回と思うのですが、なぜ弓の研究なのに弓の専門家を入れないで「学際的研究(多数の専門分野を跨ぐ)」と命名していながら、同じ分野の研究者メンバーを固めるのでしょうか。不思議です。

まずはこの報告書のメインとなっている「復元弓の工学実験」という研究について説明しますと、いろいろな時代の弓が見つかっていますが、貴重な文化財なのでその弓を引いて性能を調べるわけにはいかないので、同じ形状・材質でレプリカ(復元弓)を作成して、復元弓で実験を行って、どんな弓で、どのような性質を持つのかを研究しようという、テーマ自体はとても立派なものであります。

ここまでは良かったのですが、実際に復元弓で実験を行うと3号は少し引いただけで折れてしまったのです。ここから歯車が狂っていきます。その後、折れないように10-15cmしか引かないで、実験が進んでいきます。復元弓に関しては多様なデータを取ることが求められるので、弓を破壊しないで研究することは当然大事なのですが、すべてのデータを取得した後、その弓はどれだけ引けるのか(引いたら壊れるのか)を知ることも大切です。

科研費(税金)を使った研究は当然報告を求められます。最終段階で(レプリカに過ぎない)試料を研究のためには全部破壊しても問題ないと思いますが、(私の想像の域を超えませんが)最後に復元弓をきれいな状態で展示発表をするために、弓を壊す可能性のある実験はしなかったのでしょう。

それによって研究結果がでたらめになっていきます。復元弓1について見ると、有限要素解析というシミュレーションを行って、理論値は15.8cmが限界であるとしたうえで、10cmしか引きませんでした。

その上で、現代の成人男性が使う和弓が20キロと定義し、この弓を20キロ引いたときの初速を計算して、このグラフだと48cmくらい引いた時に初速189km/hです…実験で10cmしか引いておらず、その時点ですでに折れそうで、シミュレーションでは約16cmで破壊される弓を48cm引いたときの初速をこの弓の性能としているのです。しかも、試算してみたwwwならともかく、このデータを結論に使ってしまいます

コンポジットボウである弓(復元弓11号)は129km/hであり、復元弓1(189km)よりも遅く、当初の予想と違う結果でびっくりと結論付けています。そして、この結果が他の研究において、先行研究として参照され、初期のコンポジットボウはセルフボウに比べて遅かったという説が増えていきます。いや、弓1は189km出ないって…!

この図は比較論としては使えるのか悩んでいるところですが、5年前の最新のコンパウンドボウで弓の効率性はやっと90%を達成しています。最新のリカーブボウでも80-85%であるのに対して、初期の木と竹を張り合わせただけのコンポジットボウがいきなり効率性90%を達成することはありえないでしょう…ただ、コンポジットボウの効率性が一番高いという点では、数値は全部間違っていても、全部割合だけ間違っているなら、これらの弓の効率性の比較として論じることに使用することはできるのかもしれませんね。

せっかく税金を投入したのだから、研究の最後にすべての復元弓を壊れるまで引いて、その値の90-95%程度をその弓の性能(初速)とすれば、その結果はすごく有用な数字であったのに…残念です。展示するのそんなに大事かな?


世界最古の檠(ゆだめ)

http://news.jznews.com.cn/system/2023/03/17/030035603.shtml

前の記事で中国の檠(ゆだめ)について触れたので、中国で最近発掘されたおそらく世界最古の弓のジグについて少し。他にも檠は発掘されていると思いますが、ただの棒なので、弓が隣でセットで発掘されない限り、檠として考古学者によって分類されるのは絶望的だと思います。

*ネット記事で構成しています。詳細は秦俑坑出土弓弩“檠”新探という論文にあると考えていますが、一般人が利用できる国内の図書館になく、読めてはいません。東大にはあるらしいが…

この時代(2200年前)の弓以外のアクセサリーが発掘、または、正しく解釈されることは本当に珍しいのですが、兵馬俑1号坑の前回の発掘では、銅の棒が出土しています1。復元後の写真の弦の内側に見えるもので、長さは50cm・直径0.3cmの銅の棒で、保管時(クロスボウは基本ブレースしたままで保管する)の弦の伸び・リムの変形を抑え、発射時のリムへの負担を抑えるという役割をするものです。

Chinanews.com

そして、今回の第三次発掘(20092)では、写真のように完璧な位置で檠(檠木)が発掘され、トップ写真のようにリムの形状の整えるものであるとして発表されました。長さ40cm、直径3cmで穴が3つ空いている木片です。弓から2mでも離れていたら正しく解釈される可能性は絶望的ではないかと思います。

Artist Archeryより

よく考えれば、金属が非常に高価であった時代に現代のようなジグでクランプを大量に使用して固定することなど出来ないので、木と糸による固定でリムを形成していたのでしょう。檠で形成するとは書かれていても、具体的にどのようなやり方で、というのは記録等残っていませんでした。古代の弓づくりを理解するための貴重な資料だと思います。

青阳弓箭より

その後、清(300年前)の時代には「弓挪子」というものが使用されるようになります3が、このジグの構造は単純ですが、これを使用するためには材料のサイズを確実に一定にする必要があるので、材料の供給・加工技術が高度化してから清よりはもう少し前なのかと思います。

  1. 秦始皇兵马俑博物馆 [编],秦始皇陵铜车马修复报告,1998 ↩︎
  2. 李洛旻,《荀子》「接人則用抴」解詁及其禮學意涵,《中國文化研究所學報》第68期,2019, ↩︎
  3. https://www.bilibili.com/video/BV1cJ4m1A7ex/ ↩︎

九和の弓 周礼考工記

Traditional Archery from Six Continents より

ここで一旦、中国最古の弓製造マニュアルである「周礼 考工記」1に触れておきます。周礼について詳しくは触れませんので細かいところを知りたい方はwikiを読んでいただくとして、3000年前に書かれた本です。もっと後に書かれたという説2もありますが、その数字を採用しても2000年前に書かれた詳細な弓製造マニュアルで、中国最古、(合理的な指示としては)世界でも最古のものではないかと思います。細かな年代の議論は本質ではないと思うので、3000~2000年前の(古代中国)弓についてまとめます。

厳密ではありませんが()の中は私による注釈です。

弓は六つの素材を巧みに結合させることで完成します。

・幹(コアとなる木材)は矢を遠くまで飛ばす

・角(ファイス側のバッキング材)は矢を迅速に飛ばす

・筋(バッグ側のバッキング材)は矢が深く刺さるようにする

・膠は弓を接着して一体となす

・糸(絹糸)は弓身を堅くする

・漆は霜や露など水に対する抵抗力を増す

「幹・角・筋・膠・絲・漆」が弓をなす六材であり、木は冬、角は秋、漆は夏に準備する。膠は聞かず(いつでも良い)。幹(木)は叩いて澄んだ音がするものが良い。矢を遠くまで飛ばしたい者(射遠者)なら、形状は自然に曲を持っている材を選ぶ。矢を深く射ち込みたい((射深者))なら、まっすぐな材を選ぶ。幹は木目に対して斜めに裂いてはいけない。最上の材は柘(やまぐわ)であり、最下は竹である。

角は秋に殺した牛のものが厚みがあって良い。春に殺した牛は薄くて良くない。痩せた牛、病気の牛の角も良くない。角の根は白く、中央は青く、先は太い角が最良である。角は脳に近いほうが柔らかくその弾性を利用してやる。先端は脆いのでよく曲がるところに使ってはいけない。

筋は艶があるものが良い。機敏な動物の筋を使えば、その弓もまた機敏な弓となる。筋はくたくたになるまで叩いてから使う。

膠は最上の接着剤である。鹿、馬、牛、ネズミ、魚、犀(サイ)のものを使う。漆は澄んだものが良い。絹糸は水にあるような色のものが良い。

冬に幹を切り、(秋に獲た)角を春に浸し、夏に筋を作り始め、秋に接着する、冬にゆだめ(弓矯・檠=弓の形を成型するためのジグ)にかけて形を整え、大寒に漆の出来を試す。これで春には弓が完成する。

グリップ(写真の3)は薄いと力の抜けた弓になる、厚すぎるとスタッキングして引けない弓になってしまう。木材、角は火で炙って曲げる。弓は三尺(*)引く、引ききった時、弓は流水の如く曲線を描く。

*当時は20cm/尺=60cm、また1尺3(長さ)=1石(重さ)としているが、1石がどの程度なのかの確かな記録はない。およそ20キロ程度ではないか。つまり、3石とは60kgの弓である。

6尺6寸(122cm)は上製、6尺3寸は中製、6尺は下製である。射手の身長によって使い分ける。

・九和の弓

九和の弓は最高の弓である。九和とは三均の三均である。

一均.材・技・時 (良き素材・作り手の技術・正しい季節のバランス)

二均.角・幹・筋 (3つの反発力を生む素材のバランス = ブレース時)

三均.角・幹・筋 (3つの反発力を生む素材のバランス = 引き切った時)

これらが完璧である弓を九和といい、最高の弓なのである。

弱弓は狩猟と的あて競技に使用する、中弓は練習に使う、強弓は鎧などの硬いもの射抜くのに使う。

・スパイン調整とFOCの調整、シャフトの形状

この部分こそ理解にアーチャリーを知っている人が必要で、中国学の本田二郎先生は注釈で「あり得るのか?」と疑問を呈しているが、意味は明らかである。矢のシャフトを水に浮かべる。上を陽、下を陰。シャフトのノック溝は縦にいれる。

何をしているのかと言えば、水にシャフトを浮かべた時、素材が完璧に均一でない限り、比重が軽い部分(スパインが柔らかい)が上に来る。比重が重い部分(スパインが硬い)が下に行く。不完全な素材を使って矢を作る時、硬い部分と柔らかい部分が左右にあると矢は真っすぐ飛ばない。上下に配分するのが一番良い妥協案となるので、そのための製造工程ですね。3000年前から中国はこのような技術まで開発していたのはすごいです。

的あて・高射用の矢の重心は先端から1:2の場所に置く、兵矢・田矢(通常の矢だと思われる)は2:3の場所にに重心を置く、殺矢は3:4の場所に重心を置く。シャフトは前から1/3の部分まではストレートで、そこからノックに向かって細くテーパーしていく。

以上。

  1. 本田二郎 著『周礼通釈』下,秀英出版,1979.11. 国立国会図書館デジタルコレクション ↩︎
  2. 布野 修司,<エッセイ>『周礼』「考工記」匠人営国条考 ↩︎
  3. 浜口富士雄 著『射経』,明徳出版社 ↩︎

ヨーロッパ最古の矢じりと日本への伝播

マイクロポイント(10mm以下)

自分は最近知った情報なのですが、ウィキペディアは去年の10月には更新されていました。こういう情報のアップデートをいち早く知るにはどういたらいいのだろうか。これまで最古の矢じりはアフリカの7万年前のもの1とされていましたが、昨年の論文で54,000年前のフランスのマンドリン洞窟から矢じりが発見されたそうです2。ヨーロッパ地域では最古の矢じりとなります。これまでヨーロッパの弓矢の最古の証拠は約10,000〜12,000年前のものとされていて、多くのアーチェリー関係の本でも、1-2万年前を採用していますが、こうなってくるとやはり、弓矢の歴史を7-5万年前とする説が有力になってきましたね。

発見された213個の矢じり(仮)はサイズによって分類されて、写真下の数字1は弓矢、2は投槍器、3はやり投げ、4は両手で突くを示していますが、10mmは未満のものはそのサイズから矢として使用されたと断言して良いとしています。

そして、あとはやることといえば、前の記事で紹介した再現してヤギを射ることですね。

こちらのチームも再現して、いろいろな投射方法によって吊るされたヤギに当てて、その結果を統計分析しています。今回の論文の写真3はヤラれる前のヤギだったのでモザイクをする必要がなく助かります。

こちらは2021年の段階でのおおよその弓矢の証拠の分布です。ちなみにKaは1000年(kilo annum)という意味です。ここのフランスが大幅に更新されたということになります4

論文の最後には参考文献が書かれているのですが、それをなんとなく眺めていたら、「日本における最初の人類による弓矢技術の使用5」という面白そうな論文を発見しました。ちょっとちゃんと読む時間がなかった&この記事とは直接関係ないので、AIに要約させてみたのですが

本研究は、日本の初期後期旧石器時代の台形石器が狩猟用の矢じりとして投射されていたことを示しています。これにより、人類が日本列島に到達した時点(38,000年前)で、すでに弓矢技術を持っていた可能性が示唆されます。この技術は、森林が豊かな環境での狩猟において重要な役割を果たしていたと考えられます。

https://www.perplexity.ai/ with GPT4-o 

と38,000年ほど前から日本で弓矢が使用された可能性があるとのことでした。これに関連する記事を書くかはわかりませんが、心に留めておきます。

  1. Marlize Lombard, Quartz-tipped arrows older than 60 ka: further use-trace evidence from Sibudu, KwaZulu-Natal, South Africa, Journal of Archaeological Science, Volume 38, Issue 8, 2011, ↩︎
  2. Laure Metz et al. ,Bow-and-arrow, technology of the first modern humans in Europe 54,000 years ago at Mandrin, France.Sci. Adv. ↩︎
  3. Laure Metz, Supplementary Materials for Bow-and-arrow technology of the first modern humans in Europe 54,000 years ago at Mandrin, France ↩︎
  4. Lombard, Marlize & Shea, John. (2021). Did Pleistocene Africans use the spearthrower‐and‐dart?. Evolutionary Anthropology: Issues, News, and Reviews. 30. 10.1002/evan.21912. ↩︎
  5. Katsuhiro Sano, Evidence for the use of the bow-and-arrow technology by the first modern humans in the Japanese islands, Journal of Archaeological Science: Reports, Volume 10, 2016, ↩︎

日本における複合弓の誕生

聖徳太子が用いたとされる丸木弓

私のような素人にできるものはほぼないのですが、「それぞれ」の分野には諸先輩が残した大変優秀な研究があります。考古学・古代史・日本書紀研究・中国史・弓道の分野に研究結果が点在しており、まとまっていなかったものを「日本の複合弓化」という軸でまとめたものになります。

上の写真は奈良時代(8世紀)の丸木弓ですが、これはいわゆるセルフボウで木を削って作っていくわけですが、これは日本の弓というよりかは、世界中で初期の弓は間違いなくこれでしょう。木の棒を削って弾性を持たせた最も単純な弓です。

世界中の多くの地域でこの単純弓からより反発力の高い複合素材の弓に進化していくわけですが、その時期は地域によって異なり、日本では8世紀から9世紀に丸木弓のバック側(的側)に竹を張り合わせた伏竹弓に進化していきます。

前の記事で600年頃から正式に中国との交流が始まったと書きましたが、早速610年に膠が日本に伝わります。異なる素材から1つの弓を製造するのに欠かせないのは接着剤です。膠は現在でも和弓の製造に使われているほど優れた接着剤です1。この素材と製法が日本に伝わるのは複合弓誕生の最低条件です。

761年に中国(唐)は安史の乱によって乱れた軍備を整える目的で、日本に武器の見本等を与えたうえで、弓を作るための牛角を贈ってほしい要求し、それに応じて牛角7800隻を備蓄し送ることを決定しています。輸送船の座礁により届かなかったようですが…。

Peter Dekker, Manchu Archery

上の写真は角弓を分解したものですが、にんじんのピーラーのように牛の角(70-90cmほど)をスライスした物(①)を弓のフェィス側に張ることで反発力を高める役割をします。唐が弓ではなく、その素材を日本に求めて提供していることから、角弓の作り方自体は遣隋使の時代(600-618年)に日本に伝わった2とされているものの、当時の日本には牛角複合弓を製造する事をしなかった(できなかった)と言えます。

明治前日本造兵史より

一方で、この頃(8世紀)の遺跡からは、すでに複合素材弓が発掘されています。上は伏竹弓の断面図ですが、下の部分の木だけで出土しています。つまり木に何かを張り合わせた弓であることはわかるものの、張り合わせた素材は失われているので推測するしかない状態です3。木と組み合わせる素材は動物の角・腱・他の木材であることが多いのですが、同時期に中国に大量の角を送っていることから、これらは竹とのペアではないかと推測されます。

11世紀ごろには明確に「伏竹弓」という日本語が登場するので、この頃の和弓は竹とのペアであったことが確定します。その後は、いろいろなパターンで竹と木を組み合わせることで、和弓が進歩していきます。複合素材弓となったのちの進化については詳しく研究されているので、それらをご参照ください4

今後7世紀の遺跡からも複合素材弓と見られる弓が発掘され可能性がないとは言えませんが、現状では7世紀前半に日本に膠による接着技術が伝わってから100年程度の期間で日本人が独自の複合弓(木+竹)を作り上げたと言えます

最後に話は少しそれますが、日本書紀には韓国(百済)に支援として大量の矢を送った記録(27巻では10万5)が存在していますが、大量に弓を送ったという記録はありません。当時の記録を見ても、現在の韓国の伝統弓を見ても、韓国の弓は中国に大きな影響を受けているので、矢は共通のものだったので送ったけど、使っていた弓は大きく違うので送らなかったと理解していますが、違う説として、日本が当時韓国(百済)と武器の共有化政策を行っていたという説があります。公開されているので良かったら読んでみてください6。武器の共通化(標準化)のメリット7は現代ではよく知られていますが、6-7世紀にその理解があったのかについては個人的には疑問です。

今回は道具についてでした。来週を目処に国際交流の日本への影響の弓術の影響についてまとめて終わりにしたいと思います。

  1. 寒気と技で理想のカーブ「にべ弓」最盛期 兵庫・上郡 ↩︎
  2. 陳睿垚,七世紀における日本の礼制継受–薬猟を視点として,愛知県立大学大学院国際文化研究科論集,2022 ↩︎
  3. 津野 仁. 古代弓の系譜と展開. 日本考古学 / 日本考古学協会 編. (29) 2010.5,p.81~102. ↩︎
  4. 日本学士院日本科学史刊行会 編『明治前日本造兵史』,日本学術振興会,1960. ↩︎
  5. 日本書紀・現代日本語訳(完全訳) ↩︎
  6. 原始和弓の起源 2015年『日本考古学』 ↩︎
  7. 橋本毅彦,「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》,講談社学術文庫,2013 ↩︎

【後半追記】メモ:初期弓術の日中交流について

弓術の日中交流についてこれから記事を書いていくわけですが、書く前から、自分でも混乱しています。この記事は現状では意味不明な点もあるかもしれませんが、今後、修正して良いものに仕上げていきます。ご理解ください。

一番の問題は和弓も中国の伝統弓道とも、ある程度距離がある立場なので、日中のお互いの気持がよくわからないのです。

中国との交流は4・5世紀頃、応神天皇以降ですが、日本文化への影響は多大。弓についての文献も多く、周礼や後漢書、特に礼記(中国、儒教の経書で五経の一つ)の「射義」の思想は日本の弓に大きく影響し、現在の弓道読本の冒頭にも記されています。日本古代からの弓矢の威徳の思想と、中国の弓矢における「射をもって、君子の争いとなす。」という射礼思想礼から、朝廷行事としての射礼の儀が誕生

全日本弓道連盟 - 弓道の歴史

日本の弓道連盟は、中国との交流は日本の弓道に大きな影響を与えたということをホームページでも認めているのですが、では具体的にどんな交流があり、どのような影響があったのかについては、私が調べた限りでは調査も研究も行われていません1。和弓側は影響は認めるが…以上。という態度のようです。

一方で、中国では伝統弓道が日本の和弓に与えた影響について研究はされていますが、馬明達(国華南師範大学体育学院客員教授、国際武術研究会創立者)によって書かれた論文2では、「錬金術師の徐福が日本に渡ったという伝説を信じるなら、中国の優れた弓術と高度な弩の技術は、秦の時代には早くも日本に渡っていたことになる」と書き、江戸時代に徳川吉宗が中国弓術の観覧を行ったというだけの記述から「清朝初期(17-18世紀)まで中国の弓術が日本に多大な影響を与えた証拠」としているが…。

現在、私に見えている景色は、和弓には中国の影響が大きいと認めつつも深入りしたくない日本側と、伝説まで引用して江戸時代中期まで大きな影響を与えているとする中国側の態度です。どーしましょう。ということで、まずは思想と事実関係の整理から始めます。

最初に中国側で弓についての記録が登場するのは魏志倭人伝ですが、280-297年頃に書かれました。議論があるところではありますが、伝聞とされていて、実際に弓の技術についての交流はなかったと推測できます。

予想される最初の交流は遣隋使(600年~)で、当時の記録に護衛としてアーチャーが船に乗っていたと書かれています。当然、日本の弓矢を所持して状態で中国にたどり着いているので、文書に残らないレベルと、現地において中国と日本のアーチャーで交流の始まりはこれ以降でしょう。

659年、伊吉博徳が唐の皇帝・高宗と謁見を行い、蝦夷の男女2名を献上し、彼らは頭に瓢箪を乗せて、数10メートルの距離から矢を放ち、全矢命中したと記録されています3。このあたりから弓術の交流が記録され始めます。

735年、17年にも及ぶ遣唐留学した吉備真備は帰宅時に大量の弓矢を持ち帰ったことが記録されています4。その後、吉備は軍師・軍事家として大活躍しました。遣隋使・遣唐使で、日本は中国から多くの知識を得たものの、そちらの知識をどう評価するのかという点において、中国で兵法を学んだ吉備が、数々の戦で勝利した史実は、持ち帰った知識の価値を大いに高めたと考えます。

吉備大臣入唐絵巻

実際の弓術の交流の最古の記録は715年の射礼です。射礼とは483年から宮中で行われていた弓術競技です(*)。そこに日本に派遣された海外の使者(蕃客)が参加する事で日本初の弓術による国際交流が始まります。射礼には自国の弓で参加することになっていました。647年に高麗・新羅(朝鮮)、740年には渤海(中国東北部からロシア沿岸地方にあった)が参加している記録があります。

*日本書紀は正確ではないとされる部分が多いですが、蕃客が実際に来ていたという部分に対する批判はありません。

高句麗古墳壁画の図像構成5

どのような弓で参加していたのかの記録はありませんが、当時の他の記録を見る限りでは、短いオーバードロータイプのリカーブボウ(角弓)だったと推測されます。この射礼の意義として、大日方は「全官人(日本人)が同じ形状の和弓を所持して射る、蕃客(外国人)はその国の異型の弓で射る。これによって、天皇に対す全官人の服従奉仕と、諸蕃(海外)の従属という天皇を中心とした礼的秩序を表現する儀式となる」としています6

  1. 武道全集,弓道講座,現代弓道講座,弓道 : その歴史と技法,弓射の文化史 原始~中世編,を調査しました ↩︎
  2. Ma, M. (2023). Chinese Archery’s Historical Influence on Japan. In: Chao, H., Ma, L., Kim, L. (eds) Chinese Archery Studies. Martial Studies, vol 1. Springer, Singapore. ↩︎
  3. 令人戴瓠而立、數十歩射之、無不中者。(唐会要 100巻 蝦夷国), 令人戴瓠立數十歩,射無不中(新唐書 220巻 列伝第145 東夷 – 日本) ↩︎
  4. 東野治之,遣唐使と正倉院,岩波書店, 2015,P32-33 ↩︎
  5. 南 秀雄,高句麗古墳壁画の図像構成 : 天井壁画を中心に,1995-03-25 ↩︎
  6. 大日向克己 [著]『古代国家と年中行事』. https://dl.ndl.go.jp/pid/3103800 (参照 2024-06-22) ↩︎

note : 仁徳天皇十二年(324年)秋七月三日、高麗国が鉄の盾、鉄の的を奉った。との日本書紀の記録は虚偽だとされている


警察からのお達し

本日、二度寝していたら警察からの電話でびっくり。今のスマホって画面に警察と表示されるんですね。

クロスボウの規制が3年前くらいに始まったのですが、この法律が微妙で、「矢を発射する機構を有する弓」として定義しています。弓ではなければ大丈夫なのですが、法律で弓とはなにを定義しておらず、警察の高井1は定義しなくても運営上ではすでに関税定率法別表第19部第93類注1(e)に「弓」という言葉があり、税関で問題なく運用されているので、「常識的に弓」で判断すればよいとする。

となると、私が持っているシューティングマシンが合法なのかがグレーゾーンでは。ただ、これはどう見ても弓ではないので、警察に「矢を発射する機構を有する弓」は禁止されたが「矢を発射する弓を有する機構」は合法で所持して良いよねと軽い気持ちで確認したところ、あっという間に警官5人に囲まれて、屁理屈をこねくり回して、脱法クロスボウの所持製造を企てた犯罪者予備軍としての取り調べが始まって…えっ??

ただ、素人の警察にいくら口頭で説明しても、埒が明かないことが判明したので、身分証を提出して、正式なやり方だけ聞き、後日、書類にてシューティングマシンとはいかなるものであるのかを解説付きで提出して許可を求めました。これが5月22日。

そして、本日、警察より、「弓を固定して開放する装置部分が携帯できるか」で規制するか決める&提出した資料の3パターンは規制対象ではないという連絡をいただきました。

いやー、良かったです。皆さんの警察に伺いを立てる際には気軽にではなく、十分な量の説明資料を準備していくことをおすすめします。

  1. 高井良浩,鉄砲刀剣類所持等取締法によるクロスボウの規制について, 警察政策24巻 ↩︎

アーチェリー場、草との戦い

自主運営のアーチェリー場、5月終わりにはここまできれいにしたのですが…2週間でこうなります。

田舎はひたすら植物との戦いです。。

ただ、アーチェリーの短距離レンジの方に施していた土壌改良はそれなりの効果を発揮しています。東京から引っ越してきたとき(2022)には、ネットで調べたら塩が雑草の効くと聞いてやってみたのですが、効果0でした…。

もう少し詳しく調べてみたら…1キロ1平米でしかも継続的に?! 1000平米なら1トンの塩がないと効果がないと知り絶望しました。そこから専門書も読んだりして、たどり着いたのがセメントです。土を硬くし、ph値を変えることで、植物の繁殖を阻害してくれます。除草剤や塩と違って人体に害もありません。量も塩の1/5程度で効果が出ます。価格は25kgで700円程度と低コストです。

写真の上は除草剤と100平米にセメント10キロ撒いた部分、下は除草剤だけをした部分になります。2週間でこれだけの違いが出ます。私の家の庭では効果を確認済みですが、アーチェリー場でも効果を確認できたので、月末までに全体に施していきます。


銃弾を空に向かって撃つとどうなる?

前回の記事で矢の位置エネルギーについての計算をしていますが、銃弾にもそれがあるはずだというコメントを頂きました。コメントには返信しました。存在はしますが、それは理論上のものであり、使用はされていないと書きましたが、書いたあとに…なんでだろうとふっと思いました。

AIに向かい合う2つの塹壕書いてもらったら…繋がった

第一次世界大戦での塹壕戦では、直線では相手を狙えないために手榴弾など上から降ってくる系の兵器が活躍しています。であれば、銃も上に向かって撃てば、弧を描いて相手の塹壕に届き、敵を殺傷できるはずで、そのような戦法がないとも言えないですね。良い気付きをありがとうございます。

調べました。やはり、軍事家でも同じようなことを考えていて、マグヌス効果を観測したベンジャミン・ロビンズが1761年にて最初の実験が行われています。その後、詳細な実験は20世紀に前半に集中して行われ、ジュリアン・ゾンマヴィル・ハッチャーという日本語のウィキもある有名な技術者がこれらをまとめ、「役に立たない戦法」であると結論づけて一連の研究は終わりを迎えます。

ジュリアン・ゾンマヴィル・ハッチャー(Julian Sommerville Hatcher、1888年6月26日 – 1963年12月4日)はアメリカ陸軍の軍人で銃技術者。ストッピングパワーの研究を行った初期の学者でハッチャースケールを作成し、銃の研究開発でいくつかの著作を残している。引退後は全米ライフル協会の発行誌アメリカンライフルマンのテクニカルライターを務めていた。

https://ja.wikipedia.org/
マイアミにあった垂直発射実験装置

詳細はその著書「Hatcher’s Notebook(第20章:Bullets from the Sky)1」で詳細に書かれています。10ページ程度ですので、文書をテキストファイルにして、Notebook LMにぶち込んで、AIに要約してもらいました。

まず、弾丸を垂直に発射した場合、その落下地点を予測することは非常に困難であることが述べられています。これは、高高度における風の影響が大きいためです。高高度の風は地上とは異なる方向に吹いていることが多く、弾丸の軌道を大きく変化させる可能性があります。特に、弾丸の上昇速度が低下する頂点付近では、風の影響を長時間受けるため、落下地点の予測はさらに難しくなります。

次に、資料では弾丸の落下速度と危険性について、実験結果に基づいて詳しく解説されています。実験の結果、.30口径の弾丸の場合、落下時の速度は約300フィート/秒(約91メートル/秒)で、そのエネルギーは約30フィートポンド(約41ジュール)であることが明らかになりました。このエネルギー量は、一般的に致命傷を与えるには不十分であるとされています。つまり、.30口径の弾丸の場合、垂直に発射しても落下時に致命傷を与える可能性は低いと言えます。ただし、.50口径の機関銃弾や12インチ砲弾など、より口径の大きい弾丸の場合、落下時の速度とエネルギーは著しく増大するため、非常に危険であるとされています。

さらに、資料では落下地点の予測可能性について、弾丸の弾道係数との関連性が指摘されています。弾道係数は、弾丸の空気抵抗に対する性能を表す指標であり、値が大きいほど空気抵抗の影響を受けにくいことを意味します。資料によると、12インチ迫撃砲弾や航空爆弾、ロケット弾などのように、重量が大きく弾道係数の高い飛翔体は、落下地点を正確に予測することが可能です。これは、これらの飛翔体が空気抵抗の影響を比較的小さく受け、安定した軌道を描くためです。

一方、小銃弾や機関銃弾のような小型の弾丸は、弾道係数が小さく空気抵抗の影響を受けやすいため、落下地点の予測が困難であるとされています。特に、高高度における風の影響が大きいため、垂直に発射された弾丸は落下地点が大きくばらつく可能性があります。

AIによる要約の抜粋

つまり、矢に比べて遥かに高くまで届くので、1.上空の風の予測まで必要にになる、2.風の影響を受ける落下時間が長い、3.小型の弾丸は空気抵抗の影響が大きい、4.そもそも十分に致命的なエネルギー量がない、という以上の理由から、位置エネルギーを利用した空からの銃弾(Bullets from the Sky)は現実的ではないと論じています。

*これは90度での発射についての実験ですが、3の致傷エネルギー量以外は45度などでの発射にも適応できる議論だと考えます。

一方で、科学ライターのMike Followsは関連するコラム(Can bullets fired upwards cause injuries when they return to earth?)で、

(矢の位置エネルギー)を利用したのが、1066年にイングランドで行われたヘイスティングスの戦いで征服王ウィリアムであろう。ハロルド王率いる相手軍は高台に防御陣地を構えていたため、ウィリアムのノルマン人弓兵の矢は盾の壁に当たって無害に跳ね返った。一部の学者は、戦いの終盤にウィリアムが弓兵に命じて、矢を盾の壁の上に高く放ち、上からイングランド軍に降り注がせたと考えている。重力の力で落下する矢は、直接放たれた矢ほどの速度は出なかっただろうが、そのエネルギーは、上空からの矢を予期していなかった兵士たちを殺すには十分だったのかもしれない2

と語っています。ハッチャーの研究を引用すれば、1.矢はせいぜい40mほど上空までしか飛ばないので地上から上空の風の予想が容易、2.落下時間が短い、3.重さに対しての空気抵抗は小さい、4.十分なエネルギーを有していて落下地点の予測が困難ではない&銃弾に比べて大きいので目視可能性が高い、という点で、非現実的な「空からの銃弾」と違って、「空からの矢」は有効だったと考えます。

前の記事、なぜか嘘の記事だと思った人がいるようですが、真面目に書いているつもりです。

追記メモ : 3人以上で操作するマシンガンでの弾道を利用した間接射撃は存在していたようです3

  1. Julian S. Hatcher, Hatcher’s Notebook, Harrisburg, Pa., Military Service Pub. Co., 1947 ↩︎
  2. https://www.newscientist.com/lastword/mg25233622-900-can-bullets-fired-upwards-cause-injuries-when-they-return-to-earth/ ↩︎
  3. https://vickersmg.blog/2021/01/17/indirect-fire-a-primer/ ↩︎

矢の速度と再加速の計算

5月に更新された新型AIではもう十分にアーチェリー業務で実用的なレベルにあるという記事を書いてからは結構利用させていただいています。先日、歴史学で弓についての研究(?)というか研究の中で、矢の威力を扱っているものを読みましたが、計算がぜんぜん違うよな…となりまして、具体的には矢と銃弾を混同していて、銃弾は基本的にほぼ真っすぐ飛び、長距離になると下に落ちていきますが、矢は高さの到達点から落ちていきながら、位置エネルギーによって再加速されるのです。

質問をするために自分で矢の威力を計算したいとなりましたが、運動方程式が難しすぎるので、AIに任せてみました。AI(Copilot Pro)は自分では計算できないようです。よく考えれば、LLM(大規模言語モデル)ですので、計算はしないか。計算するためのコードは書いてくれるので、自分で計算することにしました。

計算するに当たり、初期設定としては初速などが当然必要ですが、この数値の中で、空気抵抗係数だけがわからないのですが、ここも勉強してみたら難しそうだったので、調べたら直径7mm・20gのイーストンシャフトで測定した論文がありました。

こちらの論文では空気抵抗係数は1.94ということになっていましたのでこの数字を使って1、計算すると、一発で結果が出ました。

60m/sで40度で打ち出した場合、到達距離は237m、129m時点で最高高度に到達して59m。そこからは59mからものを落とすと加速するのと同じ理由で、最高点での33m/sから、的中までに7m/s(22%)、40m/sまで加速します。Copilotありがとう。考古学や歴史学で弓の威力について書かれる場合に、矢が再加速する性質を持っていることが無視される傾向にあると思います。

  1. H. O. Meyer, Applications of Physics to Archery, 2015 ↩︎
使用コード(Google Colab)
import math
import csv

# 初期設定
v0 = 60.0  # 初速度 (m/s)
angle = 40.0  # 発射角度 (度)
mass = 0.02  # 矢の重さ (kg)
Cd = 1.9  # 空気抵抗係数
rho = 1.225  # 空気の密度 (kg/m^3)
A = 0.000036  # 矢の断面積 (m^2)
g = 9.81  # 重力加速度 (m/s^2)
time_interval = 0.01  # 時間間隔 (s)
total_time = 10  # 計算する総時間 (s)


# 角度をラジアンに変換
angle_rad = math.radians(angle)

# 水平方向と垂直方向の初速度成分
v0x = v0 * math.cos(angle_rad)
v0y = v0 * math.sin(angle_rad)

# 速度と位置の初期値
vx = v0x
vy = v0y
x = 0
y = 0

# 結果を保存するリスト
trajectory_data = []

# 時間経過に伴う位置と速度の計算
for t in range(int(total_time / time_interval)):
    # 空気抵抗力
    Fd = 0.5 * Cd * rho * (vx**2 + vy**2) * A
    # 空気抵抗による加速度
    ax = -Fd / mass * (vx / math.sqrt(vx**2 + vy**2))
    ay = -Fd / mass * (vy / math.sqrt(vx**2 + vy**2))
    
    # 重力の影響を加えた垂直方向の加速度
    ay -= g
    
    # 速度の更新
    vx += ax * time_interval
    vy += ay * time_interval
    
    # 位置の更新
    x += vx * time_interval
    y += vy * time_interval
    
    # 現在の速度
    velocity = math.sqrt(vx**2 + vy**2)
    
    # 地面に達したら計算終了
    if y <= 0:
        break
    
    # 結果をリストに追加
    trajectory_data.append((t * time_interval, x, y, vx, vy, velocity))

# CSVファイルに保存
with open('trajectory_with_drag_and_velocity.csv', 'w', newline='') as file:
    writer = csv.writer(file)
    # ヘッダーを書き込む
    writer.writerow(['Time (s)', 'X Position (m)', 'Y Position (m)', 'X Velocity (m/s)', 'Y Velocity (m/s)', 'Total Velocity (m/s)'])
    # データを書き込む
    writer.writerows(trajectory_data)

print('CSVファイルに軌道と速度のデータが保存されました。')