墨絵弾弓 正倉院の引かない弓  

八幡一郎 編著『弾談義』より

【修正】白川様より連絡いただき、呉越春秋の日本語訳の一部を変更しました。

正倉院の宝物庫にある墨絵弾弓(すみえのだんきゅう)というものがあります。この「弓」についてはあまり知られていないようなので、今回は弾弓についてです。最初にすごく簡単に説明すると、弾弓は土を固めた玉とか、丸い石を飛ばすための弓のことです。

https://yushu.or.jp/

正倉院の墨絵弾弓の弾弓はあまり知られていないと書きましたが、「墨絵」の方は有名で、何度も特別展などで展示されていて、人気で切手にまでなっています。弓であることが全くわからない切り抜きをされていますが…。墨絵弾弓は弓であるというよりも、その書かれている墨絵に興味を持たれていて、書かれているのは最古のサーカス(散楽)です。この絵は「演劇風俗史上逸することの出来ない重要なもの1」とされています。

「正倉院の弓」と書きましたが、この弓が日本で製造されたのかは不明です。絵は中国甘粛省の壁画にあるものと近似していて2中国のものであるのは間違いないのですが、弓の特徴は日本の弓に近い特徴を持っています。そのため、2020年時点での公式見解は、中国・唐または奈良時代(8世紀)となっています。

考古学者による研究の弓の引き込み量がでたらめと書きましたが、と、同時に、この論文では出土した「弓」を扱っているに過ぎないのに、無意識にそれが弓矢であると大前提で考えています。

インド高原の未開人 : パーリア族調査の記録

正倉院の弓は8世紀とされています。この時代まで、日本には弾弓はありました。である以上、少なくとも8世紀以前の弓は「矢」を射つものであると精査せずに定義することは出来ないはずです。論文では15cmしか引けない事を、矢が射てないとして、実験結果として拒否する態度を取っていますが、しかし、15cmは弾弓として十分な性能です。

最初に弾弓の説明を簡単にしましたが、弓矢は投槍器(やりを投げる)の延長上に誕生したとされています。一方で、弾弓はもうお分かりのように、投石(石を投げる)の延長にあります。

弩は弓より生じ、弓は弾より生じ、弾は古の孝子に始まったと聞いております | 臣聞弩生於弓,弓生於彈,彈起古之孝子。

呉越春秋勾踐陰謀外伝第九

2000年前に書かれた「呉越春秋」では、弾弓から弓矢が、弓矢から弩(クロスボウ)が生まれたとしていて、まぁ、弓矢の誕生には「弓」と「矢」が必要ですが、世界最古の武器(?)である石はどこにでもあるので、「弓」だけで弾弓は成立するわけですから、弓矢より先にあったと言われても納得はできるでしょう。一応、続きとしては、

昔は、人民は質朴で、腹が減れば鳥獣を食べ、喉が渇けば霧露を飲み、死ねば白茅で包み、野に投じられました。孝子は、父母が禽獣に食べられるのに忍びず、ゆえに弾を作ってこれを守り、鳥獣の害を絶やしました。ゆえに歌に「竹を断ち、木に属し、土を飛ばし、害を逐う」というのは、このことをいうのです。ここにおいて、神農・黄帝は木に弦を張り弧を作り、木を削って矢を作り、弧矢の利点は四方を威圧しました。黄帝の後、楚には弧父がいました。弧父は、楚の荊山に生まれ、生まれて父母がなく、子供の時、弓矢を習い、射て外すことはありませんでした。その道を羿に伝え、羿は逄蒙に伝え、逄蒙は楚の琴氏に伝えましたが、琴氏は弓矢は天下を威服するのに足りないと思いました。この時、諸侯は互いに撃ち合い、兵刃は交錯し、弓矢の威力では征服することはできませんでした。琴氏はそこで弓を横にし臂に付け、引き金を設けて、これに力を加え、そののち諸侯を征服することができました。

白川祐, 呉越春秋勾踐陰謀外伝第九 日本語訳 https://haou.shirakawayou.com/page-614/

弾弓は鳥を射るものの道具で、孝子(親孝行な子)はこれを用いて、両親の屍に群がってくる鳥を根絶やしにしたとしています。鳥に用いたことは、現在も弾弓を使用する民族の記録からも確かめることが出来ます。

The Flute and the Arrow 1957

(弾弓は)弦の両端に小さな横木を取り付けて弦を2つに分け、2本の弦の中央部を布で連結しておく。そして、この布の部分に小石をはさんで引き絞り、飛ばす弓だ。これだと、矢で射たのでは肉が飛んでしまう小鳥などの小動物を猟るのに適している。

佐々木高明 著『インド高原の未開人 : パーリア族調査の記録』,古今書院,1968.P109

弓矢も道具として手に入れた後でも、弾弓が実用的なもので、弓矢に取って代わらなかった理由としては、上記のように、オリンピックポイント(シャフトと同口径)ではなく、大きな鏃で小動物・小鳥を射てしまうと、食べることが飛んでいってしまって、食に適さないからだとしています。

実際の弾弓の引き方、利用の仕方はThe Flute and the Arrow 1957(邦題 ジャングル・サガ)で確認できます。現在のユーチューブにアップされているものでは、16:30あたりからです。

The Flute and the Arrow 1957(邦題 ジャングル・サガ)

【追記】

考古学において、石が武器として研究されないのは、槍や矢などの武器のように刺す武器と違い、骨に使用した痕跡を残さないためだと考えます。

  1. 岡田譲 編著『正倉院の宝物』,社会思想研究会出版部,1959. ↩︎
  2. 奈良国立博物館編,正倉院展,2020, ↩︎
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山口 諒

熱海フィールド代表、サイト管理人。日本スポーツ人類学会員、弓の歴史を研究中。リカーブ競技歴13年、コンパウンド競技歴5年、ベアボウ競技歴5年。リカーブとコンパウンドで全日本ターゲットに何度か出場、最高成績は準優勝。

6 thoughts on “墨絵弾弓 正倉院の引かない弓  

  1. モンゴルでは、ショーの最中に、観光客が勝手に飛ばしたドローンを弓で撃退したとか!(https://news.livedoor.com/article/detail/26780960/)
    弓術が活きているというか、実戦的というか、さすがモンゴル!?
    弓って本当に興味が尽きないです!

  2. 確認しました。タイムリーな話題ですね(笑)

    今読んでいる論文では、「各種の獣皮(猪,熊,牛)や板製(モミ板目材,厚さ1cm)の的に対して、時速50kmで的に当たった場合には,的に鏃の痕がつく程度で,顕著な効果は得られない」として低出力の弓に否定的ですが、弓というものが矢だけではなく、玉(弾)を発射したり、ドローン(小鳥に当たるのかな)を追撃する場合には50kmすら必要ないといったことがもっと世に知られてほしいものです。

  3.  最近の記事は「弓」そのものに興味がある人にとっては、とても刺激的で、示唆に富むものだと感じます。なんか、うまく言えませんが、「弓」の楽しみは、もっと自由であっていいという気がするからです。

     私自身、和弓も洋弓も多少体験し、和の「お作法」の重要性や、洋の「競技」することで育まれる進化も、それぞれ得心するのですが、同時に、それらが窮屈だな感じることもありました。

     確かに、弓道は、弓道場に入るときの足さばきとか、お辞儀の角度や、仕草など「お作法」修練も分かるのですが、強調される精神性自体、第二次大戦後の、後付け的な文化面が強く、かえってお仕着せがましい感じもします。
     洋弓は競技として整備されたことで、道具類の劇的な進化を続けています。
    まあ、コロコロ変わるルールとメーカーによるマーケティング戦略という「鎖」もあるように感じますが………。

     まあ、個人的な趣向であることは充分承知なのですが、山口氏の記事にあるように「弓」には、様々な側面があるので、そこの面白さを「楽しむ」のもあるだろうなと。
     和弓では、かつては三十三間堂の通し矢などによって進化した道具や技術、文化など、現代のエンターテイメントに通じるなような側面もありましたし、YouTubeなどには「俺の作った弓を見てくれ」「ぼくの考えた最強の弓」みたいな「魔改造の夜」のような魔改造の弓(笑)もいっぱい紹介されています。

     アーチェリーの競技規則には【常識的に「弓」という言葉に適合していれば、どのような形状でも使用することができる】とは書いてありますが、「決まった範囲でね!」なので、やはり「常識的な自由」が求められるのだろうと。

     物理的な特性理解や、種々の理論・根拠もなく、「こうしなさい」「それじゃダメ」という、習うよりも慣れろ的な精神論で指導されてきた「恨み」(笑)も多少混ざってますが、でも、なんか、もっと「弓」って自由な楽しみがあってもいいのになぁ、と記事を拝読しながら感じました。

  4. コメントありがとうございます。弓は本当に自由なものであると思います。5-7万年前から存在する、人間最古の道具であり、弓によって人間は現在の位置にあるとする研究もあるくらいです(ネアンデルタール人との競争に勝利した)。

    その中にアーチェリーが存在するわけですが、アーチェリーをより知るためには、その背後にある「弓」という全体をもっと知らなければいけないという思いから、このような記事を書いています。

    まぁ、良くわからん、50年、100年もないようなことを「伝統」とか言ってくるアホに、500年、1000年、1万年の人類の歴史の重みで殴り返すためでもあります。そういう意味では私も多少は恨みがあるのかもしれません。(笑)

    >強調される精神性自体、第二次大戦後の、後付け的な文化面が強く、かえってお仕着せがましい感じもします。

    後付なのは仕方ないですね。

    私は弓道を実践したことはないのですが、最近、弓道に関する文献に多く接して感じることは、GHQによる戦後統治から70年過ぎているのに、それを総括できていない弓道の姿です。

    アーチェリーは歴史に関する記事で書きましたが、20世紀の前半に超距離派と短距離派のお互いの意見を取り入れながら、メンバーの多数決によって、自主的にアーチェリーはスポーツとして現在の形に至ります。以前は合コンしながら、お酒を飲みながら、タバコ吸いながら試合していましたが、現在禁止されているのは、メンバーによる民主的な多数決の結果です。

    対して、現在の弓道の形は、大正時代から昭和初期にかけて一つの姿に定まっていくわけですが、多くのものは神道によって裏付けられました。道場には神棚があるわけです。しかし、戦後(詳細はAIに書かせました。最後にあります)。

    GHQによって弓道は禁止されました。教育として再開されるためには特定宗教を切り離してスポーツ化するしかなかったわけです。アーチェリーと違い、自らスポーツ化したわけではなく、GHQによって強制的に「スポーツ化された」というわけです。その中で特定の宗教観によって裏付けされない形式を、自らを再定義する必要に迫られます。

    しかし、今はGHQなき独立国日本であるのですが、強制的にスポーツにされてしまった弓道は、進む(よりスポーツ化)わけでもなく、戻る(再度宗教と寄り添う)わけでもなく、立ちすくんでいるように見えます。その結果、初めて開催された弓道の世界大会でフランスが優勝し、日本は争うどころか予選落ちです。

    そろそろ、弓道はスポーツなのか、宗教観を喪失したことは良かったのか、戦後の総括が行われることを、関係ない者として、見守っています。

    >まあ、コロコロ変わるルールとメーカーによるマーケティング戦略という「鎖」もあるように感じますが………。

    ルールに関しては、歴史編で書いたように、テレビ中継との関係で変化して、いわゆる「動画映え」の影響は受けていますが、メーカーのマーケティングの鎖は思い当たるところがなく、この部分、もしよかったら、具体的に思うところがあれば聞いてみたいです。

    https://archerreports.org/2023/03/13/

    時系列(AI生成)

    ・GHQによる国家神道の解体
    1945年12月15日に「神道指令」が発令され、国家神道が解体されました。これにより、神道と国家の結びつきが切り離され、神社は宗教法人として位置づけられることになりました。

    ・武道禁止と弓道への影響:
    1945年、GHQによる武道禁止令が出され、弓道を含む武道の実践が一時的に停止されました。大日本武徳会が解散を命じられ、学校体育における武道の民主化が進められました。

    ・弓道の復興:
    1949年に日本弓道連盟(現・全日本弓道連盟)が創立され、弓道の普及振興に向けた活動が再開されました。武道禁止令解除後、弓道は精神修養や体育としての側面が強調されるようになりました。

    ・神道と弓道の関係の変化:
    戦前の国家神道体制下では、弓道場に神棚が設置されるなど、神道との結びつきが強かったです。戦後は、宗教としての神道と武道としての弓道が分離され、より世俗的な活動として弓道が位置づけられるようになりました。

  5.  現代アーチェリー競技は、ルールが改定されると、道具の色や模様、服装の色柄、行動の規定などが目まぐるしく変わってきたように感じます。その多くはショービジネスへの対応、スポンサーのマーケティング戦略など、普及のため、選手の安全のためという大義を掲げてはいますが、「こうしなくちゃいけない」「これはダメ」「こうするべき」といった教条が増え、ルールブックを常にチェックしてないと、なにがルールに触れているのかわからないままプレイしている人も少なくないと感じています。(というか、競技規則ぐらい読めっ!って思いますが(笑)

     表現が大げさだったかもしれませんが、昔、何かのドラマで裁判の判事が次のようなことを言っていて、それが頭にあったかも?知れません。それは、
    「たった一度の非難の言葉が、思想と行動を制限し、さらに自由の制限を生み、気が付いた時には、取り返しのつかないことになっている。
     そして、たった一度でも「自由」が制限されると、それは繰り返される。
     一つのつながりができれば、それは私たちを縛る「鎖」となる。

     自由を保障するための「制限」のバランスというか、難しいところですね。

  6. 以前に「WAはオリンピックのための団体です」という記事を書きました。リンクは最後に。WAがオリンピックのための団体である以上、WAルールはオリンピックのためのルールで、4年に一度のアーチェリーを世界に発信する場において、ショービジネス、スポンサー対応は必要なことだと思っています。

    問題は全ア連で、オリンピックにむけたトップアーチャーのためのルールを、国内のすべてのアーチャーに求めてくる必要がどこにあるのか、全くわかりません。

    記事でも書きましたが、ミュンヘンオリンピックのきれいな芝生に映えるように「白いスラックス」の着用をWAは選手に求めました。ここまでは納得できます。しかし、乾けば砂埃、濡れれば沼の競技場で競技するいち地方の高校生選手に義務づける全ア連のやり方は、逆にWAは知っていたらびっくりしたのではないかと思います。理屈がありません。

    私の知る限りでは、WAが理不尽なルールを作ることはそんなにないと思いますが、それらはあくまでもオリンピック・世界大会のために最適化されたもので、それを踏まえて解釈して、それぞれのレベルの大会に応じて使い分ければよいのに、WAの英語ルールを翻訳してそのまま競技規則とするようなやり方に問題があるのかなと思っています。ただ、近年は改善していっているとは思いますが。

    なので、私達が参加する地方の競技会におけるこれらの問題は、ショービジネス・メーカーのマーケティングによって縛られているわけではないと考えます。

    >そして、たった一度でも「自由」が制限されると、それは繰り返される。
    > 一つのつながりができれば、それは私たちを縛る「鎖」となる。

    この部分に関しては、これも以前の記事で取り扱いましたが、「制限」の根拠があればよいのです。納得できなければ、その根拠を覆せばよいだけなので。しかし、根拠が誰もわからないままの「制限」は、何を覆せば、誰を倒せばよいかもわからないままに、私達を縛りつけてきます。

    高校時代に男子選手は下に白いスラックス着用の理由は、周りは誰も知りませんでした。なので従うしかありませんでしたが、それがFITA会長が写真写りが良いという理由だとわかっていれば、おかしいと、戦い方はあったのではないかと思っています。

    知識、知ることが自由への道だと信じています。

    https://archerreports.org/2022/11/wa%e3%81%af%e3%82%aa%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%83%94%e3%83%83%e3%82%af%e3%81%ae%e3%81%9f%e3%82%81%e3%81%ae%e5%9b%a3%e4%bd%93%e3%81%a7%e3%81%99/

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