worldarcheryより
7月25日からパリオリンピック2024(アーチェリー競技)が始まりますね。最近はお硬い記事ばかりでしたが、パリオリンピックは追っていこうと思います。パリとは時差があまりないので、リアルタイムで試合を、夕方、仕事が終わったら、試合始まるくらいのスケジュール感かなと思います。
と、気がついたら、WA世界ランキングがサンリダ世界ランキングになっていてびっくりです。最近のサンリダ製品のレビューしてないっすね。にしても、大躍進してますね。
オリンピック関連で最近読んだ”「わざ」を忘れた日本柔道”という本が非常に興味深かったし、一方で著者はどんな立場で書いているんだろうなと思いました。武道とはなにかを問いかけると同時に、もう聞き飽きた海外のせいという立場ではなく、
柔道のスポーツ化と呼ばれる現象は、ルールや制度の改正という脱伝統にあるのではなく、武道の理想的な動きの喪失にあるのではないか。それは、海外柔道からの文化的侵食ではなく、日本柔道の内なる変容ではないか。日本柔道は、武術・武芸から受け継いてきた理想的な動きをオリンピックスポーツの中に昇華しているのか、摩耗させてしまったのか。
有山篤利,「わざ」を忘れた日本柔道 P.270(要約)
として、日本選手の変化を海外柔道の侵食や多数決によるルール改正に求めるのではなく、日本柔道自身の変化にあるのではないかと問いかけます。その仮説のもとに調査をして、
柔の理軽視群は競技として柔道を実践しているものが多く、勝つための稽古している。柔の重視群は愛好家として柔道を実践しているものが多く、極めるために稽古している。
有山篤利,「わざ」を忘れた日本柔道 P.271(要約)
と結論付けています。より詳細はこの本を買っていただくか、著者の「柔道の動きのスポーツ化と柔道実践者の実態」という公開されている論文にも同様の主張があるので、そちらをご確認ください。
柔道の「動き」のスポーツ化と柔道実践者の実態: 「柔の理」への認識に焦点をあてて
主張はよく分かるし、愛好家は皆自腹でスポーツをしているわけですから、勝つための稽古などせずとも、スポーツを、道を極めていただきたいのです。私も東京代表だった時がありましたが、多少の自己負担はあったとても、トップアスリートの多くは国民(都民)の税金を頂いて、競技をさせていただくわけですので、愛好家のような勝ちを目指さない姿勢がどこまで許容されるのかは非常に難しい問題だと思います。
政府に遠征費の国庫補助を申請しましたが、スポーツが国民全般の支持を受けるに至っていないことを理由に認められなかったため、役員たちが維持金(年会費)や寄付金集めに奔走し、ようやく2万円を調達し、残りは出発後に調達して送金することとなりました。
大日本体育協会編『大日本体育協会史 上巻』大日本体育協会,昭11-12【722-53】
著者は本の中で嘉納治五郎(初期1909年の国際オリンピック委員)の言葉を引用していますが、当時は税金負担はなく、全額自己負担、負担できない選手は募金を募って参加する時代でした。その時代の国際オリンピック委員の言葉には大いに時代性があると私は思います。
では、当然のように(全額ではないにしても)税金負担によって派遣される今、日本代表選手には何が求められているのでしょうか。この本の中で、そこまで踏み込んだ議論があればよかったと思う次第です。ちなみに、スポーツ海外派遣の税金負担は日本選手が初めてメダルを獲得した翌年から始まったようで、国が選手に何を求めているのかは明らかかなと。
日本代表の皆様がんばってくださいね!