この記事は2021年7月17日に書かれたものです。最新の情報とは異なる可能性があります。ご注意ください。

我々は技術で負けたのか。日本人が変わった。

まだまだ及びませんが(178cmあるんですけど…顔の大きさが違うんですけど)…

記事を書いてから、一晩寝ると睡眠学習の効果か、考えに変化が起きてきます。昨日はヤマハのセンター機構について書きました。「たられば」などこねくり回しても意味がないのも確かですが、一方、では、違う道を取っていれば生き残れたのかと考えると、難しいですね。

ヤマハの古い歴史には詳しくないのですが、ヤマハのホームページによれば、

ヤマハ発動機の社長を兼務していた川上源一が、アメリカ市場を視察した際に、FRP製のアーチェリーの弓を入手したことがきっかけでした。

https://www.yamaha-motor.co.jp/frp/manufacturer/

1958年の視察で当時のアメリカの弓を手に入れて分析したそうです。その結果「日本人に合う弓を作ろう」となったのは当然の話しです。

統計データによれば、1960年代の日本人男性の平均身長(高校1年生)は161cmでした。アメリカ製の弓が合うはずがありません。しかし、ヤマハが撤退する2001年には168cmに、7cm(約3インチ)も伸びています。厳密には引き尺は腕の長さから定まりますが、161cmと168cmとでは、ワンサイズ合う弓の大きさが変わります。ちなみに体重は51kgから59kgに8キロ増えています。

ヤマハの過去の資料を読むと「日本人の体格」にこだわって、設計をして来たことをアピールしていますが、1960年と比較すると、高度成長期を経て、先進国入りし、子供の生育環境が大きく変化したことで、その日本人が変わってしまったのです。

さらにトップアスリートになればそれはより顕著で、東京オリンピックに出場する日本代表の男子平均は176cm(アメリカ人の平均身長と同じ)、女子は167cm(同162cm)となっています。もうアメリカの弓が合わないことはないのです。日本人に合うことを求めていたヤマハ、その日本人が変わったことに気がつくタイミングはあったのでしょうか。


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Ryo

(株)JPアーチェリー代表。担当業務はアーチェリー用品の仕入れ。リカーブ競技歴13年、コンパウンド競技歴5年、2021年よりターゲットベアボウに転向。リカーブとコンパウンドで全日本ターゲットに何度か出場、最高成績は2位(準優勝)。次はベアボウでの出場を目指す。

19 thoughts on “我々は技術で負けたのか。日本人が変わった。

  1. 大変興味深く拝読させていただきました。
    「日本人の体格の変化が要因」という視点は面白いですが、もしそれが正しいとするならば時代の変化に対応出来なかった残念な会社ばかりだったということになってしまいます。
    (実際、現状は欧米のメーカーの独占ではなく、韓国の複数のメーカーとシェアを分け合っているわけですから)
    個人的にはヤマハもニシザワもアーチェリーの専業メーカーではなかったことが最も大きな要因ではないかと考えています。
    ご存じのこととは思いますが、ニシザワの主力商品はスキー板でしたが、プラザ合意による関税撤廃により海外メーカーのスキー板が今までよりも安く日本に入ってくる様になったことで経営的に苦境に立たされ、最終的には会社を清算してしまいました。
    また、ヤマハは、楽器、オートバイ、スポーツ用品、半導体などを製造販売するコングロマリットであり、撤退時の事業貢献度は公式コメントの「与える影響は極めて軽微です」とある様に総売上9800億円に対して1.2億円の0.012%しかありませんでした。
    それでも黒字であれば継続の可能性はあったのでしょうが、恐らく長い間赤字だったのではないかと想像します。
    ですから、もし両社がアーチェリーの専業メーカーだったならば諦めずに生き残りの方法を必死に模索したのではないかと思っているのですが、いかがでしょうか?

    閑話休題
    昨年、純国産であることをアピールしている新興メーカーの弓に触れる機会がありました。
    新機軸の技術を色々と搭載しているとのことだったので興味津々で持ってみたのですが、第一印象は「重い」でした。
    (実際、後でカタログを調べてみたら1330gもありました)
    その時点で値段の高さもあり私的には「これは無いな」という結論に達しました。
    そして、四半世紀前のあるエピソードを思い出しました。
    東京インドアに設立したばかりのWin&Winがブースを出していたので、立ち寄って展示されていたハンドルを持ってみました。
    私のニシザワよりも軽かったので、思わず「軽いな!」と呟いたところ、それを聞いた社長のパクさんが「はい、軽く作りました!」と日本語で答えてくれました。
    恐らく、色んなアーチャーに聞いた結果をもとにした商品コンセプトだったのではないかと思います。
    技術も大事ですが使う人に寄り添う気持ちも大事ではないかと思う今日この頃です。

  2. いつかは書こうと思っていますが、もう時効でも良いのでしょうか、わからないので、コメント欄で少し。コメントから昭和を知っていらっしゃる方だと思いますが、流通の面と技術面を書きましたが、経営面にも問題がありました。それは

    >ヤマハは、楽器、オートバイ、スポーツ用品、半導体などを製造販売するコングロマリットであり、撤退時の事業貢献度は公式コメントの「与える影響は極めて軽微です」とある様に総売上9800億円に対して1.2億円の0.012%しかありませんでした。

    まさしく、そのとおりです。ヤマハのアーチェリー事業は本体にあり、本体の人事制度に組み込まれていました。つまり、そこまで儲かるはずのない、アーチェリー事業の人件費は、本体にある、プロフィットセンターと同等レベルでした。弊社の取引銀行で言えば、三菱UFJホールディングスの平均給与は1122万円ですが、銀行は773万円です。

    現在、存在するアーチェリーメーカーでも、売上が1000億近いコングロマリッドは存在しますが、アーチェリー事業の社員の給与レベルは”アーチェリー事業”のレベル(アメリカで5万ドル程度)で、コングロマリット・ホールディングス本体の社員と同じ給与を出して、経営していけるメーカーはほぼないと思います。どこかで、ヤマハはアーチェリー事業を子会社として切り出すべきだったのです。それをせずに赤字を放置していた理由はわかりません。

    ちなみに有名なイーストンはフェンウェイパートナーという会社、資産額2000億以上みたいです…の下にあり、ホイットは更にその下にあります。
    https://en.wikipedia.org/wiki/Fenway_Partners

    ちなみにアーチェリー事業撤退時にやっと人事制度の変更をします。書けることはもっとありますが、あまり美しくない話なので、これ以上は記事にはまだしていません。

    「職類別人事制度」とは、これまでの技能職・事務職・技術職などの3つの「職掌」を廃止し、期待される役割や求められる能力など<仕事の特性>の違いに応じて、「E職類・F職類・C職類・T職類」などの4つの「職類」と16の「職群」により体系化した制度です。この改革は、社員の労働に対する価値観が多様化するなか、期待される役割の認識と、持てる能力を最大限に発揮し、成果に繋げる事を目的としたものです。
    (ヤマハ ブレスリリース 2001年04月25日発表より)

    >もし両社がアーチェリーの専業メーカーだったならば諦めずに生き残りの方法を必死に模索したのではないかと思っているのですが、いかがでしょうか?

    ニシザワとは時代がかすってもおらず、私は弓も使ったことないので、なんとも言えません。ヤマハに関して言えば、大企業の本体に組み込まれてしまったからこそ、中の人が、たとえ収益が落ち込み、赤字になったとしても、自分たちの給料を減らしててもアーチェリー事業を続けたいという気持ちがあっても、1兆円企業の社内力学を考えれば、なかなか言えるものではないでしょう。アーチェリーのような儲かる(利益率が高い)ものの、マーケットとして、利益の絶対額(日本全体のマーケットがそもそも20億もない)は少ない事業に東証一部の法人の本体が参入することがそもそも無理筋だったと思います。こういう事業には中小企業が適しています。

    >昨年、純国産であることをアピールしている新興メーカーの弓に触れる機会がありました。
    >新機軸の技術を色々と搭載しているとのことだったので興味津々で持ってみたのですが、第一印象は「重い」でした。
    >(実際、後でカタログを調べてみたら1330gもありました)
    >その時点で値段の高さもあり私的には「これは無いな」という結論に達しました。

    そうなのですね。私はまだ触ったことがないので、気になる点としては、理由があって1330gにしたかったのか、それとも、1330gになってしまったのかというところですね。ただ、それにしても、トロフィーワイフ(失礼!)のような価格で。。。

    >私のニシザワよりも軽かったので、思わず「軽いな!」と呟いたところ、それを聞いた社長のパクさんが「はい、軽く作りました!」と日本語で答えてくれました。
    >恐らく、色んなアーチャーに聞いた結果をもとにした商品コンセプトだったのではないかと思います。
    >技術も大事ですが使う人に寄り添う気持ちも大事ではないかと思う今日この頃です。

    わかります。実は、どこのメーカーも軽い弓は作っていたりするのですが、大抵は真面目に作りません。どうせ、軽い弓は初心者・素人が使うものだから、適当に作って安ければ買うんだろうという姿勢のメーカーがあまりにも多いです。WINの素晴らしいところは、軽い弓でもちゃんと作るところです。2021年モデルで言えば、1100g台のハンドルでも真面目に設計して作り、1140gのWINEXは世界大会でメダルを獲得するほどの実績があります。

    安くても、軽くても真面目に作るところは素晴らしいと思っています。そのために、上位モデルはどのメーカーも販売していますが、低価格モデルではWIN(WNS/KAP)にほぼ絞って販売しています。

  3. 丁寧な返信の方、どうもありがとうございます。

    >どこかで、ヤマハはアーチェリー事業を子会社として切り出すべきだったのです。それをせずに赤字を放置していた理由はわかりません。

    ヤマハがアーチェリーから撤退した2002年にこの事業を始めた第4代社長の川上源一氏がお亡くなりになっています。
    あくまで想像ですが、川上氏が存命中は赤字が容認されていたのではないでしょうか?
    余談ですが、秋に行われる「つま恋カップ」の前身は「ヤマハカップ」でそのまた前は「川上杯」と呼ばれていました。
    自分の名前を大会名にするくらいに川上氏はアーチェリーのことが大好きだったのだと思います。
    また、「川上杯」は海外からトップアーチャーを招いて参加者に世界を感じさせたりなど、単なる競技会ではなく日本のアーチェリーのさらなる発展に貢献した大会でした。
    今の企業に川上氏の様な企業メセナ的な使命感を持って経営している人がどのくらいいるのだろうかと考えるとちょっと寂しい気持ちになります。

  4. >川上氏が存命中は赤字が容認されていたのではないでしょうか?

    この点については、2000年にアーチェリーを始めた私にはわかりません。資料を見る限りでは、アーチェリーに多大なる尽力を尽くされた方なのはわかりますが、その一方で、川上氏のアーチェリー界に対するビジョンは見えてこない部分もあります。

    アメリカのようなスーパーでもアーチェリーが売られていて、レジャーアーチャーが多く、アーチェリーを嗜む文化があるアメリカのようにしたかったのか、一部の小学校から選抜されたエリートがメインとなり、アーチェリーは文化ではないものの、世界で勝てるというか、勝ちまくる韓国のような国になってほしかったのか。コメントを読む限り私よりも遥かに先輩ですので、川上さんは日本にどういう形でアーチェリーを根付かせたかったのでしょうか?

  5. 当時のYAMAHAの得意分野であったグラスファイバーの応用分野としてのアーチェリー産業への参入であったと思います。当然、川上さんの個人的な趣味はあったのでしょうが、企業として利潤追求の体制がその継続を許さなかったのだと思います。カーボンファイバーという革新素材の登場に際しても、当時の最先端メーカーであった東レの「トレカ」に追従することが大手メーカーの立場として躊躇したことが、もうひとつのYAMAHAの失敗であったと感じています。

  6. コメントありがとうございます。このあたりに関しては私の中でも整理がついていない、結論が出ていない部分があるので、返信はいたしません。ご理解ください。このまま承認して匿名の匿名様のコメントを掲載させていただきます。

  7. > コメントを読む限り私よりも遥かに先輩ですので、川上さんは日本にどういう形でアーチェリーを根付かせたかったのでしょうか?

    私は一般のアーチャーでかつヤマハユーザーでもなくましてや川上氏とお会いしたこともありませんので、どの様なお考えだったのか知る由もありません。
    ですから、正確なお話は亀井孝さんにお伺いするのがよろしいかと思います。
    でも、一方的に亀井さんに丸投げするのはご迷惑かと思いますので個人的な見解でよろしければお話しします。

    > アメリカのようなスーパーでもアーチェリーが売られていて、レジャーアーチャーが多く、アーチェリーを嗜む文化があるアメリカのようにしたかったのか

    アメリカのスーパーに弓が置かれているのは、買ってすぐに自宅の庭もしくは近くの野山で気軽に楽しむことが出来るからです。
    それに対して、仮に日本のスーパーで売っていたとしても安全に遊べる場所はあまり無く、特に都市部では皆無と言ってよいでしょう。
    (日本のスーパーに置けるスポーツ玩具は羽根が遠くに飛ばず危険や事故の可能性が低いバドミントンくらいなものです)
    ですから、射場を整備して誰もが気軽に遊べる施設使用料で永続的に維持しようとしたら採算ベースに乗せるのは限りなく困難です。
    (大井町スポルの様な総合アトラクションの一部としてなら有かもしれませんが)
    川上氏がアメリカを視察して弓に出会ったときにどういう環境で遊ばれているかも同時に調べたことでしょうから、日本で同じことは出来ないことは分かっていた思います。
    余談ですが、友人がアメリカにいたときに所属していたクラブが所有していた射場は大きな倉庫を流用したもので90Mも行射可能だったそうです。
    そしてメンバーの一人一人に入口の鍵が渡されていて好きな時に来て好きなだけ練習が出来たそうです。
    日本ではとても考えられないくらいの贅沢な環境ですが、彼らにとっては普通のことなのでしょう。

    > 一部の小学校から選抜されたエリートがメインとなり、アーチェリーは文化ではないものの、世界で勝てるというか、勝ちまくる韓国のような国になってほしかったのか

    恐らく、こちらではないかと考えます。
    当時のスポーツに携わるトップの人たちのメンタリティとしては、本田宗一郎の様に「世界で勝ちたい!」「センターポールに日の丸を掲げたい!」だったのではないでしょうか。
    ですから川上氏も本田氏の様に御金に糸目をつけず開発を行っていったのだと思います。

    閑話休題
    川上氏にとって不幸だったのは、山本博さんがニシザワのユーザーだったことだと思います。
    山本さんの出身地である神奈川にはハマアーチェリーというニシザワの強力なディストリビューターがあり、男子高校生のほとんど女子高校生の半数がニシザワユーザーでした。
    (全国的に見れば、ヤマハがシェアでニシザワに負けていたのはニシザワの本拠地である長野と神奈川とあと一県ぐらいしかなかったとそうです)
    中学からアーチェリーを始めた山本さんは高校生の時にはニシザワのトップになっていましたが、その時のヤマハのトップは松下和幹さんでした。
    それ以来、二人の間で勝ったり負けたりを繰り返していましたが、両者の環境は大違いでした。
    地方の中堅企業でしかないニシザワが山本さんに出来ることは、量産品の中から選りすぐったリムや改造したグリップを渡す程度でした。
    それに対してヤマハは、先行試作のオールカーボンハンドルや松下さんのスタイルに合わせたワンオフのスタビライザーなどを提供し、オートバイのワークスさながらの完全バックアップ体制を敷いて松下さんをサポートしていました。
    山本さんを知るヤマハユーザーの知り合いは「博もヤマハにすればもっと当たるのに!」といっていましたが、松下さんの弓を見るたびにニシザワユーザーである私さえも「そうかもしれない…」とよく思ったものです。
    その山本さんがニシザワが撤退したことでヤマハに移り、そして、ヤマハが撤退した後の2004年のアテネでヤマハの弓で銀メダルを取ったのは、「打倒!山本&ニシザワ!」に邁進していたヤマハにとっては大いなる皮肉と言えるでしょう。
    もし山本さんがもっと早くヤマハに移ってオリンピックでメダルを取っていたならば、日本の弓の歴史は今とは異なっていたかもしれません。

  8. >恐らく、こちらではないかと考えます。
    >当時のスポーツに携わるトップの人たちのメンタリティとしては、本田宗一郎の様に「世界で勝ちたい!」「センターポールに日の丸を掲げたい!」だったのではないでしょうか。

    返信ありがとうございます。私のイメージはそれほど外れていないようです。今後、何らかの形で日本にアーチェリーメーカーがあった時代の空気感を平成・令和生まれの新しいアーチャーたちに伝えられたらと思います。

    >閑話休題

    松下さんは東京都の試合に出場していたので、高校生時代に2度ほど同的させていただきました。当時は…ホイットのAxisを使っていたと思います。

    お話は興味深く読ませていただきました。

    自分の考えとは少し違います。ロンドンで女子団体、今回、男子団体でメダルを獲得しましたが、それが日本のアーチェリーの実力、その成長だと思います。ぱっと天才が現れてメダルを取ったことろで、それが果たして国としての実力か私は疑問です(もちろんそれも素晴らしい)。属人的ではない、優秀なアーチャーを育成するシステムが大事ではないでしょうか。


    >オートバイのワークスさながらの完全バックアップ体制を敷いて松下さんをサポートしていました。

    それが果たしてメーカーとしての未来につながる体制だったのか、個人的に疑問です。例えば、イーストンは特定のアーチャーに対して、完全なバックアップ体制に投資はしていません。もちろん、プロトタイプのテストを行うプロアーチャーはいますが、彼らの意見を聞いて開発するのではなく、あくまでは開発したものをテストしてもらうだけです。

    では、何をサポートするか。イーストンは選手の育成することに重きをおいています。練習場を運営しています。もちろん、素人が使うようなものではなく、主にナショナルチームの合宿など、トップ選手が練習する場所です。日本チームもここで合宿したことがあると思います。そこに投資して結果を出しています。

    https://www.eastonsaltlakearcherycenter.org/

    ヨーロッパではバイターが有名で同様な練習場を運営しています。室内で70mの練習もでき、数多くの(非公認)世界記録が生まれています。ヨーロッパのナショナルチームの合宿場所としても有名です。

    http://www.wernerbeiter.com/en/center/gallery.php

    >ですから、射場を整備して誰もが気軽に遊べる施設使用料で永続的に維持しようとしたら採算ベースに乗せるのは限りなく困難です。

    そのとおりです。それこそがメーカーのやるべきことだったのではないかと思います。ただでさえ難しいのに、トップ選手だけが使える施設になれば、営利目的でできるはずがありません。現在で言えば、味の素ナショナルトレーニングセンターのようなものに投資すべきだったのではないかと思います。

    https://www.joc.or.jp/training/ntc/tc_archery.html

    弊社としても、収益を特定のトップ選手のサポートに回して宣伝してもらうよりも、チューニングマニュアルを作ったり、その他情報提供、トップ選手のインタビューなど、より多くの方に利益があるものに投資する方針です。

  9. 色々とお教えいただきまして、どうもありがとうございます。

    > ぱっと天才が現れてメダルを取ったことろで、それが果たして国としての実力か私は疑問です

    ちょっと誤解がある様です。
    当時を知る人によれば、アーチェリーを始めたころの山本さんは肥満児で体育の授業の跳び箱も飛べないくらいの運動音痴だったそうです。
    また、山本さんは実は左利きなのですが安価な中古で手に入る弓が右利き用しかなかったので仕方なく右の弓で練習を始めたとのことでした。
    こんな状況の中、アーチェリーがしたい一心のスタートから今のポジションまで上り詰めた山本さんは努力の塊みたいな人なのです。

    > 属人的ではない、優秀なアーチャーを育成するシステムが大事ではないでしょうか。

    山本さんが練習に通っていたハマアーチェリーや神奈川国際フィールドアーチェリーでは、一緒に練習していた大人たちが一生懸命アーチェリーに取り組んでいる山本さんの姿に心を動かされ色々とサポートしていたそうです。
    ロジカルな育成システムも大事だと思いますが、まずは入口である射場にいる大人たちが大人の役目を果たすことも大事なのではないかと私は考えています。
    (「今はそんな時代ではない!」と言われてしまえばそれまでですが)

    > それが果たしてメーカーとしての未来につながる体制だったのか、個人的に疑問です。

    これは当時の風潮と言うしかないですね。
    オートバイを例に取ると、世界グランプリでホンダが強いときはホンダのバイクが売れてヤマハが強いときはヤマハのバイクが売れる様に、勝利は販売数に直接つながりますのでブランド強化のためには必要な対応という感覚だと思います。
    ヤマハはオートバイと同様に経済活動として弓を生産し他社とシェアを争っていたわけですから「勝つことは正義!そのためには何でもやる!」というのが彼らの倫理感だったのでしょう。
    余談ですが、当時のワールドワイドのヤマハのトップはリック・マッキニーで、世界最高のアーチャーはダレル・ペイスでした。
    マッキニーは当初はペイスと同じホイットを使っていましたがどうしてもペイスに勝つことが出来なかったため、No.1待遇を求めてヤマハにスイッチしたのです。
    そして、ペイスのセンター+Vバー(ダウン角)+アッパーのセッティングに対抗するためにヤマハと共同でエクステンダーを開発し、今も多くのアーチャーが取り入れているセンター+Vバー(水平)+エクステンダーの組み合わせを確立しました。
    (ですから、私たちの世代ではエクステンダーと言われるよりもMロッド(マッキニーロッド)と言われる方がピンときます)
    これにより、マッキニーはペイスと互角の勝負が出来る様になったわけです。
    ですから、もしヤマハの全面バックアップが無かったならばエクステンダーの出現はもっと遅くなり、弓の進化の歴史が変わっていたのではないかと想像します。

    > 味の素ナショナルトレーニングセンターのようなものに投資すべきだったのではないかと思います。

    ナショナルトレーニングセンターは、まずは北京オリンピックのために国が設置しそのあと維持のために命名権を売り出して味の素がそれを買ったという比較的新しいビジネスモデルですので、今その様なことを言って責めるのはちょっとかわいそうな気がします。
    ホンダがバイクレースのために鈴鹿サーキットを建設した様に、ヤマハもつま恋リゾートを作って全アーチャーのための川上杯を立ち上げていますので、当時のビジネス感覚としてはそれが精一杯だったのではないでしょうか。

    > 弊社としても、収益を特定のトップ選手のサポートに回して宣伝してもらうよりも、チューニングマニュアルを作ったり、その他情報提供、トップ選手のインタビューなど、より多くの方に利益があるものに投資する方針です。

    最近は御社を始めアシストアーチェリーさんやDynasty Archeryさんなどの新しい発想でアーチェリーにアプローチしている方々がいらっしゃってとてもうれしく思います。
    射場併設のアシストアーチェリーさんは立ち上げ2年目ですが今年の全日本小中学生大会に6名が選出され2部門で優勝を果たしていますし、Dynasty Archeryさんは去年に引き続き今年も独自の競技会であるサマーカップを開催します。
    これからの皆さんの活躍がとても楽しみです。

  10. 返信分けます。

    >にヤマハと共同でエクステンダーを開発し
    >ですから、もしヤマハの全面バックアップが無かったならばエクステンダーの出現はもっと遅くなり、弓の進化の歴史が変わっていたのではないかと想像します。

    この部分に関してはなにか根拠となる文献はございますか? 私も聞いたことのある話ですが、ただ、同じ話を海外の方から聞いたことがありません。この話(マッキニーとヤマハがエクステンダーを開発した)は、リムアライメントをセーター調節と呼ぶような、日本だけで通用する話のように感じます。

    当時を知る人(海外)に聞いたところ、彼も記憶頼りなので、匿名としますが、「エクステンダーつける時、Vバーは水平が良いを提唱しただけでは」というような返信でした。

    なにか文献があれば、それをもとに検証してみます。ただ、現在、いろいろと仕事していない時間でも、別の資料(ベアボウ関係)の整理をしているので、すぐにできないことはご理解ください。

  11. 返信分けます、その2

    >射場併設のアシストアーチェリーさんは立ち上げ2年目ですが今年の全日本小中学生大会に6名が選出され2部門で優勝を果たしていますし、

    こちらのプロショップは知っていますが、新しいショップではありません。かなり前から活動されています。設立は登記で2013年です。2015年にはプロショップとして営業していたと記憶しています。

  12. 山本選手の個人的な経歴に関しては、知り合いではないために、全くわからないので返信はせず、そのまま承認させていただきます。

    >> ぱっと天才が現れてメダルを取ったことろで、それが果たして国としての実力か私は疑問です
    >ちょっと誤解がある様です。

    ここに関しては、私の言葉としては、山本選手が努力をせず、才能で勝ち上がってきたという表現ではありませんでした。誤解させてしまったら申し訳ございません。努力する能力も才能だと考えます。

    >一緒に練習していた大人たちが一生懸命アーチェリーに取り組んでいる山本さんの姿に心を動かされ色々とサポートしていたそうです。
    >ロジカルな育成システムも大事だと思いますが、まずは入口である射場にいる大人たちが大人の役目を果たすことも大事なのではないかと私は考えています。
    >(「今はそんな時代ではない!」と言われてしまえばそれまでですが)

    この点に関しては、まさしく私はそんな時代ではない派です。それは、環境面というよりも、現代っ子(この表現が古いか…)がそういった近い距離感の環境の射場を喜ぶかです。

    >ヤマハはオートバイと同様に経済活動として弓を生産し他社とシェアを争っていたわけですから「勝つことは正義!そのためには何でもやる!」というのが彼らの倫理感だったのでしょう。

    この点はわかります。ポイントとしては、やはり数だと思います。団体の力が日本の力になると思います。なので、日本全体に世界トップが1人いる、という状態よりも、日本各地に10人、世界ベスト100に入る選手がいる状態のほうが望ましいという考えです。そのために、特定の選手にこだわらず、育成体制に投資をすべきだったと考えています。

    >ナショナルトレーニングセンターは、まずは北京オリンピックのために国が設置しそのあと維持のために命名権を売り出して味の素がそれを買ったという比較的新しいビジネスモデルですので、今その様なことを言って責めるのはちょっとかわいそうな気がします。

    責めている部分はまったくないことをご理解ください。将来(今)から過去を語る以上、私の頭脳がどんなポンコツでも、未来からの視点ですから、チートすぎるほど有利です。そういった立場から誰かを責めることはありえないです。そのように感じせられる文面があれば考えて書き直したいと思います。

    また、私もここで国体代表のときにトレーニングをシたことがあるはず…と思ったら、国立スポーツ科学センターと取り違えてました。。申し訳ございません。ただ、内容としては、このような施設こそ必要だったのではないかということです。

    >射場併設のアシストアーチェリーさんは立ち上げ2年目ですが今年の全日本小中学生大会に6名が選出され2部門で優勝を果たしていますし、Dynasty Archeryさんは去年に引き続き今年も独自の競技会であるサマーカップを開催します。
    これからの皆さんの活躍がとても楽しみです。

    ありがとうございます。私達の業界(販売店)としては、プロショップを皆様に必要な存在として認めていただける努力が必要です。韓国のメーカーをはじめてとして、メーカーが直販に参入してきている今、メーカーとユーザーがいればよいのではなく、プロショップも必要であると思っていただけるようがんばります。

  13. こちらは返信を分けないでまとめます。

    >> にヤマハと共同でエクステンダーを開発し
    >> ですから、もしヤマハの全面バックアップが無かったならばエクステンダーの出現はもっと遅くなり、弓の進化の歴史が変わっていたのではないかと想像します。
    >
    > この部分に関してはなにか根拠となる文献はございますか? 私も聞いたことのある話ですが、ただ、同じ話を海外の方から聞いたことがありません。

    これは当時その様に言われていたことなので、残念ながら文献等があるかどうかは分かりません。
    「ロッドは4本まで」というルールの中でセッティングとして成立可能なものは極僅かしかなく、エクステンダーのアイデア自体は誰でも思いつく物でしょう。
    実際にマッキニーが最初に考え出したかどうか確証はありませんので、こういう返しがあることを予想して、「エクステンダーを発明した」的な表現は避けました。
    (それでも推敲が甘くて疑義を提示されてしまうことになってしまったのですがw)
    ただ、「Mロッド」という言葉が当時の我々にとっては共通認識であったことは事実です。
    マッキニーの欲した6インチのエクステンダーには、Vバー+センターとそれらの先端に付けられたウエイトによって発生するモーメントに耐えるだけの強度と押手の肩に負担をかけない軽さを両立させる必要があり、当時の技術レベルではこの要求をクリアするのはとても大変だったのではないかと想像します。
    そのためなのか、当時のロッドは価格的な面のメリットからセンターでさえもまだアルミが主流だったのにもかかわらず、エクステンダーは高額なカーボンしかなかった様に記憶しています。
    また、当時はロッドにTFC(トルクフライトコンペンセーターの略でダンパーの一種、大きくて重いが振動吸収は抜群!)を着けるのが常識だったのですが、ヤマハはコンパクトなTFCとVバーが一体となったとても軽いものを出していました。
    (余談ですが、同級生のヤマハユーザーがMロッドを使ってよく当てていたので非常に気になっていたのですが「ちょっと使ってみたい!」レベルの気持ちで買える様な値段ではなく、またヤマハとニシザワとではネジが違うため借りて試すことも出来なかったので「自分にはペイススタイルの方が合っているんだ!」とやせ我慢をしていましたw)
    以上のことから、マッキニーがヤマハの協力のもとで実用レベルのマッキニースタイルを完成させ、それを商品化したことにより一般のユーザーに広まったことは事実ではないかと思いますので、ご指摘の部分は、
    「ですから、もしヤマハの全面バックアップが無かったならばマッキニースタイルの一般化はもっと遅くなり、弓の歴史に影響を及ぼしたのではないかと想像します。」
    に修正させていただきたいと思います。
    とは言え、これも私の周囲の状況から推察した可能性の一つでしかありませんので、「これが正しい!」と言い切るつもりは毛頭ありません。
    と言うことで、丸投げして申し訳ありませんが、検証の結果を期待して待っています。

    >> 射場併設のアシストアーチェリーさんは立ち上げ2年目ですが今年の全日本小中学生大会に6名が選出され2部門で優勝を果たしていますし、
    >
    > こちらのプロショップは知っていますが、新しいショップではありません。かなり前から活動されています。設立は登記で2013年です。2015年にはプロショップとして営業していたと記憶しています。

    ご指摘の方、どうもありがとうございます。
    確認してみたら「設立」ではなく「射場オープン」の間違いでしたので、訂正させていただきます。

    >> 一緒に練習していた大人たちが一生懸命アーチェリーに取り組んでいる山本さんの姿に心を動かされ色々とサポートしていたそうです。
    >> ロジカルな育成システムも大事だと思いますが、まずは入口である射場にいる大人たちが大人の役目を果たすことも大事なのではないかと私は考えています。
    >> (「今はそんな時代ではない!」と言われてしまえばそれまでですが)
    >
    > この点に関しては、まさしく私はそんな時代ではない派です。それは、環境面というよりも、現代っ子(この表現が古いか…)がそういった近い距離感の環境の射場を喜ぶかです。

    まあ、そうですよね。
    自分も今はスマホでコミュニケーションを取っている様な時代なのに懐古主義的なことを書いてしまい反省しています。

  14. >「ですから、もしヤマハの全面バックアップが無かったならばマッキニースタイルの一般化はもっと遅くなり、弓の歴史に影響を及ぼしたのではないかと想像します。」

    了解しました。

    私の現状の理解では、エクステンダーがMロッドと呼ばれていたのは日本だけだと思います。
    ただ、「エクステンダー+水平Vバー」が世界的にマッキニースタイルとして認識されていたのは間違いないです。

    ここからがわかりませんが、同時期、海外ではエクステンダーは使っていた選手がもういたので、「エクステンダー+水平Vバー」の水平セッティングのほうがマッキニースタイルとして認識され、日本ではその双方が同時に情報として輸入されたので、その両方がマッキニー選手のスタイルとして認識されていた。というのが正解に近いのかと思います。

    >またヤマハとニシザワとではネジが違うため借りて試すことも出来なかったので「自分にはペイススタイルの方が合っているんだ!」とやせ我慢をしていましたw

    こちらの情報ははじめて知りました。勉強になります。ありがとうございます。

    【追記 8/2 14:17】
    エクステンダーを装着するためには4インチ程度のショートロッドが必要ですが、アメリカでは、今でもハンティング用にその長さのロッドが製造されていて、初期にはハンティング用のロッドをリカーブに転用したのが、エクステンダーの始まりかもしれません。ハンティングがない日本では、転用ではなく、そもそもリカーブ用としてのマッキニースタイルとともに輸入されたという可能性が考えられます。

  15. 追記・再度

    75年にマイク・ジェラルド選手がエクステンダーをしているようしているのを確認しました。75/8の雑誌の写真なので、75年4-6月の写真だと思われます。

  16. 色々と確認ご苦労様です。

    >> またヤマハとニシザワとではネジが違うため借りて試すことも出来なかったので「自分にはペイススタイルの方が合っているんだ!」とやせ我慢をしていましたw
    >
    > こちらの情報ははじめて知りました。勉強になります。ありがとうございます。

    ニシザワはホイットと同じインチネジ、ヤマハはミリネジでピッチが違いました。
    ですから、ホイット用のパーツはニシザワにも着けることが出来ました。
    また、プロショップの商品リストにおいてミリネジの海外製品は見た覚えがありませんので、恐らくミリネジを採用していたのは世界中でヤマハだけだったのではないかと思います。

    > 私の現状の理解では、エクステンダーがMロッドと呼ばれていたのは日本だけだと思います。

    日本で「Mロッド」が通用するは、私の記憶違いでなければヤマハのカタログに商品名としてそう書いてあったからではないかと思います。
    では、欧米ではこの言葉が一般的ではないのはなぜなのかと想像すると、単純にヤマハの弓がそんなに流通していなかったからではないでしょうか。
    当時のニシザワはスキーを販売するための拠点が世界中に26か所くらいあったのでそこを利用して弓を販売していて、スキーが盛んな国ではニシザワユーザーが多いと聞いていました。
    (ロサンゼルスオリンピックの動画を見るとニシザワを使っている海外選手を確認することが出来ます)
    ヤマハも楽器やバイクの拠点であればニシザワの何倍何十倍もあったでしょうが、スポーツ用品の流通チャンネルとは違うため恐らく活用出来なかったのではないかと考えられます。
    それに、前述の様にヤマハはミリネジあるために他メーカーとのパーツの互換性が無いこともインポーターが仕入れるときの懸念材料になっていた可能性があります。
    我々はヤマハからの情報に比較的接し易い環境でしたが、海外はそうではなかったという在りがちな話のような気がします。

  17. 情報ありがとうございます。ヤマハは弓も資料もまだ残っているので、残していけると思いますが、ニシザワは情報があまりにもなくなすぎて、まとめることもできず、このままそんなメーカーもあったねとなっていくしかないかもしれないです。非常に残念です。


    90年代の日本語のヤマハカタログ
    80年代の英語のヤマハカタログ

    両方再度確認しましたが、エクステンションロッドで間違えありません。正しく使われています。

  18. 色々と確認ご苦労様です。

    私がカタログを見たのは70年代の終わりで載っていた弓はYTSLⅡでした。
    そして先の書き込みは、同級生とカタログを見ているときに「このMロッドのMってなんなの?」「マッキニーのMじゃないの?」という会話をしたという記憶が元です。
    提示いただいた資料についてですが、1983年のロサンゼルスオリンピックでマッキニーはホイットを使用している様なのでこれより前にヤマハとの関係を解消したと思われ、それ以降のカタログにおいてはマッキニーの名を関したMロッドという表記は封印したのかもしれません。
    と屁理屈を言ってみましたが、何しろ40年以上も前のことなので複数の出来事が時を経て私の頭の中で合成されたものだったのかもしれません。
    ただ一つ言えることは、当時は今の様にインターネットは無く誰かの作り話が勝手に拡散することはありませんから、当時誰もが同じ実体のある何かに書かれていた文言によってMロッドという言葉を認識したのではないかということです。
    ですから、カタログではないとすると次の候補は月刊アーチェリーの記事になるのかな?
    (ヤマハの生き字引である亀井さんにお伺いすれば一発なんでしょうけど)

  19. >私がカタログを見たのは70年代の終わりで載っていた弓はYTSLⅡでした。

    1980年のヤマハのカタログ(英語版)にはエクステンダーもMロッドも登場していないです。ここまでしか調査できませんでした。

    >当時は今の様にインターネットは無く誰かの作り話が勝手に拡散することはありませんから

    私が小学校5年生(1995年)の時からインターネットを使っているので、ネット時代の世代側かもしれませんが、70年代の終わりだと、オリバーくん(チンパンジーと人間の中間にあたる未知の生物?)とか、川口浩探検隊シリーズの頃かと思いますが…1970年代を生きていませが、到底そうは思えないような時代だと感じます。正確な情報にアクセスできる人間が限られていた分、作り話をし放題だったと感じています。

    初期のネット界(ハッカー)の合言葉に「Information wants to be free(情報を自由に)」というものがありますが、情報が拡散することは、逆に作り話をしにくくしていると考えます。

    あの時代に関係者が適当に「マッキニー」が…云々カンヌンと言っても、正しいのか検証する方法は皆無ですが、今ではエリソン選手の弓の塗装が気になったら、ネットで本人に気軽に聞けてしまうので、逆に(検証できる情報なら)嘘は言いにくいのではないかと思います。

    https://archerreports.org/2016/05/color-called-paint-pen/

    >ですから、カタログではないとすると次の候補は月刊アーチェリーの記事になるのかな?
    >(ヤマハの生き字引である亀井さんにお伺いすれば一発なんでしょうけど)

    私の理解が正しければそうならないです。こういった検証は当時、反対側で(マッキニーがヤマハと組んで世界初の新セッティングを発明した)このような広告手法を快く見ていなかった人間側からあたっているべきで、近しい関係者は適切ではないと考えます。

    実は確かな根拠がないですが、この話はだいたい自分の中では解決しています。

    https://archerreports.org/2013/05/hoyt%e3%81%ae%e5%89%b5%e6%a5%ad%e8%80%85-earl-hoyt-jr-%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%93%e3%83%a5%e3%83%bc/

    上はホイット氏のインタビューをまとめたものです。読者の事、わかりやすさを重視して、私の方で手を加えています、本人が間違いなく言ったことは、赤字にし、私の補足と分けています。

    しかし、いくつかマッキニー氏のインタビューを読みましたが、本人が言ったこと、翻訳・記事として掲載する際に本人ではない第三者が書いた追加意見・説明・補足がごちゃまぜになっています。そのあたりに問題があったのだろうと理解しています。

    【追記】
    詳細、自分のメモにありました。96年3月の雑誌アーチェリーのマッキニーのインタビューの中に「ハイスピードカメラはヤマハが最初に導入したが」という記述があるが、最初にアーチェリーのパラドックスを収録したのは、アメリカのヒックマン博士で、1947年に「Archery: the technical side」として発表されていて、アメリカでは有名な話です。それらの装置はホイットに引き渡され、ホイットの商品の開発に使用されました。

    マッキニー氏が知らない可能性は低く、それを知らない日本側が勝手に付け加えたと考えるほうが妥当です。

    https://archerreports.org/2013/06/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%81%A8%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%88%E6%B0%8F%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99/

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