改訂しました。アーチェリーの理論と実践

*2013/5/20投稿(旧題 古いこと)、2023/3/19に加筆して再投稿

(加筆) ボジョレーの2016年を2023年に飲みましたが、熟成させることもできるのは本当みたいです。さて、現在の射形のベースとなっているスタイルを完成させたホレート・フォードの著作を2013年に翻訳しましたが、この10年で手直ししたいところ、解説を入れるべきところを、解説付き改訂版として再編集しました。下記リンクからダウンロードできます。(加筆ここまで)

【改訂版】アーチェリーの理論と実践 – The Theory and Practice of Archery ホレース・フォード 著 (PDF 3MB)

(以下、2013年の5月の記事ですので、最近の話ではありません)

長くブログを書いているといろいろな反応が返ってきます。誤字脱字はともかく、今でも覚えているのは、ミザールハンドルを間違って「アルミ製」と書いてしまったことなどで、お叱りを受けて直ちに訂正しました。逆に、正しいことを書いていてお叱りを受ける記事もあります。中国工場の製作技術の低さを批判したところ、それを売っているショップが自作していると勘違いされた読者が、作り手に対して経験不足と評したことを、大先輩でもあるベテランの販売店に対して経験不足と言ったと受け取られ、お叱りを受けました。

正しい知識もあれば、間違っている知識もありますが、一番怖いのは、正しいと思い込んでいる間違った知識・情報ではないかと思います。今回、コメントを頂いたのでお客様の間違いを正すことができましたが、コメントを頂かなければ、すっど勘違いで私が批判される事態が続いたのかと思うと…恐ろしいです。

単純に自分が間違ったことを書いてしまったなら自己責任ですが、受け取り手の勘違いによって思わぬトラブルや批判が生まれるのはなぜか。アメリカやヨーロッパでは、自分がやろうとしているような弓具の評価・レビューというのは当然の様にアーチェリー雑誌に掲載され、広く読まれています。欧米人にできて、日本人にできないはずはないでしょう。その違いはどこにあるのかと考えたのが、2月。

そして、「古いこと」…つまり、それは歴史があるのかないのか、正確には歴史が語られているのかどうか、そこに違いがあるのではないかと思うようになりました。欧米のアーチェリー用品のレビューには、1920年代から積み重ねられた知識と常識があり、レビューをする人間はその文法・文脈にのっとり、発言しているからこそ、誤解されずに、正しい情報が流通するのではないかというのが自分の現在の仮説です。対して日本のアーチェリーのメディアの多くの商業主義に上に成り立っているものです。商業にとって歴史は積み重なるものではなく、流れていくもので、過去はむしろ邪魔です。

有名な話ですが、これはボジョレーの毎年の”自己”評価です。

1995年「ここ数年で一番出来が良い」[1]
1996年「10年に1度の逸品」[1]
1997年「1976年以来の品質」[1]
1998年「10年に1度の当たり年」[1]
1999年「品質は昨年より良い」[1]
2000年「出来は上々で申し分の無い仕上がり」[1]
2001年「ここ10年で最高」[1]
2002年「過去10年で最高と言われた01年を上回る出来栄え」「1995年以来の出来」[1]
2003年「100年に1度の出来」「近年にない良い出来」[1]
2004年「香りが強く中々の出来栄え」[1]
2005年「ここ数年で最高」[1]
2006年「昨年同様良い出来栄え」[1] (ウィキペディアからの引用)

さあ、どれが一番いい出来だかわかりますかね…「エスキモーに氷を売る―魅力のない商品を、いかにセールスするか」なんて本が出版されるくらいですから、商品にとって、マーケティングが全てなら、過去の話(歴史)を蒸し返されては、いろいろと困ることは想像できると思います。

日本ではアーチェリーの歴史がまとまった形、整理された形で存在しないことをいいことに、勝手に書き換えられたりしています。例えば、私たちも行っているハイスピードでの弓具の研究は、日本のヤマハが初めてだと某雑誌の記事には書かれていますが、アメリカでは1930年代から行われており有名な話です。その研究を1930年代に始めたの現在の弓具の形を作ったヒックマン博士です。ホイット氏(HOYT創業者)は彼に感謝の手紙を送っています。また、同時期には和弓の世界でも、旧海軍兵学校の協力のもと、120fpsで弓の動きを撮影し、弓の研究が行われていました。どちらも80年以上前の話です。

日本での戦前の研究は「紅葉重ね」でその写真を見ることができますし、ヒックマン博士は「Hickman: The Father of Scientific Archery」という伝記が英語で出版されているほどの有名人です。

現在のアーチェリーは19世紀の後半から、脈々と続いてきたもので、多くの研究によって進歩してきたものです。メディアにアーチェリーの記事を書くほどの人達が、これらの常識を知らないとは思えません。日本人には知られていないのをいいことに、商業的に歪曲しているのでしょう。

5月にホレース・フォードの本を翻訳したのをはじめ、ホイット氏のインタビューの編集など、弓具のレビュー以前に取り組むべきことがあるように感じます。

欧米にあって、日本にはない(と自分は感じる)のは、今に続く歴史を知っているかの差、そして、正しいアーチェリーの歴史を語ることで、日本でもそのようなものが、時間はかかっても熟成していくのではないかと思っている今日この頃です。


HOYTの創業者 Earl Hoyt Jr. インタビュー

以前に、WIN&WINの社長のパクさんのインタビューをブログに掲載したことがあります。2年近くたちますが、今に続くことがいろいろと書かれていると思います。
ネット上には正しい情報もあれば、正しくない情報がありますが、HOYTの創業者に関して言うと、検索するといくつか記事がありますが、どれも彼が書いた文書やインタビューを読んだ自分の印象とは全く違います。HOYTの創業者の考えに関しては、本人の著書やインタビューなど、資料が豊富にありますので、今回は4冊の本から、抜き出し、一つの記事にまとめてました。


下記はHOYTの創設者のホイット氏(Earl Hoyt Jr.)のいくつかのインタビューをつなぎ合わせて、編集したものです。ベースになった記事は、下記の4冊の本で読むことができます。
・Archery (1972) 著者 Earl Hoyt, Don Ward
・Traditional Bowyers Encyclopedia (2007) 著者 Dan Bertalan
・Vintage Bows – 1 (2011) 著者 Rick Rappe
・Legends of the longbow (1992) 著者 多数

赤字は実際のインタビューを翻訳したもの。黒字は自分の補足です。補足も論点はずれていないと思いますが、実際のホイット氏の発言は赤字だけですのでご注意ください。



Eddie Lakeから変身

1930年代のミズーリ州セントルイス…エディ・レイク(Eddie Lake)というギターリストが毎晩地元のダンスホールを盛り上げていた。彼のバンドはラジオでも有名になったが、1938年に彼のバンドは解散することになる。このエディ・レイクこそがのちのアーチェリー界に、ホイットとして記憶される偉大なイノベータである。

* Eddie Lake はホイットがラジオ局からギターリストとして響きがよくないと指摘されて使用していた芸名。

弓との出会いとアーチェリービジネス
ホイットが弓と出会った時、弓には2種類しかなかった。リカーブか、コンパウンドかではなく、「誰かが作った弓」か「自分で作った弓」かだ。ホイットのアーチェリーとの出会いは、アローポイントに始まる。学校が友人から滑らかなアローポイントを貰い、その美しい流線型のデザインに夢中になった。1925年、14歳の時にボーイスカウトのマニュアルを読んで、ヒッコリーの弓を自作した。しかし、ヒッコリーはねじれに弱く、2つ作った弓をどれもすぐにねじれてしまった。

そこで、ボーイスカウトではなく、アーチェリーの専門誌を購入して、専門の知識を仕入れることにした。「Ye Sylvan Archer」という雑誌は当時唯一のアーチェリー雑誌だった。それを購読し、そこに広告が出ていたHunting with the Bow and Arrow(1923)という購入し、そこから専門知識を学びとり、オレゴンからイチイの一枚板を購入して、初めての実用的な弓を作り始める。

*これは所謂セルフボウというもので、一枚板からできている。そのほかにバックドボウやコンポジットボウなどがある。

1931年、大恐慌の中、ホイットは父親と副業で矢づくりの仕事を始める。30代の時、景気が回復したのを受け、セントルイスのワシントン大学に通い、エンジニアリングを学ぶ。昼は大学と父親の会社の手伝い、夜はギターリストという生活を送る。

*アメリカでは社会人学生は珍しくない。

40代初頭がホイットの人生の転機だった。大学を卒業したホイットはカーティス・ライト航空のエンジニア部門(のちのマクドネル航空)に職を得ていた。しかし、父親の会社が戦争の影響で倒産したことにより、父親は矢づくりが副業から本業となる。自分も週60時間の本業をこなした後に、父親の矢づくりを手伝うようになる。
しかし、1946年に矢作り職人として多くの顧客を持っていた父親が病に倒れ、ホイットはアーチェリービジネスから手を引くか、エンジニアとしての職を辞すかの選択をすることを迫られ、彼の決断がアーチェリーの歴史を変えることとなる。

「アーチェリービジネスに舵を切ったことは、最初のうちは間違った決断だと思っていたんだ。マクドネル航空での良い仕事を離れてから最初の3、4年、アーチェリーの仕事の出来はひどかった。でも4年目から風向きが変わったんだ。それからは右肩上がりさ。その傾向はずっと続いていた。」
(Traditional Bowyers Encyclopedia P.183)

ホイットは1946~1978年までアーチェリー業界のトップを走り続けた。1978年、ホイットは会社の経営権をCML Groupに売却し、5年後の1983年に経営権はイーストンに、さらに売却された。その間、ホイットは社長から退いたものの、副社長と研究部門の責任者、コンサルタントとして、かつて、オーナーだった会社に籍を置いた。
ホイッとはアーチェリー業界団体(AMO 現ATA)の理事としても、活躍し、現在のアーチェリーの道具に関する基準(AMOスタンダード)の95%以上に関与している。

ハンターとして
ホイットはハンターでもあったが、あまり、情熱的とは言えなかった。

「あるときフレッド・ベアーと話したけど、彼は僕に言ったんだ。彼のハンティングに対する情熱は、対象が何であれ、大きな獲物を仕留めることだってね。僕は逆にそんな欲望は持ったこともなかったね。…中略…いまでは獲物を仕留めることはまったく重要ではなくなってしまった。一番大切なのはハンティングのその場にいるということなんだ。…中略…単純に僕は大自然の中で獲物を追い回すことそのものを楽しんでいるんだよ。」
(Traditional Bowyers Encyclopedia P.185-186)

*フレッド・ベアーは当時のトップメーカーBear Archeryのオーナーで、伝説的なハンター。

ロングボウの思い出
今でこそ、リカーブボウメーカーとして知られるホイットだが、彼はロングボウを作ることから始めた。ロングボウを作るとき、特にひいきしていたのは、オーセージだった。

「僕はオーセージをちょっとひいきして使っていた。すごく丈夫な木だからね。ハンティングボウには特にそうだったよ。イチイの方がより引き味が優しいシューティングボウになり、ターゲットシューティングには最適だった。でも僕がオーセージを好んで使っていたのは、それがミズーリ原産であり、丈夫で良いハンティングボウを作るのに向いていたからさ。
あとは手に入れやすかったということもある。でも、外に出てオーセージを見つけてそれを切り倒し、そこから弓を作るという単純な話でもない。山を1マイルほど下っていっても、弓を作るのに十分な均一性とまっすぐさを持っている木を見つけることは簡単ではない。何故ならオーセージは大抵曲がりくねって育ち、一枚板から作ることはほぼ不可能だ。普通は木をフィッシュテールして接ぎ合わせる。そうすれば同じ丸太から接ぎ木を取ることができるから、同じ性質を持ったウッドを両方のリムに使うことができる。」

(Traditional Bowyers Encyclopedia P.186)

現在の弓からは異様に見えるが、当時はレストがなく、シューターのこぶしに矢を載せてシューティングしていた。そのために、羽のトリミングをしっかりしないと、射ったときに、羽の筋が拳の肉をえぐって飛んでいく、しかし、アローレストとしての機能を果たしてきた、傷だらけの拳は、むしろ、ホイットには誇らしいものだったようだ。

ホイットの執務室のオーセージのロングボウの横には、古いスタティクリカーブボウがある。

*リカーブの深さにより、セミリカーブ・スタティックリカーブ・フルワーキングリカーブの3種類に分類される。

「僕はカムやスタティックリカーブから、シューティングが滑らかでより効率的なリカーブに移っていった。歴史的に見るとこの進化は比較的最近できたものだ。最初のリカーブは30年代後半に登場した。そのタイプのリカーブを最初に作ったのはビル・フォルバース(Bill Folberth)だった。彼は情熱的なアーチャーであり、イノベータであり、初めてリカーブを導入した人物だった。」
(Traditional Bowyers Encyclopedia P.188)

*Folberth Bowのオーナーで、弓のラミネートやリカーブに関する特許を持つ(US2423765)。

執務室にはほかにもいくつもの思い出深い弓がある。1947年、ホイットは初めてリムのダイナミックリムバランスを得ることに成功した。つまりは、上下のリムの長さを初めて同じにした弓を作った。昔の弓のグリップはただの棒のようなものだったが、1948年にはピストルグリップを弓に搭載した。1951年には安定性を向上させたデフレックスボウと、パフォーマンス重視のリフレックスボウの製造を開始。60代の時には、ハンドルに安定性を持たせるために、ハンドルの重さを増やすこと仕組みを開発。ウッドハンドルに穴をあけて、その中に鉛を入れるというものだ。

「あるとき僕は弓にウェイトを入れるという発想がミスだということに気がついたんだ。より伸ばした状態のウェイトがあればもっと良くなると考えた。スタビライジングの原理を説明するために僕が挙げた例は、箒を柄の端で持って、その移動への抵抗の感覚を掴むということだった。そうするととても速く動かすことはできない。でも柄の真ん中で持つと、さっきと比べて驚くほど動きへの抵抗はなくなる。これが単純な物理の法則を用いたスタビライザーの原理の説明だ。」
(Traditional Bowyers Encyclopedia P.188)

1961年、ホイットはこの原理を利用したスタビライザーが搭載された弓を持って、アルカンザスのホットスプリングスでおこなわれたナショナルフィールドアーチェリーアソシエーションチャンピオンシップに行った。会場では「ドアノブ」と馬鹿にされたものの、この弓を使用したロン・スタントンが、新しい弓で新記録を樹立し、その仕組みは一気に有名となった。

グラスからフォームへの挑戦
1970年代前半、エキゾチック・ハードウッドの値段が高騰し、低価格の金属ハンドルが人気となった。ホイットは、エキゾチック・ハードウッドから、メイプルに変更するものの、結局は1973年にすべてのラインナップが金属ハンドルになる。

リムでは、まずグラスファイバーを研究した。グラスファイバーをリムに使用することに関して、ホイットは決してトップランナーではなかったが、熱心に研究した。特に注目したのはグラスの色。もっとも性能が悪いのはグレーのグラスファイバー。グレーの顔料が接着材に影響し、接着が不完全になってしまう。白もダメだった。白のグラスファイバーを作るのには大量の顔料が必要で不純物が増えてしまう。日光の影響を抑えるためには、リムは黒にしないという大原則があったが、黒のグラスファイバーは一番性能がとてもよかった。もちろん、透明のファイバーもよいが、黒とは大差がない。

ホイットの次の挑戦はフォーム素材だ。

「初めてファイバーグラスを使い始めたとき、ウッドコアボウと呼ばれているもののコアがイチイだろうとオーセージだろうとなんら代わりはないと思った。だってそれ自体がより性能の高いモジュラー素材に挟まれてしまっているからね。この素材、ファイバーグラスは非常に素晴らしい素材で、矢を推進させるエネルギーに長けていた。そのために、ウッドコア基礎(glue base)とスペーサーにすぎなくなってしまった。コアの重さ以外は、もはや弓のダイナミックな物理特性に影響を与えることはない。

コア材にブレークスルーができた。それは比重がメイプルよりも軽いプラスチックで、直径60マイクロンほどの微少中空体からできている。この素材は非常に高い耐久性能がある。必要な物理的特性をすべて持ち合わせ、湿度の影響を全く受けず、熱や寒さにも強い。僕たちの新たな特許技術のシンタックスフォームコアはすべての面でよくなっている。これが長年に渡る「コアウッド」のスタンドダードとなる可能性は高いと思っている。」
(Traditional Bowyers Encyclopedia P.189)

*シンタクチックフォームのこと。微細中空ガラス球入りエポキシ樹脂。

しかし、フォームコアの製造はとても困難だった。まずは、フォームの内側には気泡が含まれているが、この大きさを均一にすることができなかった。試作品はすいすいチーズのように気泡は大きさがバラバラで、とても均一ではなかった。また、完成したフォームの加工も困難だった。マイクロスフェア構造という特性のために、ブロックからラミネートするために切り出すとき、グラスファイバーの何倍もの負荷が機械にかかり、刃がすぐにボロボロになってしまうのだ。いくつかの困難を乗り越えたホイットのシンタクチックフォームコアリムは、いくつもの世界記録を塗り替えることになる。

スピードよりも安定性
リムの性能には多くの面がある。ホイットが最も重視していたのはリムの安定性だ。スピードよりも、リムが安定して正確に、ミスに対する許容性が大きい事を重視して設計していた。安定性・スピードのほかにも、スムーズさや、効率性、振動の少なさなども必要だが、すべてを一つのリムに盛り込んだ究極のリムはまだ存在していない。すべてのメーカーは、優先順位をつけて、妥協しながらリムを設計している。

「メーカーによってそれぞれが異なる特定の能力に力を入れているのが分かる。多くは精確性を犠牲にして、スピードに傾倒している。しかし、高いパフォーマンスから発生するストレスによって、弓の寿命は縮んでしまう。どの能力に力をいれるか、重要度はそれぞれ異なる。僕の場合、最も優れた弓とはこれらすべての要素のバランスが良く取れている弓で、かつ安定性に重きを置いているものだ。」
(Traditional Bowyers Encyclopedia P.191)

コンパウンドとクロスボウ
矢作り職人としてアーチェリー業界でのキャリアをスタートさせ、ロングボウの製造からリカーブボウの製造に移行したのち、ホイットはコンパウンドボウの製造をスタートする。アーチェリーのマーケットは大きく変化し、アメリカ最大のマーケットであるハンティングボウはロングボウ/リカーブボウからコンパウンドボウにかわっていく。1970年代にその変化についていけなかったアーチェリーメーカーの多くは破たんした。シェークスペアのアーチェリー部門やウィング・アーチェリー(世界初のテイクダウンボウを開発したメーカー)などだ。

「僕は昔コンパウンドに対して偏見のようなものがあった。昔の古い会社はみんなそうだった。ベアやピアソン、他の先人たちもみんなコンパウンドに背を向けていた。彼らはみな、それを弓とは思わなかったんだ。僕らは偏見にまみれ、視野が狭かった。」

「僕にとってクロスボウは、(ロングボウと)歴史的には対等でも、ロングボウほどのロマンスが感じられない。この主張は議論する余地があることは分かっている。でも僕は、クロスボウが人気のあるものになるとは考えていない。その鍛錬には、手で握って、手で引いて、手でリリースする弓ほどの挑戦が必要ないように思える。当然、クロスボウに情熱を注いでいる熱狂的な人たちがいて、彼らが自分のやっているスポーツを促進しようとしていることも理解できる。それは僕にとっては関係のないことだけど、彼らの成功を祈っているよ。」
(Traditional Bowyers Encyclopedia P.198)

ホイットはコンパウンドボウを開発し、販売する決断をする。一方で、クロスボウとは距離をとり続けた。今でも、ホイット社はクロスボウの製造はしていない。
ホイットのインタヒューを読むと、やはり、現在のアーチェリーメーカーの開発者とは明らかに違う。最高の競技用リカーブボウを開発していたものの、用語の使い方(self bow – backing – working recurve)や考えは、ロングボウの開発者そのものだ。

ホイット社を78年に売却した後も在籍していたが、のちに、ロングボウ職人のJim Belcherとともにロングボウ中心のアーチェリーメーカー(Sky Archery … ホイットの死後マシューズに売却)を立ち上げたことからも、やはりロングボウを作りたい気持ちは強くあったのではないかと思う。


最大手の競技用弦メーカー FLEX アーチェリー 訪問 その1


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スペイン・サンタンデールのMMBC ARCHERYを訪問してきました。MMBCは会社名で、傘下に世界最大の弦ブランド”STRING FLEX”と、新素材を採用する事を得意とするFLEX ARCHERYがあります。以降統一して、FLEXと書きます。

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以前訪問したフランスのUUKHA同様、のどかな港町に位置しています。

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入口はアロープラーで飾り付けられています。このアロープラーは特製のもので、製造するアロープラーの素材の色を変えるときに、前の色の素材と新しく入れた色の素材が混ざった出荷できない製品を再利用しているそうです。
入口のスペース。アーチェリー製品の製造を開始したのは、20年ほど前ですが、その前はアーチェリーのプロショップを営業しており、完全に製造業に転向したのは3年前。その時の名残のショップスペースだそうです。

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会社のトロフィールーム。写真中央は社長のマリアさん。スペインチャンピオンだった時のメダルです。1970~80年代にスペインでトップにいた名選手です。英語がしゃべれないのであまり交流ができませんでした…写真下が通訳・技術者のグレゴリオさんです。持っているのは、アメリカの長期研修で取得したUSA ARCHERYのレベル4のコーチング資格です。外国人(連盟に所属していない人)が取得できる最上位のコーチング資格だそうです。
社長のマリアさん、エンジニアのグレゴリオさんともにアーチェリー歴40年近くで、1970年代~80年代にスペインのトップとして活躍し、80年代~90年代にプロショップ兼協会役員(大きな試合のプロデュースなど)として活躍し、90年後半から、アーチェリー用品の製造に転向し、大きく成長した来たので、最近では製造業に専念し、プロショップも閉じてしまいました。ちなみに、スペインには20店舗ほどのプロショップがあるそうです。

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弊社でも立ち上げ中なので、参考にするためにテストルームを見学しました。写真は使用している設備の数々で、上は4000コマ/秒のハイスピードカメラ、下は最近、原糸の評価精度を上げるために導入した0.001mm(1µm)単位で太さを測定できるセンサ。


こちらは原糸テストです。テストに使用しているのはAstra/8190/8125g/FF+/ダクロンです。テスト結果をどう評価するか(つまりどの原糸が優れているか)、その話は中核的なノウハウなので今回は書きません。
上の動画でどのように原糸を評価しているかわかると思います。テストを行っていない弦は品質が安定しません。同じBCYの素材を使った弦でも、完成度に違いが出るのは、入荷した素材をそのまま使うか、どこまでチェックしてから使うかの差です。
まず、メーカー(BCYやブローネル)から、原糸が1ポンドごとのスプールと呼ばれる単位で入荷してきます。ちなみに、FLEXでは、月に100~200ポンドの原材料を使用しています。単純計算で月に10,000~20,000本は弦を製造しています。
入荷したすべてのスプールは、250kgの力でストレッチされ、原糸の状態を確認します。それぞれのスプールごとに、出来の良いものと悪いものがあり、悪いものをはじきます。残ったスプールは、許容範囲内にある誤差をバーコードで管理し、製造時に誤差を機械で補正します。
動画の2番目の映像では、弦をストレッチし、その後の変化を見ています。伸ばした時の変位があっても、弦を製造するときに伸ばせばいいだけなので問題ありません。問題はいったんテンションをかけて伸ばしても、元に戻すと縮もうとするものです。この場合、競技で使用するときも250kg(550ポンド)ほどの力はかからないものの、発射時に弦は伸ばされ、逆に矢取り時に弦が縮み、元に戻ったりして、ハイトが安定してくれません。
長さが安定しない弦は競技では使用すべきではありません。動画を見ていただくとわかると思いますが、ストレッチを止めて戻すと、上に動く弦が存在するかと思います。これは弦が元に戻ろうと縮んでいるからです。このような弦はハイトが安定せず、競技では使用できません。また、FLEXでは上位モデルは出荷時にストレッチをかけて、弦の状態を安定させていますが、この処理を行ってもこの弦は安定しません。

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その代表格はダクロンです。ダクロン弦は全く長さが安定しない弦で、マリアさんも1970年の初めにダクロンで1250点をうったことを誇りにするくらいです。。。
この場合、FLEXでは製造後、写真のような状態で2日間”熟成”させます。それによって、弦の状態が安定し、その状態で初めて、長さを測定してパッキングすることで、誤差を押さえています。
続く。

 


だれでもモノづくりができるのか (FLEX ARCHERY 前篇)

 

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フランスNimesでの展示会とワールドカップインドア観戦後にスペインのFLEXに向かいました。日にちの都合で1日自由時間があったので、スペインの西側、サンティアゴ・デ・コンポステーラという町に向かいました。
西洋世界ではバチカン・エルサレムに次ぐパワー・スポットで、お世話になっている方にパワースポットのパワーストーン(黒琥珀)買って来ました…なんか効用ありそうじゃないですか★

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景気があまりよくないスペイン…聖地でも、銀行のリストラに反対している人たちのデモがありました。スペインの物価はヨーロッパの中でもかなり安い方なので、旅行者としては助かるのですが…どうなっていくのでしょうか。

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ちなみに、通訳の塩飽はアンドラ、京都店の米田はバルセロナに。さらに、ちなみに、サクラダ・ファミリアが教会として認められる(2010年)まで、毎年見に行ってましたが、この教会は寄付のみによって建設されています。寄付金によって、細々と建設されていたために、完成するまでに200年と言われていましたが、近年マスコミなどに取り上げられたことで、観光客が急増し、入場料と寄付金が建設費としてあてられるのですが、この建設費が潤沢になり、あと、想定工期がどんどん短縮され、建築物だったのが、着工から128年目の2010年には教皇によって教会として認められ、外観も後10~15年で完成する予定です。未完の状態を見たい方はお早めにどうぞ。

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2012年の11月にクリス・アンダーソンが来日して講演を行いました。以前から、この「メーカーズ」という運動には注目していたので参加しましたが、簡単にいうとだれでモノ作りができる世界がやってきます。
講演会自体は100人くらいの参加者が集まって、こじんまりと行なわれたのですが、その内容が斬新だったのか、12月ごろにはこぞって(経済系の)マスコミが記事として取り上げました。
興味がある方は読んでみてください。ただ、web記事は1か月くらいでリンク切れると思います。ご了承ください。

 


ものづくりデジタル革命、生産者・消費者の垣根消える(日経マーケ)
MAKERS クリス・アンダーソン著 製造業を変える個人のものづくり(日経新聞)

2030年のモノ作り (日経ビジネス・バックナンバー)

製造業が根底から変わり始めた! メイカーズ革命(週刊東洋経済・バックナンバー)

『MAKERS』に見る製造業の新潮流 (週刊ダイヤモンド・バックナンバー)

 


話をアーチェリーに戻すと、まず、アーチェリー業界では少し前には「機械弦」「手作り弦」とどっちが優秀かという議論がありました。現在では、機械で作った弦が優秀というのが一般的な意見です。まだ、手作りの弦を好んでいる選手も多いですが、いずれ、すべて機械弦に変わっていくでしょう。
まぁ、木製の弓で天然繊維で作った弦を使用している世界であれば、弦も手作りの方が優秀かもしれないですが、ハイテクを駆使したカーボン繊維で作った弓に、合成された繊維(8190ならSK90)を編んで作った原糸を原材料とする弦ですら、機械の精度がますます上がってくれば、弦の製造も機械で作った方が、バランスが取れるのは理解していただける話かと思います。ただ、弦自体の性能ではなく、融通が利くという意味では、手作りの方がいいのは続いていくのでしょう。
*機械製と手作りの弦についての議論は、オペレータが同じレベルという前提です。手作りの弦を作る人が50年のベテランで、機械の弦を作るオペレーターが新卒なら、前者の方が優れている可能性が相当に高いです。
2012年末、アメリカのSpecialtyで弦を作る機械が発表されました。もちろん、FLEXやWinners Choiceのような弦を作るメーカーがあるので、これまでもこのような機械はありましたが、とても高価な機械で個人どころか、プロショップが買えるような値段ですらありませんでした。

SS-600 Cropped

しかし、この機械は16万円程度で、その他の備品一式を購入しても、30-40万円で弦を機械で作る設備を整えることができます。前の「メーカーズ」の話につなげれば、まさに誰でも、優秀な機械製の弦を作ることができる時代がやってきました。
これからやってくる、その時代に大規模メーカーとしてのFLEXの優位性はどこにあるのか、その疑問を胸にFLEXに向かいました。

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Flexはスペインのサンタンデールという素敵な海辺の町にあるのですが、ホテルに着いてすぐフロントから、荷物があるといわれ受け取ったのがこちら。
私たちが泊まるホテルをFlexに連絡したところ、アポの前日にわざわざFlexの方がホテルに来てくださって、歓迎の手紙を置いて行ってくれました。素敵な心遣い感謝いたします。


Nimes 2013 その2

 

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お待たせしました。Nimesの前回の記事の続きです。現在、スペインのサンタンデールという町にいます。明日、23日はString Flexの方が会社を案内してくれることになっています。24日の早朝に帰国し、25日から本社に出社します。

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さて、会場で回った順番に書いていきます。まずは、Bowtechのブース。2013年の新モデルのエクスペリエンスが展示されており、出荷の準備も完了しているそうです。即納を50ポンドにするか、60ポンドにするかで迷っています。

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写真のとおり、とにかくダンパーがたくさん標準装備されているのですが、静かさ・安定性・(ハンティングサイズの中では抜群な)ミスに対する許容性を追及したモデルになっています。確かに、このサイズの小さな弓にしてはハイトも高いですし、小さい弓にこだわっている方には良さそうな気がします。
近年、ハイパワーの弓で元気なBowtechらしくない弓ですねという話をしたところ、春にはもう一本弓を発表する予定とのことでした。詳細は教えてくれませんでしたが、3D・ターゲット向け(予想するにATAの長い矢速の速い弓)モデルとのことでした。

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次にKAYAのブースに。期待のK3ハンドルをテストしてみました。予想通りに、オールカーボンで細身で軽く、昔のイオラや、HOYTのネクサスのようなハンドル全体も振動して弓全体でしなるタイプのハンドルです。
細かい点を見ていくと、まだ仕上げが十分でない点がありますが、展示されていたハンドルは試作品だというので、量産モデルに期待します。仕上げのレベルさえ上がってくれば、結構お勧めできるハンドルです。
KAYAのメインの市場ヨーロッパなのですが、近年の不景気のせいで、売れ筋商品が変わってきていて、2012年から中位モデルに力を入れてハンドルとリムの開発をしてきたそうです。ちょっと、写真を撮り忘れましたが、SOULタブも展示されていました。ハンドルと違い、タブにはたっぷりとお金をかけて、最高のものを作ったそうです。そのおかけで…販売価格も最高級になりそうなのですが…特に目を引いたのはコードバンで、触っただけでわかるほどのいいものを使用していました。確認したところ、タブは韓国で作っているものの、コードバンはアメリカ・シカゴの専門業者から最高のものを輸入しているとのことでした。2月に入荷するのが楽しみです。
近年、中国のOEMメーカーが台頭し、50万円くらいお金を払えば、誰でも一応タブを作れる時代になってしまったので、高価格帯のメーカーはコードバンやプレートの形、アイデアで勝負していますが、KAYAのSOULタブはなかなかの完成度だと思います。

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次は、明日もお会いするString Flexの新しいダンパー。リムセーバーのようにして使うこともできるし、グリップに貼って使ったり、サイトやハンドルにも使用できます、もちろん、上の写真のように実際には強力な両面テープで貼り付けて使用します。

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このダンパーの面白いところは、写真のように、別にお風呂場なんかで使えような吸盤でダンパーを固定することができます。リムセーバーなどでは、よくどこに貼るのが一番効果的か議論になりますが、このダンパーは吸盤で効果があると思われる場所にいったん固定してテストし、効果があると感じたら、両面テープで実際に固定するというチューニングができます。
一応、理論上理想的な場所というのはある程度決まっていますが、弓はそれぞれに全部が違う振動となるので、こうやって吸盤タイプのものでチューニングしながら、本当に効果的なポイントをピンポイントで見つけるのが一番理想的だと思います。

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次に、カーテルのブース。アルミ・カーボンとFINEカーボンのモデルチェンジしたものが展示されていましたが、実物が自分が帰国する時期にはもう会社に届いているので、実物のほうでレビューします。
それ以外に新規に取り扱おうと思ったのが、写真の2種類の新しいタイプのサイトピンです。写真ではわかりにくいかもしれませんが、できは良さそうです。サイトピンはとにかく自分があうものを見つけるしかない道具なので、選択肢が増えるのはいいことかなと思います。
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次に新しく登場したINFITEC。自社で製造しているわけではないブランドで、特に面白いものは多くありませんでしたが、このアッパーとクリッカーは扱ってみようかなと思います。こちらは交渉中です。

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こちらは今回初めてブースを出したメーカーさんです。メーカーというよりは、オーダーをまとめて工場に発注して、自分たちの手で直販するという感じでしたので、あまり深く突っ込んだ話はしませんでした。商品のラインナップも特にとく面白いものはなかったので、来年に期待します。

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WINのブースではINNO MAXの現物を確認してきました。良さそうですが、まだ、グリップの製造が安定していない感じでした。モデルによって、ピボットポイントの位置が微妙に違っています。生産が始まるまで修正されるといいのですが。
上の写真はマット色のINNO EX POWERです。たぶん3月ごろに出荷が始まります。写真上の左がマットで、右がグロッシーです。写真下は逆になっていますが、バック側のリムの金具がマットでは黒、グロッシーでは銀(現行のまま)です。当然性能が違うことはないので、マット色を狙っている方は入荷をお待ちください。

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次は、GAS PRO。写真上は製品ではなく、現在開発中のタブです。コードバンなどは決まっているようですが、プレートの設計がまだ本決定ではなく、価格も決まっていません。こんな感じのをこれから出しますよという感じの展示。

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対して、こちらはすでに生産が始まっているGASPROのターゲット・エフェシェントの新色です。4色新しい色が出ます。写真が手元にありませんが、オリジナルの2インチのスピンベインの方は、ライム色に近い緑が新色として追加されます。いずれも、2月の後半に入荷してくる予定です。

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こちらはSCOTTの新しいリリーサー…標準的な機能はすべて搭載されていますが、このモデルだけにある特徴、すごいアピールポイントは特にないようです。SCOTTの方、フランス語がしゃべれず苦労してました。。。

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UUKHAは新しいサービスとして、カスタムグリップの販売を開始し、種類を6種に増やしました。リカーブハンドルの中では、最もカスタムグリップの選択肢が多いハンドルなると思います。昨年に会社訪問したときに、3Dプリンタを導入したという話は聞いていましたが、30種類以上試作して、結局6種類に絞ったようです。ただ、まだ値段は決めていないとのことで、出荷は2月の終わりごろになると思います。

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久しぶりにSTAN / COPPER JOHNの人に会いました。下のリリーサーは新しいモデルではなく、シュートオフのブラックアウトバージョンです。ブラックアウトがちょっと流行のようです。
これとは別にベガスで新しいモデルを1つ発表するようです。STANの新作は久しぶりだと思います。期待してます。また、2年前にリカーブサイトからCOPPER JOHNは撤退してしまいましたが、2014年を目標に新しいモデルを開発して再参入する計画が社内にはあるようです。ただ、当分先の話なので、まだ具体的になってきたか紹介させていただきます。

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大まかに書くとこんな感じのNIMES 2013でした。まだ、細かい話はいろいろとありますが、帰国後に整理してから書きたいと思います。写真はNIMES市内のカテドラルを背景に素敵に写真に写る京都店店長。。。夕飯食べてきます。

 


Nimes 2013 その1

おはようございます。現在フランスは午前の7時半です。
毎年参加しているNimesでのアーチェリー展示会に来ています。昨年から、世界インドアの第二戦が隣の会場で行われるようになったので、トップ・アーチャーの方と意見交換する機会も増えてきました。年に一回の世界の最新情報を吸収する勉強の場です。
土曜日はスケジュールの予定で、コンパウンドの選手が多くブースにいました。

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PRIME…どことはいいませんが、現在取引しているPRIMEの代理店の質が悪いので、いろいろと相談して、代理店を変えてもらいました。その挨拶でPRIMEのところに言ったら、デイブ・カズンズさんがいたので、直接最新のメーカー情報をいただきました。

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次にHOYTのブースに。こちらには、ジェシー・ブロードウォーター選手がいました。HOYTの新しいプロコンプ・エリートについて、いろいろと有用な情報を詳細に教えていただきました。ありがとうございます。コンパウンド店の山田にフィードバックし、お客様のお役に立てるものかと思います。
もっと書くことたくさんあるのですが…宿泊しているホテルの回線が遅すぎて疲れました。次のホテルに到着してから続き書きます。
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最後に、今年の衝撃のアイデア商品はFLEX ARCHERY(String Flex)のEVO15サービングです。何が特別かわかりますか??



サービングに香りがついています。巻いたときにどの程度残るかはまだ不明ですが、この状態で嗅ぐと、トイレの芳香剤並みの強さです。
理論的な説明としては、香りが脳に作用し、たとえば、マンダリン(オレンジ)は体をリラックスさせ、鎮静する効果があるといわれているようです。科学的にも香りが脳に作用するのは確認されていますが、どの程度はっきりした相関があるのかは帰ってから調べます。
また、サービングの色によって香りが異なります(8種類くらいあったと思います)。香りの効果によってサービングを選んでもいいですし、または、自分が好きな香りで選んでもいいです。その場合は香りが脳に作用し、○○効果ではなく、たとえば大きな試合で知らない射場。なれない環境下で、このサービングの嗅ぎなれた香りに接することで、リラックスできます。
どの程度の効果があるのか、また、実際に巻いたときにどの程度効果が持続するのかは不明ですが、個人的には今年一番の衝撃的な商品でした。
今日も、参加してきます。では。


新商品説明会への参加してきました。

代理店主催の合同新作発表会に出席してきました。
業界の合同の新作発表会というと、アメリカのATAとヨーロッパのNIMESと2月のラスベガスがありますが、HOYTやイーストン・PSE・Mathewsなどの新作発表が10月ということもあり、10月の最終週に代理店主催の合同新作説明会が開かれています。ちなみに、このイベントは一般のユーザーは参加できません。
今回は1週間にわたって開催され、世界中から50店のプロショップが参加したようです。私たちは初めての参加だったので、今回はスタッフが付きっきりで説明をしてくれました。
昔は日本でも、代理店主催の合同説明会はあった(たしか2009年まで行われていたと記憶)のですが、最近は開かれなくなりました。残念です。メーカー・代理店・プロショップの思惑が絡み合う場なので、なぜ開かれなくなってしまったのかは不明ですが、日本でも再開を願います。

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開催会場。後ろに、11月中に発表される予定の商品含め、ほぼ全メーカーの新製品が並んでいます。

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日本では代理店の仕事は「卸」で商品を販売することと考えられていますが、アメリカやヨーロッパではプロショップを育てることが代理店の仕事であると考えられています。この会とは別に新しいプロショップや経験が浅いプロショップ向けに、プロショップとしての知識を詰め込む1泊2日のセミナーなども開かれていて、会場には簡易宿泊施設・シャワールームもあります。
こちらの写真は試射会場。最新の弓が揃えられており、試射できるようになっています。PRO COMP ELITEを試射しましたが、かなり静かですが、矢の飛び出しを真ん中にするために、今までの弓よりも、レストマウンティングホールやグリップの位置の下がっており、ハンドルの重心が上がっています。今までとは違ったセッティングが必要になるかもしれません。それと、spyderが思ったよりも、仕上がっているいい弓でした。少し見直しました。取り扱い考えます。リカーブのほうでは、Horizon Pro、Formula Excel Proともに、いい感じの仕上げです。ただ、トラブルが続出しているリムポケットのパーツは採用を継続するようで、その点はちょっと不安です。

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PSEはケーブルガイドが変更になり、フレックスタイプのケーブルガイドがつくようになったのはいいのですが、チューニングできません。さらに、ARCTECのCPRが取り付けできなくなっています。ただ、ARCTEC社では、現在PSEの新しいモデルにも取り付けができるタイプのCPRを開発中とのこと。

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その後は代理店の倉庫に移動して、倉庫の見学。フォークリフトの操縦をさせてくれました。狭い通路ですが、地面にラインが引いてあり、リフトはそのライン上でしか動かないので、操縦はかなり簡単です。

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最後は風車を改造したミシュラン1つ星のレストランで食事会。今回のHOYTの世界一斉展開の舞台裏や、SAMICKの財政について、Legendのデリバリーから、イーストンの経営方針など、いろいろな業界の裏事情について話し合ってきました。どちらかというと、商品の細かいスペックの話などはメールでも済むので、今回のメインはこのあたりの話を直接顔を見ながら話すことでしたが、最新の業界事情についてはかなり勉強になりました。少しずつ消化しながら、書いていきます。
実際の新商品は火曜日に発売になるので、HOYTの商品の細かい点はそのときにまた。
この記事を書いている今は、パリの日曜日の朝10時です。明日・月曜日にラ・ロシェルにあるUUKHAに日帰りで行き、火曜日の昼の便で東京に戻ります。


コンパウンドのオランダ代表とヘッドコーチの食事会

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昨日は、試合後オランダ代表の方と食事会をしてきました。

左から、店長・山田、ラリー・ワイズ「チューニング・マニュアル」翻訳者の塩飽、コンパウンド世界記録保持者で、ワールドカップファイナルは惜しくも4位に終わったピーター・エルジンガー、シドニーオリンピックで銅メダルを獲得し、オランダのヘッドコーチをしているウィッツェン・バン・アルテン(Wietse van Alten)、弊社通訳の石崎、手しか写っていないけどスタッフの米田、ラリー・ワイズ「コア・アーチェリー」翻訳者の牧野です。

ちょっと気合入れて、近所の鉄板焼きのカウンターを貸し切って。

神楽坂 鉄板焼 中むら


真面目な話、アーチェリーの話、ここでは書けない話までいろいろと。書ける話は、後々記事などに登場すると思うのでお楽しみに。


ワールドカップ・ファイナル 1日目

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写真にも写っていますが、ワールドカップ・ファイナル観戦してきました、テクミチョフさん、真上あたりで★
トップ選手の白熱した試合素晴らしいかったです。
会社に戻り、たまっている業務を片づけたら、夜はアーチャーの方とご飯に行く予定です。いろいろと聞いてきます。
観覧席からずっとスコープで見てましたが、点数ではなく、選手の装備をずっと観察してました。いくつか、見たことのない商品がありました。月曜日、早速調査に入ります!!


ワールドカップ・ファイナル ガイドマップ

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先程。会場に行ってきました。到着が12時前、コンパウンドの練習が終わり、リカーブの会場テストが始まるくらいのタイミングでした。
練習会場では、イム・ドンヒョン選手やキム・ウージン選手などを見かけましたが、挨拶程度で(どちらも英語がほぼ話せない)。。。
初めて日本に来たというバイターのアンドレアスさんは、日本が綺麗だと褒めており、トラディショナルな日本はどこに行けば出会えると聞かれ、明治神宮と答えるようとした瞬間に、出番になってしまって(審判員)、言えずじまい。。

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友人でご飯に行く約束をしているコンパウンドの世界記録(1419点)を持っているピーター・エルジンガーさんと話しましたが、昨日はぐっすり寝れて、コンディションは最高だそうです。明日が楽しみです。
さて、話をガイドマップに戻します。当然ですが、公式のものではないです。PDFファイルはここでダウンロードできます。
https://dp59305219.lolipop.jp/file/Map_final.pdf

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マップの1番はクラブハウスです。両日ともに、貸し切りで、関係者、特に選手はこの中で食事をします。みんなが泊まっている東京プリンスホテルは戻るには距離があるので、みんなここで食事をするようです。出待ちをするのであれば、昼の時間帯にこの前にいれば、間違いなく選手に会えると思います。

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2番は本会場です。最寄駅は日比谷と霞が関。日比谷駅の場合はA14番出口を出て左に歩けば、すぐにこの看板があります。この看板を左にまっすぐ歩けば会場です。

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霞ヶ関駅の場合はB2出口です。これを出るとすぐに公園の入口があり、この看板の右の通路を直進すれば会場です。

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3番は初心者体験コーナーです。写真のようにテントの中です。会場の後ろに設置されています。但し、土曜日は午後の14時から開始と聞きました。日曜日の方は午前中からやっているそうです。

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4番は練習会場です。これは後ろ撮った写真ですが、東(地図だと右側)からは全く見えません。


なので、5番の西側(左側)が練習会場のビューポイントになります。コンパウンドの選手は奥なので、見ずらいですが、リカーブの選手ならこの距離で見ることが出来ます。明日は、コンパウンド競技のみの日ですが、リカーブの選手たちは日曜日を控えて、東京観光ではなく、ここで練習していると思われますので、練習風景を見ることが出来るのではないでしょうか。
当日は本会場で観戦し、時間がある時に1番のクラブハウスで選手の出待ちをして、サインや写真をゲットしたり、5番の所でトップ選手の練習を見学してみてはいかがでしょうか。
また、食事する青のポイントが食事が出来るところです。当日は混雑すると思います。特に、”C”の場所は今日でも、昼時には行列ができていたので、明日も大変に混雑するのではないかと。
本日は、”A”の場所で昼を食べましたが、メイン1品と野菜のビュッフェというスタイルで、2名で5200円でした。”B”と”E”は同じような感じのレストラン。ただ、”B”の方は予約が必要かもしれません。
“F”はパブに近い感じで、気軽にお酒が飲めます。その後初心者体験で弓を引くのでない限り、お酒飲みながら観戦するのも気持ちいいかもしれないですね。”D”は喫茶店です。
どれも混んでいる場合は近くに帝国ホテルもあります。。。ただ、どれも安くはないです。しっかりしたご飯を近くのお店で、1名2,000円以下で食べるのは難しいかもしれません。その場合は、お弁当などが良いかもしれません。
ちなみに、最寄りのマックは徒歩10分ほど、コンビニは徒歩5分です。

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各店舗のメニューです。見づらいものはクリックすると大きく表示されるはずです。
上から、Aのメニュー、Bのメニュー、Dのメニュー、Eのメニュー、Fのメニューです。参考になれば幸いです。