前回の記事で世界の博物館データベースから54本の弾弓のサンプルを集めたので、これを分析することで、弾弓とは一体どんな弓なのかを明らかにしたいと思います。きっかけは、正倉院の弓について調べていたときに
弦の中央下方に弾丸を受ける楕円形の座(独:Kugallager)を作り出すが、弾丸をどのようにつがえたのかは不明である。
奈良国立博物館編,正倉院展,2020
大量の弾弓についての資料があり、その使用動画含めメディアがある中で、おそらく誰も手を付けていないからわからないだけで、弓の知識があれば、この解明は難しくないだろうと考えて、着手しました。
ひと目でわかるように弾弓には2つのデザインがあり、左側の通常のいわゆる”弓”を使用しての弾弓と、右側の2本の弓を左右対称に組み合わせて弾弓とするものがあります。右の弓は洋弓の世界において、20世紀後半にやっと達成したセンターショットという理想を遥か前に達成しています。非常に高性能な弓だったと考えられますが、サンプル54本に対して3本しかなく、一般的な弾弓は左側のデザインのようです。
また、この絵はライプツィヒ民族学博物館で研究をしていた方が論文に掲載したものですが、1943年の空襲で30,000点以上の収蔵物が破壊され、この論文に取り上げられているドイツの博物館にあった弾弓の多くは戦争によって破壊されました。残念です。
1900-1901年にかけてドイツり民族学者によって行われた中央ブラジルの先住民族の記録には弾弓のことが詳細に記録されています2。弾弓の一番の特徴として、弓矢と違い同一ライン上では、弾がそのまま弓・握っている手にあたってしまうので、「弓がねじれるという特徴がある」としています。
同じ民族が使用している弓と弾弓は明らかに違い、弾弓は弓の流用ではないことがわかります。アーチェリーでもリムのねじれは良くないとされているように、リムはねじれないほうが矢はまっすぐに飛び出します。そのために右の弓はリムに厚みを持たせて、ねじれにくい構造になっています。弓をねじる原因につながるグリップもありません。
対して弾弓では逆にリムが薄くしっかり握るグリップであり、そこでねじれを発生させることで、弾道が斜めになり、発射された弾が手や弓に当たらなくなるという構造になっています。
写真左が19世紀に作られた弾弓(中国か日本製)の断面で、右側はその200年ほど前に完成された和弓の断面ですが、上下の方向に、的中で言えば、左右(3時9時方向)に和弓はねじれにくい構造をしているのに、弾弓の方はねじれやすい構造です。
これは多くの弾弓に見られる設計で、リムに相当する部分は、横に広く的方向には弾性はあるが、厚みを薄くしてねじれやすくし、グリップに相当する部分には木を当ててしっかりと握れるようにして、手首を外側に返すように弓に回転する力を与えた状態で射ちます。また、(厳密には違うが)上下方向は弾の位置と握る部分の位置をずらすことで、弾が問題なくクリアするように工夫しています。
弓道の弓返り同様の物理が働いていると思いますが、弓道の弓返りがフォロースルーの一つであり、しなくても矢は飛んでいくのに対して(3時に外れちゃうけど)、弾弓では自然に起こるのを待っていては弾が弓に直撃して大惨事になるので、意図的に弓を握って弓を回転させています。また、この射手の場合には、的方法に弓を押し込んでもいます。元の動画を見ていただれば、10mほど先の小鳥サイズの的にほとんど当てているので熟練した弾弓の射手だと判断します。
多くの記録では、弾弓は鳥などの小動物を猟るのに、または、子供に弓を教えるために使用されるとされていますが、弾弓は引き方は和弓などのいわゆるモンゴル式に近いので、何かの関連があるかもしれません。
同じく南アメリカ(パラグアイあたり)を旅行した博物学者のドン・フェリックス・デ・アサラは、弾弓について「ヨーロッパの子供たちがこれを練習すれば、こんなにたくさんのスズメはいなくなるだろう」と書いていることから、ヨーロッパ地域では弾弓は広く使用されていなかったようです3。
最後に8月中の何処かのタイミングで実際に弾弓を作ってみて、実践してみたいと思っています。これまとめて、奈良国立博物館さんに送ったら読んでいただけるかしら?
- Von Gustav Antze,Einige Bemerkungen zu den Kugelbogen im städtischen Museum für Völkerkunde zu Leipzig.1910 ↩︎
- Indianerstudien in Zentralbrasilien : Erlebnisse und ethnologische Ergebnisse einer Reise in den Jahren 1900 bis 1901 / von Max Schmidt. ,P199,Credit: Wellcome Collection. In copyright ↩︎
- Azara , Don FELIX DE : Voyages dans l’Amérique méridionale, par Don Felix de Azara,
Commissaire et Commandant des limites espagnols dans le Paraguay depuis 1781
jusqu’en 1801.t.2, 1809,P66-67 ↩︎
山口 諒
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