前回では2000年代初めの混乱について書きましたが、ではその前はどうだったのか。アーチェリーすらはじめていなかった時代なので、推測も混じってしまいますが、アーチェリーの初期には、プロショップの人間は全員英語や海外取引に精通していました。そもそも、アメリカでアーチェリーをやっていた方たちが、日本に持ち帰ってきたので、当然でしょう。日本語ベースの情報すらない60年代には、そもそも英語ができなければ、プロショップの運営は不可能です。
そこから70年代に入ってから、三菱商事(写真の広告は1975年)のような商社がアーチェリーの輸入などをするようになり、このあたりから、商社と国産メーカーと取引していれば、それなりにプロショップの運営ができるようになり、70-90年ごろに日本語しかできないプロショップが次々に誕生していったものと考えています。プロショップを開業するハードルが低いことは、アーチェリーの普及には大切なことです。
しかし、アーチェリーブームが終わり、バブルが終わり、日本が人口減少期に入り、総合商社がアーチェリーの輸入から撤退し、国産メーカーもいろいろな事情によって次々に撤退しました。その後、大手プロショップが輸入(代理店)業務を代行するようになりましたが、関係がうまく行っているとはあまり言えません。
この部分をどう捉えるかは、人それぞれですが、1000円でメーカーから仕入れたものを、英語・国際取引に関わる部分をすべて代行して、国内のプロショップへ2000円で販売するという商取引が、ボッタクリ=暴利なのかは、正直私にはわかりません。高すぎるなら、英語と国際商取引の勉強をすればよいだけです。年商1000万円のプロショップなら、それだけで年200万円ほどは節約できるでしょう。その労力を天秤にかけて、お金を払う方を選ぶのなら、まぁ、その価格は適正ということでしょう。
他人が自分に変わって自分のダイエットを管理してくれるライザップの料金が高いと思うかと同じようなものだと思います。自己管理ができる人なら、暴利だと思うだろうし、その仕組でダイエットに成功している人はきっとその価格に納得しているのだと思います。
JPアーチェリーを始めるときには、アーチェリーの実力はそれなり、英語の能力もそれなり、その前はエンジニアをやっていたのでシステムの構築の能力もそれなり、そして、アーチェリーショップでの業務経験もそれなり、どれ一つを尖った能力はありませんでしたが、それらを全部自分でできるということは、海外(英語)からアーチェリー用品を輸入して(ショップ経験)、それをレビュー(アーチェリーの実績)して、ネットで販売する(システム構築)プロショップを自分だけ運営できるということです。当時の試算では、自分の家を倉庫にすれば家賃もかからないので、月の売上がかなり少なくても、持続可能という結果になり、それが後押しとなって、JPアーチェリーを創業しました。
続く。
Ryo
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