日本における複合弓の誕生

聖徳太子が用いたとされる丸木弓

私のような素人にできるものはほぼないのですが、「それぞれ」の分野には諸先輩が残した大変優秀な研究があります。考古学・古代史・日本書紀研究・中国史・弓道の分野に研究結果が点在しており、まとまっていなかったものを「日本の複合弓化」という軸でまとめたものになります。

上の写真は奈良時代(8世紀)の丸木弓ですが、これはいわゆるセルフボウで木を削って作っていくわけですが、これは日本の弓というよりかは、世界中で初期の弓は間違いなくこれでしょう。木の棒を削って弾性を持たせた最も単純な弓です。

世界中の多くの地域でこの単純弓からより反発力の高い複合素材の弓に進化していくわけですが、その時期は地域によって異なり、日本では8世紀から9世紀に丸木弓のバック側(的側)に竹を張り合わせた伏竹弓に進化していきます。

前の記事で600年頃から正式に中国との交流が始まったと書きましたが、早速610年に膠が日本に伝わります。異なる素材から1つの弓を製造するのに欠かせないのは接着剤です。膠は現在でも和弓の製造に使われているほど優れた接着剤です1。この素材と製法が日本に伝わるのは複合弓誕生の最低条件です。

761年に中国(唐)は安史の乱によって乱れた軍備を整える目的で、日本に武器の見本等を与えたうえで、弓を作るための牛角を贈ってほしい要求し、それに応じて牛角7800隻を備蓄し送ることを決定しています。輸送船の座礁により届かなかったようですが…。

Peter Dekker, Manchu Archery

上の写真は角弓を分解したものですが、にんじんのピーラーのように牛の角(70-90cmほど)をスライスした物(①)を弓のフェィス側に張ることで反発力を高める役割をします。唐が弓ではなく、その素材を日本に求めて提供していることから、当時の日本には牛角複合弓を製造する事ができなかった(しなかった)と言えます。

明治前日本造兵史より

一方で、この頃(8世紀)の遺跡からは、すでに複合素材弓が発掘されています。上は伏竹弓の断面図ですが、下の部分の木だけで出土しています。つまり木に何かを張り合わせた弓であることはわかるものの、張り合わせた素材は失われているので推測するしかない状態です2。木と組み合わせる素材は動物の角・腱・他の木材であることが多いのですが、同時期に中国に大量の角を送っていることから、これらは竹とのペアではないかと推測されます。

11世紀ごろには明確に「伏竹弓」という日本語が登場するので、この頃の和弓は竹とのペアであったことが確定します。その後は、いろいろなパターンで竹と木を組み合わせることで、和弓が進歩していきます。複合素材弓となったのちの進化については詳しく研究されているので、それらをご参照ください3

今後7世紀の遺跡からも複合素材弓と見られる弓が発掘され可能性がないとは言えませんが、現状では7世紀前半に日本に膠による接着技術が伝わってから100年程度の期間で日本人が独自の複合弓(木+竹)を作り上げたと言えます

最後に話は少しそれますが、日本書紀には韓国(百済)に支援として大量の矢を送った記録(27巻では10万4)が存在していますが、大量に弓を送ったという記録はありません。当時の記録を見ても、現在の韓国の伝統弓を見ても、韓国の弓は中国に大きな影響を受けているので、矢は共通のものだったので送ったけど、使っていた弓は大きく違うので送らなかったと理解していますが、違う説として、日本が当時韓国(百済)と武器の共有化政策を行っていたという説があります。公開されているので良かったら読んでみてください5。武器の共通化(標準化)のメリット6は現代ではよく知られていますが、6-7世紀にその理解があったのかについては個人的には疑問です。

今回は道具についてでした。来週を目処に国際交流の日本への影響の弓術の影響についてまとめて終わりにしたいと思います。

  1. 寒気と技で理想のカーブ「にべ弓」最盛期 兵庫・上郡 ↩︎
  2. 津野 仁. 古代弓の系譜と展開. 日本考古学 / 日本考古学協会 編. (29) 2010.5,p.81~102. ↩︎
  3. 日本学士院日本科学史刊行会 編『明治前日本造兵史』,日本学術振興会,1960. ↩︎
  4. 日本書紀・現代日本語訳(完全訳) ↩︎
  5. 原始和弓の起源 2015年『日本考古学』 ↩︎
  6. 橋本毅彦,「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》,講談社学術文庫,2013 ↩︎