【1980-1990年代】そうして、スパインは大事になった。

1970年代にセンターショット調整が大事とされ、70年代後半にはほぼすべての選手がプランジャーを使用するようになったのに対して、スパインに対する意識は非常に低く、ペーパーチューニングなどは、あまり知られていなかった。

その理由はなんと言っても、アルミシャフトとダクロンの組み合わせによる、まったりとしたクリアランスだったために、矢飛びはスパインよりも射形に大きく影響を受け、スパインを正しく合わせても、射形が悪いと、矢が正しく飛ばなかったための思われる。

トップの写真は当時のサイトのセッティングですが、このライン(距離ごとのサイト)が直線状にないことは、スパインが正しくなく、矢がカーブして飛んでいることを示している。トップ選手でもそのように曲げてサイトを取り付けていました(*)。

*全日本強化合宿における調査では、郷里が伸びるにつれてサイトが出る(スパインが硬い)選手が多かった。

現在はこのラインが真っ直ぐでないと、すぐにスパインがあっていないという指摘を受けますが、当時はそれで良いとされていたか、もしくは、

サイトを斜めに取り付けることより射形を直すことが先決問題と言えよう。

73年12月号 雑誌アーチェリー

とその原因をスパインの修正・プランジャーの調整ではなく、射形の改善に求められていた。

スパインの正しさを重視しない理由がアルミシャフトにある以上、その終わりは当然カーボンシャフトの登場によってです。カーボンシャフトと弦の進化により、シャフトはあっという間に飛び出します。更にカーボンシャフトは軽いので、クリアランス時のちょっとした接触でも、正しく飛びません。

そのため、1980年後半にカーボンシャフトの登場で、一気にスパインを正しくチューニングすることの大切さが注目されるようになります。

当時のトップ選手の「カーボンシャフトは正しく射たなくても勝手に飛んでいってしまう」という表現がその時代感を表しているように思う。

参考文献

1973年 弓について 榎本 新

1975年 誰でも容易に。確実にできるチューニング法 竹内 貞夫

1975年 クッション・プランジャーとその用法 Archery World

1973年 トップアーチャーへのいざない 高柳 憲昭

1987年 特集 ニューカーボンアローついに登場。キミは、これを新兵器になしうるか。


まぁ、まっすぐなら同じですけど。

以前記事(下記)で「ロッドスタビライザーの登場によって、リムとハンドルの3面を水平にするリムアライメントの調整が必要になります。」と書きました。それは当然のことです。

しかし、一時期、空白の時期が存在します。リムアライメントをしなければ、スタビは変な方向を向き、グルーピングしません。その時のアーチャーの方はどう対応したのでしょうか。それが気になっていましたが…。

1960年代頃はスタビライザーが非常に高額で買えなかったので、器用な友人に作ってもらった。けど、それを取り付けるとき、自分の弓のブッシングをあけるのにどうしてもまっすぐドリルが入らなくて、スタビライザーを取り付けたら、まっすぐ前を向かないの。だから、まっすぐ前に向くようにスタビライザー曲げたよ。

雑誌アーチェリー 関 政敏さんの記事より

間違ってはいないですが、解決策がダイナミックすぎました(笑) ちなみにアルミのスタビライザーは曲がりますが、現在一般的なカーボン入りのものは曲がらない(折れてしまう)ので真似はしないでください。センタースタビライザーでもX23くらいの強度しかなかった時代の話です。


TFCを知っていますか?今はただのダンパーです。

1970年 HOYT カタログ

TFCという装置をご存じでしょうか。先程、記事にしたアジャスタブル・レスト・プレートはさすがに使ったことがないのですが、これは使ったことがあります。ダンパーの代わりとして使ったことがありますが、感覚が好きではなく、2日くらいしか縁がなかった記憶があります。

1970年代から1980年代には、Vバーの根本につけて振動吸収用に使っていました。もちろん、そのようにダンパーとしても使えますが、本来の用途ではありません。このTFCという装置から次のチューニングが始まったようにも思います(*)。

*TFCを知らない時代の人が書いているのか、英語で検索すれば、当然正しい情報が出ますが、日本語で「TFC アーチェリー」で調べると、全く正しい情報がヒットしません。ダンパーと勘違いしている記事があるほどです。TFCはダンパーではない。そのために読者の方もTFCとは何かを知らないと想定して説明させていただきます。TFCを知っている方は読み飛ばしてください。チューニングマニュアルでスタビセッティングにつながるパートです。

TFCは英語ですと、「Torque Flight Compensator」となります。「トルク/フライト(矢飛び)/補正器」という意味です。トルクと矢飛びを補正するわけですが、これがどういう意味かが難しいところです。

(以下、チューニングマニュアルでは、もう少し詳細に説明します。トルクとはなにか、なぜスタビはトルクをとるのかはここでは飛ばします)

トルクが最もグルーピングに影響を与える問題児なわけですが、この問題は、スタビライザーを使用することで解決できます。スタビライザーを使用して発射時に弓を「固定」することでトルクをなくすことができます。

しかし、TFCが発明された当時は弓を固定してはいけませんでした。それは、プランジャーがなかったからです。

ホイット氏はTFCのメリットとして、

I have found through extensive experimentation that when the mass moment of inertia is increased by this means beyond a critical value, some interference with the clear passage of an arrow may occur.

特許文書より

意訳すると、「トルクを取り除くために弓をスタビライザーで発射の瞬間固定すると、クリアランスに問題が生じる」ということです。

(後で誰にちゃんとイラストにさせますので…)

私のイラスト(涙)ですが、新が現在です。矢がプランジャーにあたっていて、矢が通過するときには、矢はプランジャーチップを押し込みますが、バネの力でパラドックスを吸収して、そして、同じテンションで反発することで、矢のクリアランスは弓が固定されていても確保されます。

しかし、旧と書かれた、プランジャー以前では、発射後、矢がパラドックスによって、同様にレスト(弓のウィンドウ)を押し込んできたときに、弓が右に動くことでクリアランスを確保していたのです。つまり、プランジャーができるまで、弓が動くことで矢のクリアランスを確保していて、弓を固定していては、クリアランスに問題が生じることとなります。

そこでホイット氏が考案したのが、 「トルク/フライト(矢飛び)/補正器」 =TFCです。この装置の役割は、まさに広告(写真トップ)にあるように「interference free arrow passenge results, even for plastic vanes.」(意訳:ハンドルに当たるとクリアランスに影響する硬いベインでもきれいに飛びます)です。

この装置(TFC)は中にはバネ・または、ゴムが内蔵されていて、発射時の強いテンションがかかったときだけ、弓を固定せずに、弓はクリアランスのために動き、矢が飛び出したあとの、残った弱い振動はゴムとバランスさせることで、弓を安定させて、取り除きます。しかし、そのテンションには、当然個人差があるので、センターショットの調節の次には、このテンションの調節をするという作業が生まれたわけです。

ただ、その後、プランジャーが誕生すると、矢をクリアさせる仕事はプランジャーに移行し、TFCはそま副業的な作用として、ただのダンパーとして扱われるようになっていくわけです。


【1960-1970年代】センターショットの追求

ホイット特許 1963

古い時代になると、解釈が難しい事が多々発生します。例えば、この特許を日本メーカーも使っていた(ホイット氏が特許権を主張しなかった)のですが、ネットがない時代、知って使っていたのか、この特許を知らなかったのかは、想像するしかありません(*)。

*途中から主張するためにホイットは特許番号を発表したので、どこかの時点では知っていたと思います。

また、ネットがない時代には1984年に日本選手団がルール改正(プランジャー/ストリングウォーキング解禁)を知らずに、世界フィールドに出場して惨敗するという事件が起こっています…恐ろしいです。。

さて、この記事ではチューニングの歴史について触れます。

1960年代までに(今の意味での)チューニングという概念は、ほぼなかったと理解していいと思います。1971年の世界選手権でも、3位の選手は自作の弓(セルフメイド)で出場しています。ウッドの弓というのは、そもそも職人が、木から作っていくので、特注するとしてもそれほど大変なことではありません。また、多少の技術があれば、選手自身で、完成品を再度削っててティラー出しすることも可能です。

チューニングという概念は、職人が1本1本作るウッドボウから、金属製に移行する過程で必要性が生じてきます。弓は製造された段階で、完成されており、それをユーザーが再加工することは困難とあり、調整できることが求められます。

トップ写真はおそらく現代的な意味での最初のチューニング機構、アジャスタブル・レスト・プレートです。

ところでレストはどこに貼りますか?

いまこんなことで悩む人はいないと思います。プランジャーを使って射つなら、プランジャーホールに貼るしかありません。しかし、プランジャーがまだ使用されていなかった時代(1971年解禁)、レストはどこにでも貼ることができました。

ウィンドウの中であれば、どこにでも貼ることができましたが、今のプランジャーの出し入れで調整していた軸では調整できません。今のスーパーレストのように接着ベースの厚みを変更するくらいしかなかったのですが、ホイットはこの部分調整可能にしました。

Fig4 36番のツマミを回していくと、12番のプレートを出し入れできます。このプレート上にレストを貼れば、レストの位置を変更できます。Fig2 36番の のツマミを回していくと、12番のプレート上の10番のレストを出し入れできます。

これによって、センターショット調整というチューニングが生まれます。1960年代後半から1975年あたりまでのチューニングです。

1971年にプランジャーの使用がFITAで解禁されますが、感覚に頼るところが多かった時代の選手はなかなか保守的で、私ならすぐ飛びついた気もしますが、4年後の75年の世界選手権でも、使用選手は70%程度だったようです。

プランジャーが解禁されたことで、アジャスタブル・レスト・プレート(テーブル)は廃止され、プランジャーホールが標準装備になります。プランジャーに抵抗があった選手は上記のような、プランジャーホールに取り付けできる、レストプレートを使用していました。ただ、70年代後半にはほぼすべての競技的アーチャーがプランジャーを使用するようになります。

同時にセンターショットの調整もレストのチューニングではなく、プランジャーを出し入れして行うチューニングとして変化していきます。

【歴史の流れ】

1960年代前半まで - 職人に依頼するか、自分で加工してセンターショットを出す

1960年代後半から1971年 - レストを動かすことでセンターショットを調整する

1971年から現在 - プランジャーの出し入れをすることでセンターショットを調整する


我々は技術で負けたのか。日本人が変わった。

まだまだ及びませんが(178cmあるんですけど…顔の大きさが違うんですけど)…

記事を書いてから、一晩寝ると睡眠学習の効果か、考えに変化が起きてきます。昨日はヤマハのセンター機構について書きました。「たられば」などこねくり回しても意味がないのも確かですが、一方、では、違う道を取っていれば生き残れたのかと考えると、難しいですね。

ヤマハの古い歴史には詳しくないのですが、ヤマハのホームページによれば、

ヤマハ発動機の社長を兼務していた川上源一が、アメリカ市場を視察した際に、FRP製のアーチェリーの弓を入手したことがきっかけでした。

https://www.yamaha-motor.co.jp/frp/manufacturer/

1958年の視察で当時のアメリカの弓を手に入れて分析したそうです。その結果「日本人に合う弓を作ろう」となったのは当然の話しです。

統計データによれば、1960年代の日本人男性の平均身長(高校1年生)は161cmでした。アメリカ製の弓が合うはずがありません。しかし、ヤマハが撤退する2001年には168cmに、7cm(約3インチ)も伸びています。厳密には引き尺は腕の長さから定まりますが、161cmと168cmとでは、ワンサイズ合う弓の大きさが変わります。ちなみに体重は51kgから59kgに8キロ増えています。

ヤマハの過去の資料を読むと「日本人の体格」にこだわって、設計をして来たことをアピールしていますが、1960年と比較すると、高度成長期を経て、先進国入りし、子供の生育環境が大きく変化したことで、その日本人が変わってしまったのです。

さらにトップアスリートになればそれはより顕著で、東京オリンピックに出場する日本代表の男子平均は176cm(アメリカ人の平均身長と同じ)、女子は167cm(同162cm)となっています。もうアメリカの弓が合わないことはないのです。日本人に合うことを求めていたヤマハ、その日本人が変わったことに気がつくタイミングはあったのでしょうか。


我々は技術で負けたのか。リムセンター調整の悲劇。

2003年 - ヤマハ フォージド2ハンドル & Nプロ ZX ウッドカーボンリム

自分がアーチェリーを始めたときの最初のハンドルはヤマハのフォージド2でした。非常に優れたハンドルで、対応するリムが手に入らなくなるまでは使っていました。今回の記事とは関係ありませんが、下記の記事をあわせて読んでいたたければ、営業面と技術面の両軸で理解が進むかと思います。

昨日の記事と直接の繋がりはあまりありませんが、順番としては先にお読みください。

昨日も記事をアップしたところ反響があり、いろいろと話をしたところ、この話をまとめるには1996年のヤマハの日本語版説明書があれば十分ということがわかりましたが、難しいでしょうね。今回はヤマハのセンター調整機構の話。

ヤマハのセンター調整システム

一般的には、そして、チューニングとしてもリムアライメントが正しい作業が、日本ではセンター調整を呼ばれている理由はやはり、ヤマハの姿勢にあることまでは把握できましたが、その前にヤマハ最期のセンター調整機構を理解する必要があります。

*以下、アーチェリーの仕入れ担当としてのネタです。全部読んでも、アーチェリーが上手になったりはしないので、ご注意を。

1960年代からアーチェリーハンドルは大きな進化を遂げてきました。WAのユーチューブチャンネルに1960年代からの世界選手権のダイジェストがアップされていますが、1960年代と1980年代の20年間では使用されているハンドルが全く違います。別物です。それに比べて、1980年と2000年の20年間では使用されているハンドルはそこまで大きく変わりません。そして、2000年と2020年では使用されてハンドルの違いはもはや細部だけです。

1960年代からの劇的な進化に比べてる、近年ハンドルの性能の進化が少しずつ停滞してきていることは明らかです。かつては、新モデルが開発されるたびに劇的に性能が向上(*)し、選手が一斉に新モデルに移行するというサイクルがありました。しかし、性能の向上が停滞するにつれて、この販売手法が困難になっていきます。

*もちろん、失敗した新作ハンドルも存在します。

ハンドルはリムと違い消耗品ではありません。同じモデルでは買い替え需要は基本的に期待できません。メーカーがハンドルの売上を維持するためにはハンドルのデザインと、細部の設定を定期的に少し変えて、短いサイクルでハンドルをもモデルチェンジしていくことが求められるようになりました。この販売方法に最も適した製造方法が現在のほとんどのハンドルに採用されているNC加工です。

これは私見ですが、2000年前後でハンドルの性能の向上は止まりました。2001年頃だっと記憶していますが、このときに開発されたサミックのウルトラハンドルは2004年にWA1440で1405点を記録します。現在はシングルではなく、70mが一般的になりましたが、その世界記録351点もウルトラハンドルによって達成されています。この記録は17年間のハンドル・リムの進化によっても破られていません。

自分も使用していましたが、スリムな設計がありなが、しっかりとした重量・質感があり、いいハンドルです。1990年辺りまでは鋳造ハンドルが一般的でしたが、初期投資が高く付き、一度作ってしまうと売り続ける必要があります。つまり、長期間モデルチェンジできないのです。これがヤマハが作り出し、最期のリムとなってしまった「リム側に搭載されるセンター調整機構」を生み出す原因となります。

センター調整機能の搭載されていないイオラはヤマハの最期のロングセラーモデルとして数々の実績を残していきますが、当時のヤマハの開発者の気持ちまではわかりません(下に続く)が、これを最期にヤマハもモデルチェンジが容易なNCハンドルへ切り替えを行います。それが初代のフォージドハンドルです。

イチから設計するハンドルですので、フォージドハンドルにセンター調整機構を搭載することには、特許を除けば、なんの問題もありませんが、しかし、イオラには搭載されていません。更にイオラは設計の変更が容易でない鋳造ハンドルです。フォージドはリムポケットをNCで加工しますが、鋳造ではリムポケットまで金型で作ってしまうので変更は困難です(*)。結果、新しいハンドルと実績のあるイオラハンドルの2モデルを次年度に併売するには、リム側にセンター調整機能を搭載するしか選択肢がなくなってします。

*コメント欄にお客様からの質問が寄せられていますが、その回答と誤解を修正するために加えられた一文です。コメント欄の流れを読むときには、この一文は加えられていない前提でまずは読んでください。

結果がこれです。現在ではワッシャー式にしてずれないように、ネジを二重にして両側から固定したり、更にそれに加えて、ロックボルトを入れて強固に固定しているセンター調整システムを、この小さなワンポイントに搭載するしか選択肢がなくなります。実際の開発者の気持ちはわかりません(上のを承ける)が、マーケティング的な制約のもと開発した、するしかなかった機構を酷評されるのはいたたまれないものだと思いますが、こんなものでしっかりとセンターが固定できるはずはありません(*)。

*この機構が開発者主導で導入されたという話を聞いたことがありません。もし、あれば、コメントください。

そして、その解決策としてヤマハが提示したのは、しっかり固定できないなら、接着剤で止めてくれという…だったら出荷時にセンター出して接着剤で止めれば良くないか?それではハンドルの個体差に対応できない?だったら、手持ちのリムも接着してしまったら、もう特定のハンドルでしか使えないじゃ?

どう突っ込むかはおまかせするにして、その後フォージド2ハンドルを発表して、ハンドル側では、意図通りの短期間のモデルチェンジをしたものの、このリムを最期にヤマハはアーチェリーマーケットから退場することとなりました。そして、私達はセンター調整機構はしっかり固定されるべきであることを学んだのです。

*私は開発ではなく仕入れ担当ですので、営業側の証言が多い状態で構成されています。開発者側にはまた違う意見があったのかもしれません。


カーボンエクスプレス(CX)というメーカー。

シャフトについての話その3。近年、リカーブでは優位が揺るがないものの、コンパウンドではイーストンは優位がほぼない状態、X10(X10プロツアー)は進化できず、競合メーカーと戦うためにコスパの良いプロコンプを出しては、これは良いシャフトですが、価格帯として自社のリッチなユーザー食ってしまっているような。。

今回のコンパウンド個人でメダルを獲得したアーチャーは、男子・女子合わせて6名ですが、イーストン2名、ブラック・イーグル2名、ゴールドチップ1名、カーボンエクスプレス1名という顔ぶれでした。

ただ、これは最近のことで、2000年前半はイーストンの独占状態でした。現行メーカーでイーストンに挑んだパイオニアがカーボンエクスプレスでした(以下、私の思い出を含みます)。私達もこのメーカーを応援し、自分も全日本選手権ではこのメーカーのシャフトを使いました(ベスト8どまりだった年)。

コンパウンド・リカーブでも世界大会でメダルを獲得するという実績を残し、代理店の弊社としても大いに期待していたのですが、そこから長い迷走が始まります。。。

同じシャフトであるにも関わらず、世界大会で実績を残した後で、イーストンと同じ価格で販売できると考え、同じ商品の卸価格を1万円以上引き上げてきたのです。X-tremeはACEとほぼ同じ価格で、X10と競合できる性能が売りだったのが、X10と同じ、時期によっては、X10よりも高くなってしまいます。

CX(カーボンエクスプレス)の戦略としては…(書いたけど自主規制しました)…それでいて、販売すればX10より儲かると考えたのかもしれませんが、長年、CXを応援してきたのは、その層のプロショップではありません。多くのトップ選手が使用していたように、影響力のあるプロショップが応援していました。

その結果…この値上げは失敗だったと思います。競争力のあるプロショップの多くが、彼らのビジネスを理解できませんでした。その後、CXは再度値下げをしますが、時既に遅しだったのでしょうか。有力メンバーの退職などもあり、2022年を迎えられるか、どうかのタイミングでターゲットビジネスから、ほぼ撤退するようです。

ポイント・ピンなどの供給は当分続くので、ユーザーの方はご安心ください。ただ、シャフトの供給は在庫限りとなります。

直近のワールドカップでも多くのトップアーチャーの支持を受けながら、ビジネスが終了するというのは非常に珍しいことだと思います。CXのシャフトの性能に関しては今でも評価しています。ただ、性能が求められる商品をコストを積み上げて売るのではなく、ラグジュアリーブランドのように、その価格で売れそうだから売るのでは、少なくとも私はあまり協力できません…悔やまれるメーカーでした。

いい商品があるのに、どこかで道を間違え。記憶ではドインカーに続き2社目です。ブローネルのように復活できればよいのですが。


WAがヤマハの1989年の広告をアップ、日本のアーチェリーメーカーは甦るか。

世界アーチェリー連盟(World Archery)がフェイスブックで1989年のヤマハアーチェリーの広告をアップしました。”すべての競技者にグッドラック”、感染症のかからないために対策も必要ですが、運も必要なのかもしれません。

以前には多くの国産のメーカーがありました。もう一度そんな時代が甦ると楽しいでしょうが、そのためには、まずはなぜ負けてしまったのかの反省が必要だと思います。過去の記事ですが、お時間ありましたら是非。

我々は技術で負けたのか。国産アーチェリーがベガスで発表。


アマゾンに偽物、ご注意を。

私がプロショップを始めたころ、いや、その前からアーチェリー業界にはパクリ問題がありました。もちろん問題ですし、そういうものを販売する側は姿勢を問われるところがあると思います。

しかし、2-3年前から別の大きな問題が発生しています。それはブランド名・商品名ごとコピーした偽物です。上の商品、購入はしていないので断言はできませんが、送料込みで900円弱で本物のTRU-FIREのリリーサーが購入できるとは思えません。それがアマゾンで販売されています。偽物である通報することはできないようです(購入しないとできない)。

しかも、アマゾンでそれなりに売れています。

「偽物」に関してはアーチェリー業界のノウハウは多くないと思います。正直、自分もTRU-FIREの正規品を販売する側として、どう行動すべきかわかりません。。。これから勉強します。時間差で、アーチェリーのようなニッチな業界も、偽物と向き合わないといけない嫌な時代になりましたね。


ピアソン社のカタログで見るリカーブボウとその長さ

%e3%83%94%e3%82%a2%e3%82%bd%e3%83%b31969先日、ベン・ピアソン(Ben Pearson)社の古いカタログが手に入ったので、少し歴史を振り返った記事です。古い技術書やアーチェリーに関するトピックを読むと、(今の知識からすると)なんでそうなるのとなりますが、その時代背景を知れば、どのような環境で書かれたものかがわかれば、それはそれで納得できるものだと思います。

%e3%83%94%e3%82%a2%e3%82%bd%e3%83%b358こちらは1958年(58年前)のカタログです。まず、驚きは弓の長さ表記でしょうか。5’4″とは5フィート4インチという意味で、換算すると64インチです。ただ、この時代の弓の長さは現在とは異なり、ハンドルとリムの長さを測ったものです。そこから4インチ引いたものを弦として購入していました。以前にも書きましたが、今の時代ではそのような測り方はしません

いつの時代に弦は関係なく、ハンドルの長さを測っていたんだと思って探していましたが、ワンピースボウの時代の初期の話のようです。この話はアーチェリー教本(2000年改定版)で見つけました。

「”弓の構造がテイクダウンボウ(*)が主流になって、従来(**)の弓の長さの測定法では不都合を生じ、”マスターストリング法”という新しい測定法が取り入れられた。」

P.26 ヤマハ 伊豆田さん担当の章より

*ハンドルとリムが分解できる弓
** この本の初版は1988年なので、文字通り「従来」ではない。

弓の長さとはなにか についての簡単な解説

弦と無関係に弓の長さを測るという行為は非理論的なようにも見えますが、しかし、カタログを見る目とブレースハイトいう概念がないのがわかります。という風に書くと語弊がありますが、リムの素材の関係などで、ブレースハイトというものが調整されるべきものという概念がなかったという意味です。6インチ前後が推奨ブレースハイトではない弓が存在せず、弦の素材は”Lay-Latex”という使えば変わってくるものだったので、ブレースハイトがどうこうという意識が存在していなかったようです。ですので、弓の長さを測るときに弦を考慮する必要がありません。納得です。

%e3%83%94%e3%82%a2%e3%82%bd%e3%83%b36363年です。このころになると、推奨ブレースハイトが登場します。このカタログでは高いもので8インチ、低いもので6.5インチと1.5インチの幅が出るようになりましたが、これは設計差ではなく、概ねにサイズ(弓の長さ)に比例したものです。つまり、今でいうと64インチは低く、70インチは長くといったことです。

%e3%83%94%e3%82%a2%e3%82%bd%e3%83%b363%e5%bc%a6ブレースハイトというものが意識され出した理由はおそらくダクロンという新素材の登場によって、ブレースハイトが管理でき、チューニング可であるという認識が出たものによるものでしょう。弦の素材カタログがかわり、58年には弓のサイズで注文するのみ(弓のサイズ=弦サイズ)でしたが、63年からは弦の長さでも注文ができるようになりました。66インチでも、いろいろなサイズが使えるようになります。

%e3%83%94%e3%82%a2%e3%82%bd%e3%83%b36868年、ピアソン社のカタログからフィート表記が消え、インチのみの表示に一気に変わります。また、このころから設計にブレースハイトが入り込み、60インチで8.5インチと7.5インチの弓が出るようになってきます。ブレースとハイトが弓のサイズと比例しなくなってくるのはこのころです。新しい素材などの採用が進んだ結果でしょう。使用されている素材もスペックして書かれるようにりました。

%e3%83%94%e3%82%a2%e3%82%bd%e3%83%b37373年、ピアソンのカタログの表記にAMOの表示が登場します。このあたりで弓の長さの測定方法が変わっていったものと推測されます。

弓の長さを弓自体の長さではなく、弦の長さから測定していくのは、当然ですが、弦の長さが弓の長さを決めるからです。ですので、現在の測定方法に違和感がある人はいないと思っていますが、その根本には教本にもあるようにマスターストリングという”概念”が必要とされます。

58年から73年までの15年間で、弓の測定方法が変わっていったのは、リカーブボウを取り巻く環境が変わったためであることがわかるかと思います。図面上でしか存在していなかった”マスターストリング(*)”が、それを実現できるだけのクリープ/ストレッチのない原糸が登場することで、机上の空論ではなくなっていきます。

*厳密にヤマハにおいて”マスターストリング”がどう定義されていたのは資料がなく、ATAが使っている意味で使用しています。

これはピアソン1社だけを見た流れですが、伊豆田さんが書かれたように、今では誰もが使っているテイクダウンボウが登場することで、この流れは不可逆的になったのでしょう。

今では、知っている限り、全メーカーがATAのルールにのっとってサイズ表記をしています(*)。

*一部の小規模メーカーは独自の基準で製造しています

参考にしました。

Measuring Traditional Bows and Bowstrings
http://www.bowhunting.net/artman/publish/TailorMaidMeasuring.shtml