弓の研究家の皆様とツイッターで交流させていただいているのですが、今朝、信長の三段撃ちが盛り上がっていました。信長が導入したこの戦術が実際に行われていたのか、実践可能だったのかについて、議論があることはなんとなく知ってはいましたが、いつの間にか、信長が自分で考えたことになっているのにはびっくりしました。
信長が考案したといわれる「三段撃ち」は無敵の武田騎馬軍を撃破した火縄銃の撃ち方です。
所さんの目がテン 織田信長 の科学 第1204回 2013年11月24日
三段撃ちには詳しくないのですが、海外では一般的に知られている*輪流射ち(Volley fire)の歴史について、もしかして日本では歴史研究者に知られていないのではないかと思い、記事にしました。
*英語のウィキペディアに詳細の記事があることを持って一般に知られていると判断しました。
まず、三段撃ちをどのように捉えるかですが、ここでは、「一列目が射撃を行っている間に、二列目と三列目が弾込めを行うことで、連続して射撃を行うことができる」戦術・戦法であるとすると、その歴史はそもそも火縄銃の誕生より遥かに古いもので、同様に装填に時間のかかるクロスボウ(弩)による輪流撃ちが始まりです。
『漢書』は紀元前169年に「クロスボウ兵が交互に前進しては射撃し、後退しては装填する訓練」を行わっているという記述があります。これはさしずめ二段撃ちと言ったところでしょうか。ただし、フォーメーションについての情報は残されていません。
759年の『太白陰經』には、輪流撃ちに関する最古の描写があります。「発弩(射る兵)」と「張弩(弩をブレースする兵)」と、おそらく指示のため「鼓(楽器)」がセットになって、100人ほどの兵士が一つの部隊として運用されています。
唐の学者杜佑(735年~812年)によって書かれた『通典』には「弩は装填に時間がかかり、突撃されると1~2回しか撃てない」「(弩部隊は)矢を集中して撃てるようにチームに分けるべきである。隊列の中央にいる者は弩に矢を番え、隊列の外側にいる者は撃つ。彼らは交代で、回転する。このようにすれば、クロスボウの音が途切れることはなく、敵は私たちに危害を加えることはできない。」と書かれており、800年頃に中国の二段撃ちと呼べる弩の戦法は完成します。
しかし、宋代に書かれた『武経宗瑶』には、二段撃ちは突撃に対して弱いと書かれています。二段撃ちでは、前列が撃ち終えた時に突撃されてしまうと、後列の隊が武器の準備が不十分なまま、突撃する歩兵に対して前進しなければいけなくなるため、「発弩」と「張弩」の間にすでに完全に弩の準備を終えて、心の準備を整えて、あとは射るだけ「進弩」と追加することで、突撃に弱いタイミングをなくすことができるとして、ここに輪流三段撃ち戦法が完成します。射る兵と準備する兵が前後するだけの戦法から1000年以上経過しています。
1621年の蹶張心法には、より詳細に書かれており、100名を1列として3列の300名を1つの部隊として運用し、1万本の矢を射るとしています。
古代人は敵に勝利するために一万本のクロスボウを一斉に撃ちましたが、今日はそれを簡潔に説明します。300 人のクロスボウ兵がいるとします。最初の 100 人はすでに矢を装填し、すでに前方に並んでいます。彼らは「射撃用クロスボウ」と呼ばれています。次の 100 人のクロスボウ兵も矢を装填していますが、次の列に並んでおり、「前進用クロスボウ」と呼ばれています。最後に、最後の 100 人が彼らの後ろ、最後の 3 列目に並んでいます。彼らはクロスボウを装填しており、「装填用クロスボウ」と呼ばれています。最初の 100 人、つまり「射撃用クロスボウ」が射撃します。射撃が終わると彼らは後方に退き、2 番目の 100 人、つまり「前進用クロスボウ」が前方に移動し、自分たちも「射撃用クロスボウ」になります。後ろの 100 人、つまり「装填用クロスボウ」が前方に移動し、「前進用クロスボウ」になります。最初の100人が射撃を終えて後方に戻ると、彼らは「装填用クロスボウ」となる。そしてこのようにして彼らは回転し、交代で一定の流れで射撃し、クロスボウの音は絶え間なく鳴り響く
蹶張心法1卷長鎗法選1卷單刀法選1卷
武田軍の「風林火山」が中国の兵法書から引用されたように、日本は遣唐使の時代から中国の兵法書を輸入して研究していたので、信長の三段撃ちはこの戦法をクロスボウから、火縄銃の運用に転用しただけものであることは明らかです。
もちろん、そのアイデアは素晴らしいと思いますが、そもそもの三段撃ちを信長が考案したとするのは称え過ぎではないかと思う次第です。
参考文献 : 黒色火薬の時代: 中華帝国の火薬兵器興亡史 トニオ・アンドラーデ (著) *英語版読んだのでこちらの2024年6月出版の日本語訳は本当は読んでいません…
山口 諒
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