この記事は2023年3月2日に書かれたものです。最新の情報とは異なる可能性があります。ご注意ください。

弓が神に忌み嫌われる – 歴史編. 5

「黙示録の騎士」 ヴィクトル・ヴァスネツォフ作 1887年

これまで書いてきたように競技ではギリシャの英雄が、戦争では那須与一が神に祈って矢を射ていました。狩猟を行う民族も多くは狩猟前に神に祈りをささげます。アイヌ文化では矢を射る前に「おお、聖きケレプ・ノエ(男毒神)矢よ、汝は勇敢なる神である。」と呪文を唱えます。今日、弓道と宗教の関係は柔道のようにはっきりとしたものではないが、アーチェリーは完全に宗教と関わっていません。

過去にはアーチェリーと宗教の関係はギリシャ文化のみでなく、カトリック教会とも繋がりを持っていました。聖書のヨハネの黙示録で弓は勝利の象徴とされていました。しかし、11世紀に、突如、弓はキリスト教から排除されます。

1097年のラテラノ教会会議でクリスチャンに対しての弓の使用がローマ教皇ウルバヌス2世によって非難され(*)、1139年に1000名以上の聖職者が参加した第2ラテラン公会議にて公布された30条のカノン(教会法)でアーチェリー(羅:sagittariorum)とクロスボウ(羅:ballistariorum)によるクリスチャンの殺傷を禁止。使用したものは破門するとしました。同様に貴族の騎馬試合も禁止されました。

*ローマ・カトリックの司祭でドイツの神学者であるカール ヨーゼフ フォン ヘーフェレはその著書でこれは武器としての使用ではなく、売春婦も参加した世俗的な射撃祭(歴史編.4参照)を禁止措置であるとしているが根拠は示していません。

議事録が残っていないため、禁止された理由は諸説あります。騎馬試合と同様に十字軍に集中させるためという主張もありますが、クリスチャンに対してのみ禁止され、異教徒への使用が認められた理由として、弓の進化による威力が増大し、騎士にとって驚異となったことが原因とする主張が一番支持されています。また、日本にも同様の記述が見られます。

十字軍でのクロスボウの活躍によって、12世紀のイタリアでクロスボウの人気が急上昇しました。当時の進化したクロスボウは鎖帷子に対しても十分に殺傷能力があり、騎兵を倒せます。しかし、クロスボウは馬上ではコッキング(引いて固定する作業)できず、騎兵ではなく、歩兵の武器でした。歩兵は騎兵よりも圧倒的に身分が低く、騎兵(貴族)が歩兵(市民)によって殺傷される事は嘆かわしいものでした。

同様の事態は12世紀の日本の平治の乱を描いた平治物語でも

楊斎延一 作「重盛義平紫宸殿外戦之図」

今たとい敵にかけあうというとも、かいがいしい事はなくて、雑人の手にかかり、遠矢に射られて討たれんこと、嘆きのうへのかなしみ也

古活字本平治物語, 日本古典文学大系 第31, 1961

と、雑人は身分の低い人ですので、ヨーロッパだけではなく、日本でも同時期、武士が平民に矢で撃たれることは嘆き悲しみであったことが伺われます。

教会法(カノン)の中で弓術は「羅:mortiferam(致命的)」であるとされているのですが、ヨーロッパの貴族は刃物を名誉的な武器としていました。騎士道的な精神性もそこにはありますが、実利として、相手を落馬させて手加減することで技量の高さ・度量の広さを示し、また相手が貴族なら殺さずに捕虜とすることで身代金を得ることができたのです。それに対して、相手の身分関係なく、無差別に相手を死傷させる矢は無慈悲な武器としても非難されました。

禁止令ののち、「神が忌み嫌う」弓とカトリック教会との関係が薄れていきましたが、クリスチャン以外には使用できたので教会としても弓の所持は禁止しませんでした。そのため、カトリック文化圏でいち早く、アーチェリーとクロスボウの規制・管理は文化や宗教ではなく、国家に委ねられ、アーチェリーが「国」を境界線として違ったものになっていきます。

また、実在が確認できないので物語としますが、14世紀頃のロングボウを使用したロビン・フット、クロスボウを使用したウィリアム・テルはどちらも、反権力的な物語の主人公でした。平民が貴族を倒せることから教会権力に呪われた弓は、平民の間で反権力の象徴として物語の中で活躍することとなります(*)。

*実際に弓を使った一揆は確認できていない

死を示す反転した紋章とクロスボウ

ラルフ・ガルウェイは著書で1189年から1199年にかけてイングランドで弓のクリスチャンへの使用が再開されたと書いています。同じく1139年の公会議で教会によって禁止された騎馬試合が国王のリチャード 1 世によって1192年に再び許可された記録があるので、この時期に弓の使用も再開されたとするのは妥当でしょう。ただ、皮肉なことに、国王リチャード1世は1199年にクロスボウによって負った傷で死亡します。この死について、弓の使用を禁止していた教会に背いた天罰であるとの考えがあったようですが、それによって弓が再度禁止されるには至らなかった。カトリック文化圏における他の国でも、この頃に弓の武器としての使用が再開されます。


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Ryo

(株)JPアーチェリー代表。担当業務はアーチェリー用品の仕入れ。リカーブ競技歴13年、コンパウンド競技歴5年、2021年よりターゲットベアボウに転向。リカーブとコンパウンドで全日本ターゲットに何度か出場、最高成績は2位(準優勝)。次はベアボウでの出場を目指す。

2 thoughts on “弓が神に忌み嫌われる – 歴史編. 5

  1. アーチェリーかこれ?
    神っていうか神の名前を語ったペテン師ですね
    今のやばい新興宗教ともはや同じことしてますね

  2. 何をもって「アーチェリー」とするのかは、現在でも定義が定まっていないと考えているので、なにがアーチェリーなのかはものすごい難しい問題だと思います。

    後半に関しては、私が無宗教なので、本物の神と偽物の神の違いが正直良くわかりません。どちらも「信仰」=「信じている」という意味では同じではないでしょうか?

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