この記事は2022年11月10日に書かれたものです。最新の情報とは異なる可能性があります。ご注意ください。

イギリスのアーチェリーは相席屋??

本日読み終えて本「The Witchery of Archery(アーチェリーの魅力)」1878にアメリカで出版され、アメリカにアーチェリーブームを巻き起こして本です。オリンピック以前のアーチェリーの歴史を調べていくと、改めて日本が特殊な国であると思い知ります。人類最古の道具の一つとされている弓ですので、どんな国にもあったと思いますが、17-19世紀のアーチェリーの記録を調べていくと、アメリカ、イギリス、日本にしか資料が残っていません。

最初はわたしが日本語と英語しか読めないための認知バイアスとも思ったのですが、1900年オリンピックのフランスや1920年のベルギーの事情を調べてみると、スポーツというよりは、日本の射的のようなフェスティバル・お祭りのイベントであることが多く、競技としての記録が本当にありません。郷土史として残されている可能性はありますが、1900年のオリンピックの競技がどんなものだったのかすら残っていない時点で、見込みは低いと考えています。

戦争によって美術品や研究資料・書籍などが焼かれたり、略奪されることが古今東西で行われてきた。第二次世界大戦でも、戦場となったヨーロッパ各国の都市の図書館や文化遺産の多くが被害を被ったが、例えば、勝者であった旧ソ連によりドイツ文化財が略奪されて、250万点という想像を絶する数量で、今もって返還されていないことが明らかになっている。

加藤一夫, 日本の旧海外植民地と図書館, 参考書誌研究(49),1998, P50-70

逆に、英・米・日なのかと言えば、記録に残した人の偉大さもありますが、戦争こそしたものの、革命が起きておらず、焚書がなかった国がこれくらいしかないという悲しい現実があるのかもしれません。ちなみに日本は戦時中、図書資料の疎開が行われています。

日本のアーチェリーについては勉強中で、イギリスのアーチェリーに関しては、当時の中心人物の著書を翻訳しているので、それなりに把握しています。

ということで、当時(19世紀後半)のアメリカの様子を見ていきましょう(すべて意訳です)。

 弓で射るとき、動かすのは自分の体あり、矢を制御するのは自分の心である。自分の優れた男らしさを誇りに感じる。鍛え上げた筋肉が功を奏したのだ。しかし、銃の射撃はそうではない。ライフルや猟銃の弾には、筋肉の動きとは無関係に働く力が宿っており、小学生や弱虫でも、力強く撃つことができる。

Maurice Thompson, The Witchery of Archery, 1878, P.9-10

19世紀に弓が狩猟で栄えたのはアメリカだけです。アメリカでは負けた南軍が銃器の所持を許可されなかったために、旧南軍だった人たちは、銃器による狩猟ができなくなり、弓に移行していきます。この本の著者のMaurice Thompsonも、南軍の二等兵として参戦した人ですが…負けたから銃が使えなくなったのに、銃は弱虫が使うものだということになっています(笑)。

 野生動物の捕獲は、生計を立てるための手段としてはほとんど見なされなくなり、スポーツやレクリエーションの手段というレベルにまで低下したか、あるいは上昇したと見ることができるだろう。以前は、食卓の快適さは、猟師の腕か運によった。

現在では、銃による狩猟が流行しているが、健康的で楽しいものとして推奨することはできません。300から700発のペレット(*)を鳥めがけて投げつけるのはスポーツではありません。ちょっと考えてみましょう。銃身に400個のペレットが入っているとします。散弾は40ヤードの距離では、9平方フィートのスペースにその数を広く散布します。

*1発の弾丸に入っている散弾の数

Maurice Thompson, The Witchery of Archery, 1878, P.15

では、古代の捨てられた武器で武装した私たちが、警戒心の強い鳥に近づくのはどれほど難しいことでしょう。しかし、私たちが成功する可能性が低いことが、この事業をより魅力的なものにしていた。

Maurice Thompson, The Witchery of Archery, 1878, P.39

アメリカ人がこのような本を書いたことではなく、アメリカでベストセラーになったという事実から、当時のアメリカでは、散弾銃による狩猟は簡単すぎるがゆえに、「マッチョ」ではないという認識がされていたと考えることができます。

イギリスでは公共射場のために作られた大きな的は次第に放棄され、解体され、すべてのアーチェリー大会は、伝統ある協会に属する美しく装飾された公園や、このスポーツを後援する紳士や貴族の田舎の私有地に用意された場所に限定されるようになった。王室や貴族の後援を受けたいくつかの協会の会合で提供される賞品は非常に豪華で、その争奪戦は射撃の精度を高めることになった。

最も古いクラブの1つである「Woodmen of the Forest of Arden」には、女性会員専用の賞品が3つある。1つ目はトルコ石のゴールドレースジュエリー、2つ目は金の矢、3つ目は金のラッパである。

「Hertfordshire  Archers」は、女性会員に価値ある美しい賞品を提供している。これは、ダイヤモンドをあしらった弓と軸で飾られた金のハートである。

「Royal  Toxophilite Society」は女王の後援を受けており、美しく装飾された敷地の中に、古いイギリス様式の壮大な宴会場を所有している。建物全体を囲む広いベランダに面した窓は、豊かなステンドグラスで、創設者であるウィリアム4世とアイレスフォード伯爵の紋章が誇らしげに飾られています。

Maurice Thompson, The Witchery of Archery, 1878, P.140-141

という、19世紀のイギリスのアーチェリーの状況を説明したあとに、

アメリカでは、「Wabash Merry Bowmen」と「Staten Island Club」がある。もてなし上手な友人の指揮のもとで開催されるプライベートな社交場で、数人の気の合う仲間を呼び寄せて午後のひと時を陽気に過ごし、シンプルでカジュアルなディナーで締めくくります。 

Maurice Thompson, The Witchery of Archery, 1878, P.148

と当時のアメリカの事情を伝えますが、イギリスの状況が貴族の社交場で、アメリカはカジュアルな仲間の庭でやるバーベキューみたいな記述にはなっていますが、かなり細かく、イギリスの協会で女性に与えている景品をこれでもかというくらいに細かく説明しているので、私たちはカンパニー(仲間)だが、イギリス人は金を女を呼んでいる、と言った感じのニュアンスをわたしは感じました。現在の相席屋的な。。下記のリンクで読めるので該当部分のニュアンス下記になる方は読んでみてください。

https://www.archerylibrary.com/books/witchery/

かと言って、彼らが女性に興味が無いほど「マッチョ」だったかと言えば…

アーチェリーが、女性にとってクロケットよりも好まれる理由は、たくさんあるはずです。クロケットは2つの理由で好ましくない。第一は、女性はコーデをするので、前かがみになるのは非常に不健全な行為であり、非常に敏感で傷つきやすい体の器官を圧迫することになるからである。第二に、 アーチェリーは直立した姿勢で行うため、両手と腕、肩と背中、胸と脚の筋肉が使われる。

Maurice Thompson, The Witchery of Archery, 1878, P.214

イギリス人は金で女を釣り、アメリカ人はアーチェリーが女性にとって健康に好ましく、合理的なスポーツであると説得することで釣るのは、なにか現代に通じるところがあるようにも…人間は変わりませなんね。


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Ryo

(株)JPアーチェリー代表。担当業務はアーチェリー用品の仕入れ。リカーブ競技歴13年、コンパウンド競技歴5年、2021年よりターゲットベアボウに転向。リカーブとコンパウンドで全日本ターゲットに何度か出場、最高成績は2位(準優勝)。次はベアボウでの出場を目指す。

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