シングルラウンドの終焉から、1対1へ

下記の2つの記事を先に読むことをおすすめします。

1988年のオリンピックからダブルFITAラウンドから、シングルFITAラウンドからの、グランドFITAラウンドという各距離を8射(計36射)してのノックアウト方式、現在もベガスシュートの決勝で用いられている形式のフォーマットが導入されます。前の記事で、WA(FITA)は競技団体ではなくIOCの味方であると書きましたが、各国の団体も概ね賛成だったようです。全ア連の見解を見つけることができませんでしたが、1988年のオリンピックのホスト国の韓国で賛成多数で決まっています。

下記原文は韓国語なので機械翻訳を修正したものです。どこまで正確か検証できていません。

33回世界洋弓選手権をあと、ソウルでは36回FITA総会がソウル汝矣島63ビルで開催された。 総会では世界アーチェリーの新たな転換点になったといえる新たな競技方式であるGrand FITA Round方式を採択したこれらのGrand FITA Round方式は、45カ国が参加した中で投票が実施され、賛成40カ国、反対3カ国、棄権2カ国で確定し、1986年5月1日から実施することに決議した。 このような競技方式の変化は、FITAが従来の方式ではアーチェリー競技の興味を誘発することに多くの困難があると判断し、アーチェリーの大衆化を引き出すために競技方式に新たな変化を与えるものだった。

韓國洋弓三十年史 本編, P225-226

正しい競技形式を定義することは不可能だとは思いますが、多くのアーチェリーガイドを読んでも、アーチェリーはメンタルが大事なスポーツであると書かれていて、持久力を競うスポーツではないと多くの方が捉えています。自分は高校時代はシングルFITAラウンドを競いましたが、勝つためには、正直メンタル要素より体力が求められる競技という認識でした。メンタル要素があった記憶は…ないです。

対して、現在の1対1での競技では、大いにメンタルタフネスが求められ、アーチェリーがメンタルスポーツであるという認識であれば、正しい方向に進んでいます

さて、競技時間の短縮により、1988年のソウルオリンピックでは団体も開催されるようになり、メダル数が倍になります。オリンピック後の89年にWAの総会が行われます。

サマランチIOC会長は当連盟がソウルオリンピックに積極的に参加したこと、そしてグランドFITAラウンドの導入に成功し、例外なく競技がより華やかなものになったことに賛辞をいただきました。

FITA Bulletin officiel No 40, 1989, P2

(オリンピックでの採用の継続につながる)IOCから称賛を得たので、そのままグランドFITAが継続するかと思いきゃ、IOCから次のバルセロナ後に団体競技を削除するという連絡が届きます。コンパウンド(*)競技を承認した新しい会長のジム・イーストン氏が問題の解決にとり組みにあたります。

*FITA Bulletin officiel No 42, 1990, P3

IOCプログラム委員会は、1989年の早い時期に団体競技を廃止しました。IOCプログラム委員会の目標は、すべての個人競技のチーム競技をなくすことです。私たちの団体競技は1992年のオリンピックで終わります。私たちは、他の個人スポーツ(体操、フェンシングなど)のチーム競技が残っている限り、アーチェリーのチーム競技をオリンピックに残すよう、プログラム委員会とIOCを説得しなければなりません。先日のアテネでの理事会で特別委員会が設置されました。この委員会は、FITAアーチェリー競技に対するテレビの関心を高める方法を提案し、FITAと我々の大会のスポンサーを獲得するという、非常に重要な目標を担っています。

FITA Bulletin officiel No 42, 1990, P1(意訳)

FITAは、アーチェリーを発展させ、世界に広め、テレビに映える競技にしなければ、オリンピックに積極的に参加しようとする多くのスポーツ(トライアスロンやゴルフなど)に取って代わられる危険性があります。会議に出席している間、FITAの評議会や委員会のメンバー数名と会う機会があり、テレビでのアーチェリーの露出について話し合いました。テレビでより面白くなるようなラウンドを実験するよう、すべての加盟団体に奨励することが提案されました。8月30日に行われたノルウェーのロエン会議では、Raoul Theeuws会長、Leif Janson氏、Don Stamp氏がタスクフォースに任命され、夏のオリンピック競技としてアーチェリーを維持するために必要なテレビ放映を得るために、FITAがオリンピック競技で提供すべきラウンドと決勝を提案・開発するように指示されました。

FITA Bulletin officiel No 43, 1990, P1(意訳)

1990年の5月に行われたオリンピックに関するミーティングでは多くの意見が出され、決勝戦をテレビの注目を集めるのに最適な20分に短縮するための1射の時間の短縮、21世紀になってから導入される、決勝戦をよりドラマチックにするために、テニスなどの他のスポーツのように15本の矢を3セットで行うなどのアイデアも検討されます(*)。

*FITA Bulletin officiel No 43, 1990, P5

課題はテレビ放送ですので、競技方式の決定にはアメリカのNBCテレビのピーター・ダイヤモンド氏、バルセロナオリンピック組織委員会(テレビ部門ディレクター)のマノロ・ロメロ氏、スポーツチャンネルESPNのピーター・レイス氏が関わり、アーチェリーのライブ映像を配信することの明言を得て、90年の11月に新しい競技方式が確定します。詳細の記録を読んでいくと、NBCテレビからは午後に決勝を行い、個人戦を2時間半以内、団体戦を3時間以内、16時前に終わらせることが要求されています(*)。92年夏季の大会のルールが90年の11月に確定し、91年3月の世界室内で初めてテストされます。

**FITA Bulletin officiel No 44, 1991, P5

FITAオリンピックラウンドと呼ばれる新しい競技形式はまさにオリンピックのために開発されたものです。オリンピックの前年の世界選手権にも採用されてません。

オリンピックラウンドで行われたバルセロナオリンピックは、かつてないほどの成功を収めます。試合としても、放送としても。

テレビ放送は完璧だった。アーチェリーの素養のない友人たちと一緒に、3日間ずっと放送を見続け、魅了された。

FITA副会長 Nikola Skoric, Olympic Archery on TV, FITA Bulletin officiel No 47, 1992, P6

(テニスを観戦していた)スペイン国王フアン・カルロスは、スペインチームの成功を知らされ、金メダル獲得を目指すフィンランドチームとの対戦に間に合って到着した。フィンランドチームは初めて緊張を見せ、スペインチームにリードを許したが、熱狂的な観客の応援を受け、最後まであきらめることなく力を出し切った。スペインが金メダル。アーチェリー場は、選手、スタツフ、観客が互いに抱き合い、祝福するお祭りのようになった。

Klaus-Dletrich Schulz, Gold medal for the Olympic Round, FITA Bulletin officiel No 47, 1992, P8-11

この成功により、オリンピックでへの参加がより確実なものとなり、1対1の戦いとテレビとの相性の良さが証明されました。93年の世界選手権からは予選シングルラウンド、決勝オリンピックラウンドという形式になります。

93年のWAの会報に委員の意見として、FITAシングルラウンドが長すぎるのではないか、決勝が70mなのに予選で他の距離で競う必要があるのかという提案がされます(*)。

*FITA Bulletin officiel No 48, 1993, P5

94年にはWA会長のイーストン氏がIOC委員となったことで、アーチェリーのオリンピックからの除外に対する懸念は以前ほどではなくなります。95年にオリンピック予選ラウンドが、70mの720ラウンドで行われることが決まります。92年と同じオリンピックラウンドを採用した96年に行われたも大成功し、

私たちの課題は、アトランタで感じた熱気をさらに加速させ、世界中の観客に1対1のアーチェリーの興奮を届けることです。

Jim Easton, FITA Bulletin officiel No 58, 1996, P1

もう後戻りすることは現実的ではなく、92年と96年の成功によって、アーチェリーは1対1の対決によって勝者を決めるスポーツに変化しました。アーチェリーがオリンピックに根付いた事により、現在のWAの目標はオリンピックにコンパウンドを参加させることです。

IOCがコンパウンドの参入を拒否している理由は主に、

・競技がリカーブと酷似している

・コンパウンドは選手が特定の国に偏っている

というものですが、これは2013年の回答で、10年経過し、現在ではコンパウンドは多くの国で競技されているので、リカーブとの競合が最優先で解決すべき問題で、WAは距離で違いをつけ、的の大きさで違いをつけ、そして、更には、2028年のロスオリンピックに向けて、コンパウンドをインドア競技として採用してもらうよう提案しています。屋外70mリカーブ、屋内18mコンパウンド、IOCの反応が待たれます。

3つの記事からなるアーチェリー競技の歴史はこれでおしまいです。


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Ryo

(株)JPアーチェリー代表。担当業務はアーチェリー用品の仕入れ。リカーブ競技歴13年、コンパウンド競技歴5年、2021年よりターゲットベアボウに転向。リカーブとコンパウンドで全日本ターゲットに何度か出場、最高成績は2位(準優勝)。次はベアボウでの出場を目指す。
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