この記事は2021年8月7日に書かれたものです。最新の情報とは異なる可能性があります。ご注意ください。

【1980-1990年代】そうして、スパインは大事になった。

1970年代にセンターショット調整が大事とされ、70年代後半にはほぼすべての選手がプランジャーを使用するようになったのに対して、スパインに対する意識は非常に低く、ペーパーチューニングなどは、あまり知られていなかった。

その理由はなんと言っても、アルミシャフトとダクロンの組み合わせによる、まったりとしたクリアランスだったために、矢飛びはスパインよりも射形に大きく影響を受け、スパインを正しく合わせても、射形が悪いと、矢が正しく飛ばなかったための思われる。

トップの写真は当時のサイトのセッティングですが、このライン(距離ごとのサイト)が直線状にないことは、スパインが正しくなく、矢がカーブして飛んでいることを示している。トップ選手でもそのように曲げてサイトを取り付けていました(*)。

*全日本強化合宿における調査では、郷里が伸びるにつれてサイトが出る(スパインが硬い)選手が多かった。

現在はこのラインが真っ直ぐでないと、すぐにスパインがあっていないという指摘を受けますが、当時はそれで良いとされていたか、もしくは、

サイトを斜めに取り付けることより射形を直すことが先決問題と言えよう。

73年12月号 雑誌アーチェリー

とその原因をスパインの修正・プランジャーの調整ではなく、射形の改善に求められていた。

スパインの正しさを重視しない理由がアルミシャフトにある以上、その終わりは当然カーボンシャフトの登場によってです。カーボンシャフトと弦の進化により、シャフトはあっという間に飛び出します。更にカーボンシャフトは軽いので、クリアランス時のちょっとした接触でも、正しく飛びません。

そのため、1980年後半にカーボンシャフトの登場で、一気にスパインを正しくチューニングすることの大切さが注目されるようになります。

当時のトップ選手の「カーボンシャフトは正しく射たなくても勝手に飛んでいってしまう」という表現がその時代感を表しているように思う。

参考文献

1973年 弓について 榎本 新

1975年 誰でも容易に。確実にできるチューニング法 竹内 貞夫

1975年 クッション・プランジャーとその用法 Archery World

1973年 トップアーチャーへのいざない 高柳 憲昭

1987年 特集 ニューカーボンアローついに登場。キミは、これを新兵器になしうるか。


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Ryo

(株)JPアーチェリー代表。担当業務はアーチェリー用品の仕入れ。リカーブ競技歴13年、コンパウンド競技歴5年、2021年よりターゲットベアボウに転向。リカーブとコンパウンドで全日本ターゲットに何度か出場、最高成績は2位(準優勝)。次はベアボウでの出場を目指す。

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