この記事は2010年1月11日に書かれたものです。1年以上前の記事は内容が書かれた当時とは異なる可能性がありますのでご注意ください。

雑誌アーチェリー 49号~69号

日曜日は国立国会図書館はお休み。ということで、東京都立図書館に行ったて来ましたが、こちらでは雑誌アーチェリーの49号(1980年)からしか所蔵していません。4時間で20冊読破してきました。
いろいろと新鮮でした。たったの30年ですが、アーチェリーは大きく変わりましたね。今の時代では考えなれないような…個人的な一番の驚きだったのはアメリカの選手、アメリカのルアン・ライアンさん(女性)は日本に招かれた78年の全日本選手権でシューティングライン上でたばこを吸って騒動に…処分を受けたのかは書かれていませんでしたが、シューティングライン上でタバコって…しかも、全日本の大会でって…想像できません。大物なのですね。

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弓具ではこのドイツOK社のマッハ1というハンドル。面白い構造ですが、輸入元によれば、高い過ぎて一般売りはできないとのこと。
ニュースでは、渋谷アーチェリーが代理店となり、1981年の雑誌アーチェリーから「SAMICK」の名前が登場します。82年までの雑誌を読みましたが、名前はまだ「サムイック」と書かれています。Horugelというハンドルが販売されています。
細かい話は全部読んでから書きたいと思っていますが、今の雑誌アーチェリーと大きく違うところがいくつかあります。どっちがいいのかという問題ではないと思いますが、以前の雑誌アーチェリーには議論がありました。現在、多くの記事は偉い人が一方的に話すか、読者の疑問に答えるという形式をとっていますが、80年代の紙面はトップ選手xコーチx外国人選手x外国人コーチx役員なとが入り混じっての対談や議論が中心でした。
「私にこう思う」
「いや、それは違う。こうすべきだ」
個人的にはこっちの方が面白いですね。議論が消えてしまったのは、論争を呼ぶ記事を雑誌アーチェリーが書かなくなったのか、それとも、表立っての議論が業界からなくなったのかはわかりませんが…どっちでしょうか。
近年の雑誌アーチェリーは、アーチェリーショップについてまったく触れなくなりましたが、80年代には頻繁に唯一(でもなかったようですが)業界紙として意見を述べニュースにしています。
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80年 「渋谷アーチェリー新宿に進出”新宿戦争”に発展か!!」
雑誌アーチェリー 51号
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アーチェリー界にとって新店舗、あるいは、新射場の出現は業界活性化のために歓迎すべきことである。これまでアーチェリー業界は、どちらかというとあまりにも助け合い的精神が多く、ぬるま湯的であり、活動的ではなかった。マイナーであればマイナーであるほど業界が活発でなければならず、それはひいてはアーチェリーの多少なりとも大衆化させることにつながる。
雑誌アーチェリー 68号(1982年)

「道具が高いのは問題だ。半分程度が望ましい」
(当時の全ア連指導部長さんの発言)
雑誌アーチェリー 63号

あちぇ屋ができた当時は業界全体で談合して価格を上げていく時代でしたが、当時は談合しないで独自の経営方針を貫く会社が多かったようです。1981年には業界全体で値上げがあいついたようですが、大手のエンゼルさんが、わざわざ雑誌アーチェリーに他社は値上げしても当社はしませんという「値上げ凍結宣言」をしています。
他社のお客さんに商品を売っただけで抗議が来るという今のご時世ですが、渋谷アーチェリーさんは、80~81年に、当時すでに4社のアーチェリーショップがショップを開いていた新宿に進出しています。これも今ではなかなか考えられないことでしょう。
みんなが元気な時代だったという事ですね。今と違い、日本のアーチェリーを作ってきた人たちがまだ最前線にいて、さらにショップでは店長=オーナーがほとんどで、雇われ店長が少なかった時代ならではかもしれませんが…。
(昔は良かった。昔に戻るべきだという記事ではありません)
(高校生アーチャーカップルを紹介いるページもあったりします…うん…お幸せに)


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Ryo

(株)JPアーチェリー代表。担当業務はアーチェリー用品の仕入れ。リカーブ競技歴13年、コンパウンド競技歴5年、2021年よりターゲットベアボウに転向。リカーブとコンパウンドで全日本ターゲットに何度か出場、最高成績は2位(準優勝)。次はベアボウでの出場を目指す。

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