ゴールドは本当のゴールドだった

アーチェリー的の歴史今週は台風ということだったので、射場での練習を減らして、筋トレを増やして、残りの時間は勉強に使いましたが、意外と天気のいい日々で若干の後悔です。

ターゲットアーチェリーでは的の真ん中は黄色ですが、よく”ゴールド”や”10金”と呼ばれていますよね。その理由について記事にしてみたいと思います。

現在のアーチェリーのルールの多くはイギリスに起源を持ち、そのルールがアメリカに伝わり、アメリカから戦前に日本にもたらされました。

アーチェリーがスポーツとして楽しまれ始めたのは16世紀ごろだと言われています。18世紀までは各クラブで距離・的・採点方法を独自に定めていました。しかし、スポーツとしてアーチェリーが拡大するにつれ、地域のクラブがナショナル選手権(全英選手権)をホストするときに、このローカルルールが問題となってきます。そこで、当時のイギリスのリージェント王子(のちにジョージ4世)が、スコアリング(的と得点帯)のスタンダードを制定するよう指示し、17世紀から存続するフィンズブリークラブのルールをベースとして、18世紀末には現在の形に近い、金・赤・銀(白)・黒・白というターゲット的のスタンダードが出来上がります。この配色はプリンスカラーと呼ばれています。

ちなみにその時には各射場の物理的な問題で射つ距離は統一されず、距離が統一されるのは19世紀(1844年のヨークミーティング)でした。

さて、現在の馴染みの的になるまでは、ご存知のように2つの変更がありました。一つは「アーチェリーの理論と実践」のまえがきも執筆したC.J.ロングマンによってなされた提案で、真ん中の金(ゴールド)は富の象徴として「プリンスカラー」の名に非常にふさわしいものでしたが、光り輝く金は想像の通り、天気のいい日には太陽を反射し、非常にエイミングしにくい的になってしまいます。

そこで彼は協会に、ゴールドという名前をのままとして、色を太陽を反射しないマットイエローにすることを提案し、19世紀末に承認されます。この時にほかにも追加されたのは黒のブルズアイ(Xマーク)と色の間に配置されたラインです。

もう一つの変化は個人の提案ではないので、自分が知る限りでは根拠となる確かに文献はないのですが、1870年代にイギリスのターゲットの配色がアメリカに伝わり、その後アメリカでアーチェリーが広まるとともに、白が2色では点数間違いをしやすいという理由で、当時インナーホワイトと呼ばれていた得点帯を薄い青とするようになり、それが一般化して広まったといわれています。

という流れで的は現在の色となりました。弓道も遠的の得点的ではアーチェリーと同じ配色を使うそうですが、その配色がアーチェリーをそのままパクったものなのか、和弓独自の歴史で定まったものなのかはわかりません。

本当にゴールドの的も射ってみたいですが、太陽の光がちょうどよく反射する時間帯だと…何ともならない感じになりそうです。

明日はロングマンさんに感謝しながら、マットイエローのゴールドを射ってきます。

では。