また、シェークスピアはその作品ヘンリー四世において「(-弓の腕前が見事なダブル老人-)彼は見事な射撃をした。ジョン・ア・ゴーントは彼を愛していた。そして彼に大金を賭けた(He shot a fine shoot. John a Gaunt loved him well, and betted much money on his head.)」と競技の当事者の遊びとしてだけではなく、アーチェリーの競技結果も賭け事の対象であったことがわかります。ヘンリー四世は芝居として16世紀末にシェークスピアが創作したものですので、史実ではありませんが、当時のアーチェリー競技のあり方を知ることはできると考えます。
と書かれています。しかし、歴史編3で触れたように、石器時代の弓はすべてロングボウで、発明されるのはショートボウです。ロングボウが再発明されるためには、ショートボウの誕生と一般化によってロングボヴが一度歴史から姿を消す必要があります。その部分についての経緯が「短弓の誕生」です。4世紀ローマの軍事論(De re militari)には2種類の弓が登場しますが、それはサイズの差ではなく、軍事用の複合弓と訓練用の木弓です。
エリザベス1世の家庭教師で王家に仕えた教育学者のロジャー・アッシャムによって1545年に書かれ、ヘンリー8世に捧げられた「Toxophilus(弓の愛好家)」は最初の英語によって書かれたロングボウの本です。その中で著者はロングボウについて「英国人のために、英語で、英国の問題について書く(I have written this English matter, in the English tongue, for Englishmen.)」としました。その後19世紀まで10冊以上のガイドブックが、この本に触れながら英語によって書かれます。1822年にはアーチェリー団体「Royal Company of Archers」がスコットランド君主の近衛兵に任命されますが、既に銃火器の時代であり、イングリッシュロングボウ隊は警護ではなく、イギリス貴族の象徴として任命されたと考えるのが妥当でしょう。16-17世紀、武器としての優越性を銃火器に引き継いだアーチェリーは貴族のスポーツとなっていきます。
草船借箭なんてお話も三国志にはありますが、(相手の矢を頂いちゃう)それとは違い、これは中世の戦争において、相手の騎馬隊の突撃の合間に、さっき射た自分たちの矢で外れたものを再利用するために拾う矢拾い(Ramasseurs de flèches/アローコレクター)という仕事をする人たちです。イギリスのアーチャーは24本ほどの矢をクイーバーに入れていましたが、1本30秒ルールなら10分くらいで使い切っちゃいますからね。画家もなかなかいい仕事をしていて、矢(フレッチャーされたシャフト)とボルト(クロスボウ用の矢で羽根はない)をちゃんと描写しています。
I am led to publish the data thus far collected, incomplete as they are , with the intention of using the paper in the form of a circular to send abroad, with the hope of securing further material for a more extended memoir on the subject.
Edward Sylvester Morse, Ancient and Modern Methods of Arrow-release, Essex Institute, 1885, p 4
*本にページ数が示されていません。フランス国立図書館で公開されているものをPDFでダウンロードした場合、192/596ページにあります。Chastellain, Georges,« Passages faiz oultre mer par les François contre les Turcqs et autres Sarrazins et Mores oultre marins », traité commencé à être rédigé à Troyes, « le jeudi XIIII e jour de janvier » 1473, par l’ordre de « Loys de Laval, seigneur de Chastillon en Vendelois et de Gael, lieutenant general du roy Loys l’onziesme… gouverneur de Champaigne… par… SEBASTIEN MAMEROT de Soissons, chantre et chanoine de l’eglise monseigneur Saint Estienne de Troyes » et chapelain de Louis de Laval, 1401-1500, https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b72000271/