アーチェリー競技の歴史などは度々語られますが、日本のアーチェリー産業についてのまとまった資料は存在していないのではないかと思います。もちろん、酒の席などで語られることはありますが、個人談ではな、正しい事実を残すためには公開された資料などが必要でしょう。
2010年の前半、個人的なテーマは、スキー技術のから始まり、一時期は世界トップまで上り詰め、衰退した日本のアーチェリー産業についての研究にあてたいと考えています。

1月~2月は国会図書館で(株)坂本企画室の時代からの雑誌アーチェリーの読破にあてようと思っているのですが、今日は東京都立図書館で
1973年の円谷のぼるさん著「アーチェリーの経営」という本を読んできました。(アマゾンでは8000円の値段が付いています。経費で購入したら経理に怒られるので自粛)
内容は期待していたアーチェリーショップの経営についてではなく、アーチェリー場の経営についてでした。いろいろと興味深いお話が書かれており、大変勉強になりました。
1970年(昭和40年)には3箇所しかなかったフィールドアーチェリー場が、この本が出版された1973年(昭和48年)には全国で70箇所もあったこと。当時、国内でアーチェリー用品の製作をしていたメーカーが5社(ヤマハ、カザマ、ニシザワ…後は??)あり、輸入代理店が5社あったこと。
当時大変なアーチェリーブームだったことが、文面から伝わってきますが、フィールドアーチェリー場は会員制となっており、入会金の平均が3万円、最高は茨城県の12万円だとの事(あくまでも1973年時点での情報)
消費者物価指数の140.教養娯楽サービス(月謝類)は6.5倍になっていますので、フィールドアーチェリーを始めるのに、まずは平均して20万円の入会金を支払う必要がだったということになる。当時は、会員になりたい人からまず入会金を募り、その入会金に使ってアーチェリー場開発を行うという手法が使われていたようです(ゴルフ場開発と同じ手法ですね)。
円谷さんの試算ではアーチェリー場の純利益率は13%です。
アーチェリー用品販売、アーチェリーショップについて触れている個所は少なく、
当時のアーチェリーショップでは20%の利益を乗せて販売していたようです。100円で仕入れたものを120円で販売するというモデルです…現在、こんな良心的な掛け率で商売しているショップは無いですね。
そのほかには、自動アーチェリーレーン(船橋アーチェリーレンジさんなどに導入されています)の価格が、国産で60万円、外国産で150~200万円であるなど、アーチェリー場の開発・運営についてがメインです。著者の円谷さんはCNCという会社の社長さんで、玉川高島屋の屋上でアーチェリーレンジの運営をしていたようです。
アーチェリーはポストボーリングのして大きく発展するという結論となっており、アーチェリーブームも、さらに、ボーリングブームも実体験していない私のような人間には、当時の日本には「
さらなる発展」という希望があふれていたんだなということが強く伝わってきます。
ちなみに、多くの地方のアーチェリーショップの設立が、この本が出版された1973年あたりです。アーチェリーブームの絶頂期に出版された本ということでしょうか。
また、
著者の円谷さんのプロフィールをwikiで調べると、1973年にウルトラマンを制作していた円谷プロダクションの社長をつとめていた兄が急死し、この年に急遽、円谷プロダクションの社長に就任しています。その他もろもろ、いろいろな事情でアーチェリー業界から離れていったのでしょうか。